「我が輩は猫である」 
by名もない猫『吾輩は猫である』



                     

弟に、「何か名言を知らないか?」と聞いた途端、これが返ってきた答えだった。
て、
これって本のタイトルだろう!?
とか突っ込みを入れないこと。
一応、我が輩(名前がないのでこう呼ぶことにする)が、
話している話の一文なわけだから、名言の資格はあるわけだ。

ええ。
もちろん強引です


そんなわけで、「我が輩は猫である」である。
この話を、知らない人は恐らく多いのではないだろうか。
てか、文学人間でなきゃ、読まない。
さらに、文学人間でも読まない。
というより、
私は読んでいない


終了



いや、そうではなくて(汗)



この話、とりあえず猫の日常らしい。
というのも、全編猫の視点で書かれているからだ。
長い文章なので読むのがしんどいだろう。よくわかる。
そんな人は、
いきなり最後から読んでみよう

って、
ラストには死ぬのかよ、この猫!!
しかも、おぼれ死ぬのか!?


・・・・衝撃の事実をいきなり掴んでしまった。


はーい、今「まじ? そんなラストだったの?」
って思った人は
手を挙げましょう。恥ずかしい事じゃないから。
・・・・・・
私だけって事はないだろう!?(汗



まぁ、話を変えて、この名言の特性に入ろうと思う。
とにかくこの台詞、
ろくに本を知らないくせに多用される傾向にあるらしい。

例えば、
我が輩は
捨て猫である。
我が輩は
である。
我が輩は
ごまである。
我が輩は
オグリキャップという名の犬である。
Etc・・・

途中、
生き物ですら無いのが混じったが、
とにかくパロディが多い(Google調べ)
それだけ、人々に愛されている名文といえるのかもしれない。

くどいようだが、
誰もろくに話しを知らないのだが


さすが、文豪夏目漱石。と言ったところなのだろうか。




しかし、




私はこの名言にある策略を感じるのである。

よく考えてみて欲しい。
今の世の中に、
一人称を「我が輩」なんて言う奴が今の世の中にいたとしたら、
100%いじめられるのではないだろうか?

だが、この「我が輩」と言う言い方、昔は
偉い人間が使っていたらしい。
つまり、等式をたてるならば
偉い人間=「我が輩」
の世の中が存在していたわけだ。

そんな世の中にやってきたのが「吾輩は猫である」である。
この衝撃はでかかっただろう。

なんせ、偉い人間が、
「我が輩は代議士である」なんて言い出した途端に、
「あー。猫さんの言葉を使っている〜」

なんて
子供にバカにされてしまうのだ。

「我が輩」完全に墜落。
一人称が「我が輩」だった先生なんかは、
生徒に
いじめられないように、必死で癖を直したことだろう。

そして、「我が輩」は世の中から姿を消した。

夏目漱石のほくそ笑み顔が浮かんでくるようだ。
てか、
そんなに奴は「我が輩」が嫌いだったのか


文豪の力は恐ろしいと思い知らせるいい名言といえよう。
この恐ろしい力に太刀打ちできるというのなら、
明日からでもぜひ「我が輩」を一人称に使うことをおすすめする。

私は絶対
だけどね。
てか、
見つけたら笑いますが

・・・とうとう、文豪の作品までネタに使っちゃったよ。
なんて少し罪悪感を覚えつつ、今回はここまでと言うことで。