それでも「   」は語り続ける― Girl version ―
   それでも「   」はかたりつづける
作 楽静




登場人物
私 高校2年生 女子
僕 高校2年生 男子(私と兼ねる)
あの人 6歳~26歳(私と兼ねる)
父親(私と兼ねる)
青年(私と兼ねる)

声/照明のサヤカさん 高校2年生
音響のコトハさん 高校1年生
※できればスタッフに演じて欲しい。


01 私は語る


    幕が上がると、私が一人台本を持って立っている。
    制服姿。
    ※私は男性であっても女性であっても構わない。

    私の近くには椅子が2脚並んでいる。
    椅子の近くには衣装かけ。舞台で使う衣装がかかっている。
    近くには箱が有り、その箱の中には劇中に使う小道具が入っている。
    舞台装置はそれだけ。
    台本のタイトルと作者名を小さくつぶやく。観客には聞こえない。
    私は本を片手に読むようにしながら歩き回る。
    観客席の方向を時折見ては、どこで話すのが効果的か測っているようにも見える。

私 幕が上がって、たった一人しかいない状況で僕は語り始める。「さて。みなさん。これから始まる舞台は、本当にいたとある人物の話です。」……これがこの舞台の最初のト書きとセリフです。私がこの台本を見つけたのは偶然でした。演劇部室を片付けていた時、昔の部活日誌を引っ張り出して捨てようか悩んでいた時に、とある年の日誌に挟んでありました。誰にも読まれたくないように。でも、誰かには気づいてほしというように。その始まりは静かに、作者であり演者である「僕」の独白から始まります。(と、台本を読むように)「実在にいた人物。僕はただあの人に惹かれて台本を書いた。だから、もしかしたらこういう舞台にふさわしい台本とは言えないかもしれない。それでもどうしても書きたい、演じてみたいと思ったのには理由がある。その理由を僕はわかっているけれど、僕を演じる誰かはわからないかもしれない。僕を演じる誰かを見ているあなた達もわからないかもしれない。今は理由を言わないけれど、もし気がついても口には出さずに心にしまっておいてほしい。そんな大層な理由じゃないけれど、口に出せないから、僕は演じることを選んだのだから。だから、僕が書いた言葉をきっと演じるために語っている誰か、ここでは私と言おうか。なぜ僕の台本を演じることにしたのかはわからないけれど、私の理由が僕と同じだったら、僕は、ただ嬉しい。僕のことを分かる人なんて誰もいないと思っているから」

    一度台本から目を話すと、私は周囲を見渡した。
    そこには私しかいない。なんの反応もない空間を見渡し、
    どこか諦めに似た表情を浮かべ、切り替えて台本に向かう。

私 「……これから語るお話は私にとって紡がれるけれど、僕が演じたかったとある世界の話だ。演じたかった。過去形だから、これを書いた時には僕はこの話を演じられてはいない。だって、僕は一人だったから。これは、僕が好きなあの人を、僕が演じるために台本にした話を、誰かが演じるという舞台だ」

    台本を閉じ私は微笑む。

私 わかるよ。すごくよく分かる。私には、わかっているよ。

    音楽。
    男子高校生っぽい衣装(夏服)をまとい、私は僕になる。

02 僕の舞台つくりはじめ

    と、その顔が違う方向を向く。
    顧問の先生に話しかけられた。6月ころの話。

僕 え? 先生、今なんて言いました? はいぶ? はいぶって廃部ってことですか? 部活がなくなるってことですか? なんで急に。……そりゃ、1年生は入らなかったですけど。2年生が、まあ僕入れて3人ですけど、3年生……は、幽霊部員でしたけど、でも先生、去年だって3人で舞台やってたじゃないですか。そうですよ。今年も一人舞台やります。大会は9月ですよね。三ヶ月しかない? 三ヶ月もあるじゃないですか! それまでに作品を見つければいいんですよね? いえ、むしろ書きます。書けばいいんですよね。書きます! だからそれまで廃部は待ってくださいお願いします! ……ありがとうございます! がんばります!

    と、その顔が別の方向を向く。

僕 え? 山田さん、今なんて言った? やめます? やめますって、辞めるってこと? 部員じゃなくなるってこと? なんで急に。……そりゃ、1年生は入らなかったけど。2年生が僕含めて3人だったのに、2人になっちゃうよ!? (と、別の方向を向き)えぇ!? 田中さんも辞めるの? あ、大会は手伝ってくれるんだ。ありがとう。うん。頑張る。ま! もともと一人舞台のつもりだったからね。大丈夫! 大会の時は手伝ってよ!? 約束だからね! 絶対だよ! お疲れさまでした! (と、2人が去るのを見送って)……うん。まあ、もともと男一人に女の子2人だったし? 会話もそんななかったし? なに話していいか分からなかったし。一人のほうがかえって自由に考えられていいし。一人のほうがいいし。……そう。きっとだからあの人も一人だった。周りはあの人を放って置かなかったけど、あの人は一人だった。家族に囲まれて友達に囲まれて。それでもどうしょうもなく、一人でいた。

    と、どこからか風が吹いてくる。
    風に少し肌寒さを感じ、僕は衣装掛けからマント(風呂敷)を出し、
    箱に台本をしまうと、陽よけの帽子を取り出しかぶる。
    少し大きめのルーペを取り出す。

僕 幼い頃からあの人は一人でいるのが好きだった。一人で石や、草、昆虫を眺めて過ごしていた。

03 あの人の少年時代

   と、小学生くらいのあの人となって、しゃがみ、地面をじっとルーペで見る。
   風の音が小さくなる。話しかけられたのか、顔を上げる。

あの人 ……え? うん。見てた。地面見てたよ。ほら、ね?(と、期待するように笑顔を向ける。が、相手は何が面白いか伝わらない) ……だから、ほら。(と、指差し)ね?(と、期待するように笑顔を向ける。が、相手は何が面白いのかわからない) ……わからないならいいよ。

    あの人は誰かに背を向けると、違う物を観察し始める。
    僕は帽子を外し立ち上がる。話しながら、ルーペと帽子を箱へ入れる。

僕 ……あの人に、人は一人だという原体験を与えたのは何だったのだろうと考えてみる。誰だって一人は怖いはずだと思うから。いや、僕は違うけどね。普通はってこと。あくまで。僕以外の。一般的な人にとっての話だ。あの人にとって、それはもしかしたら、6歳の時の出来事が原因かもしれない。急な高熱で倒れ、病院へ運ばれたあの日。襲ってくる熱と、朦朧とする記憶の中で、あの人は父親の声を聞く。

    と、僕はマントを素早く脱ぐとぐるぐると巻き込み、近くの椅子の上に乗せる。
    そのマントの塊をあの人に見立てて、僕はあの人の父親となる。
    (少し年季が入ったジャケットを羽織るとか。髭をつけても良い)

父親 どうした!? 痛いのか!? 苦しいのか!? 水がほしいのか。待ってろ。父さんが今もらってきてやるからな。(と、走り)あ、すみません、水を。いや、私じゃありません! うちの倅に水をやりたいんですが。え。いや、帰りませんよ。そんな。こんな苦しんでる息子をおいて、帰れっていうんですか!? うちの子はまだ6つなんですよ! うちの大事な跡取りなんだ。そりゃあんたがただって見てはくれるでしょうけど、他にも病人はいっぱいいるじゃないですか。私は親なんです。病気が移る? それで倅が治るんならむしろ望むところってもんだ。おい、父さんに移せ。な? 移せば熱なんてすぐに下がるぞ。(と、腕を捕まれ)「馬鹿なことをするな?」あんたらから見たらそうかもしれんがね。学がない人間にはこんなことくらいしかできんじゃないですか。そうでしょう? 帰れって言われたって私は帰りません。うちの倅が治るまでは、一歩もここを動かんぞ!

    と、父親になりきって床にドスンと座り込む。
    その手が慈しむようにマントの塊に触れる。
    語りながら、父親から僕に戻り、あの人に変わる。

僕 あの人はきっと始めは嬉しかっただろう。長男として生まれたあの人は、祖父母からとても厳しく育てられていたという。家を継ぐという責任を物心つく頃から背負わされ、父親と話すことなんて殆どなかった。そんな父親が自分のために何かを言っている。ずっと一緒にいてくれる。自分に触れて、頑張れと声をかけてくれる。人のぬくもりを求めてすがりそうになったかもしれない。でも、その結果、あの人が病から復帰する頃に、父親も同じ病で倒れることになる。……自分が人を求めることで、父親を一度死の淵に引っ張ってしまった。その記憶は、あの人に人を遠ざけさせようとさせるには十分すぎる体験となったのだと僕は思う。誰だって、誰かを愛したい。愛してほしいと思う。でも、愛することで誰かを失うかもしれないのなら。僕だったら、誰も愛さなくていいと思ってしまう。

    風の音。話しながら僕は学生帽をかぶる。

04 あの人の中学時代

    僕が話し始めると風は小さくなる。

僕 二度目のきっかけは、中学時代。中学校は寮生活で、共同で一つの部屋を使うことになっていた。だからあの人の孤独は一度終わることとなる。あの人の生きた時代、今と違って、中学校というのは進んで当然の場所じゃなかった。子供は親の職業を継ぐのが当然で、農家の子供は農家になるものだった。そこに学問なんて必要ない。商人の子供だって同じだ。あの人の家は金貸しだったから、あの人は将来仕事を継ぐことを期待されていた。金貸しの仕事は、金貸しが教えるものだ。お金の稼ぎ方、人との付き合いは仕事から学ぶことで、学校は別に行っても行かなくてもいい場所だった。だけど、あの人は頭が良くて勉強ができた。学校の先生も中学への進学を熱心にあの人の親へと進めてくれた。おかげであの人は中学へと進むことになる。そこには、今まで周りにいなかった、「勉強が好きな人達」がいた。あの人は、自分が独りじゃないことを、強く感じたんじゃないかと思う。

    明るく風が吹いているような音楽。
    僕は道具箱から星座の本を取り出す。そして、鉱物の塊も。
    椅子を少し離し片方に座ると、本を広げもう一つの椅子に座る人物へ話しかける。

あの人 だから、ね? そう! そうだよ! この写真全部があの銀河の星なんだ。そう。天の川も、こうして拡大すれば、星が集まってるに過ぎないんだ。なんだかおかしな話だと思わない? だよね! 昔の人は星に名前をつけてオリオン座だとか、こと座だとか言っていたらしいけど、結局は一つ一つ別物なんだ! それはきっと孤独で。離れた、無関係な星たちだ。繋がりなんて無い。石の塊なんだ。でも、もし繋がりがあるとしたら、僕が拾ってくるこの石の中にあるかもしれない。同じように空にある石なんだから、この中に、射手座やはくちょう座を作る星たちと、繋がる石があるかもしれない。……だろう? そう。そうだよ! そうなんだ。そう考えると、鉱物採集ってなかなか面白いと思うだろう? ……もしよかったら、だけど。……藤原くんも今度一緒にどう? そう? 本当に? よし、きっとだよ。約束だからね!

    風の音。あの人の手から鉱物が落ちる。

あの人 え? 先生、今なんて言いました? 亡くなった? 亡くなったって死んだってことですか? 藤原がいなくなるってことですか? なんで。……そうですか。病気、ですか。病気……それは、仕方ないですね。え? ああ、僕は大丈夫です。はい。本当です。一人は、慣れてますから。

    風の音の中、僕は箱から花を取り出すと、椅子に置く。
    鉱物と本を箱にしまう。

僕 死は、案外あの人の身近にあった。僕らが生きる今、男であっても80に届く長さになっている平均寿命は、あの人が生きた時代、女性であっても50歳に届いていなかった。もちろん長生きをする人はいたけれど、子供のうちに亡くなることは珍しいことじゃなかった。突然の事故も。例えば、あの人がその目で初めて海を見た年。16歳となったその年、夕張炭鉱では爆発事故が起きた。4月と12月に起こったこの事故での死者は、500人弱だったという。同じ年、猛烈な台風がこの国を襲い、600人強の死者を出した。そして、海外ではこの年、世界最大の客船であり、浮沈船、沈まぬ船だったはずの客船が処女航海中、沈没した。死者数、1500人以上。あの人が初めて見た海は、死の幻影を残し、やがて物語に書かれることになる。あの人の心に強烈に死を印象づけたその船の名は、ロイヤルメールシップ・「タイタニック」

05 あの人とタイタニック

    と、風の音。
    僕は箱から帽子を取り被る。
    洋服掛けから黒いコートを取り着る。
    なぜここにいるのか問いかけられた青年として話し出す。
    青年は2人の子供を守るようにしている。

青年 どうしてここに、ですか? ……氷山にぶつかって船が沈んだんです。この子たちのお父さんが急な用で二ヶ月前、一足さきに本国へお帰りになったので、私達はあとから発ったんです。私は大学へ入っていて、家庭教師にやとわれていたので、付添というわけです。ちょうど十二日目、今日か昨日あたりです、船が氷山にぶっつかって一ぺんに傾きもう沈みかけました。月のあかりはどこかぼんやりありましたが、霧が非常に深かったのです。

    どこからか霧が湧き出す。波打つ水の音。
    何か重いものがぶつかるような音。汽笛の音が遠く聴こえる。

青年 脱出用のボートは左舷の方、半分がもうだめになっていました。とてもみんなは乗り切らない。そのうちにも船は沈みますし、私は必死に叫びました「どうか小さな人たちを乗せて下さい!」近くの人たちはすぐ道を開いて、そして子供たちのために祈ってくれました。けれどもそこからボートまでのところにはまだまだ小さな子どもたちや親たちがです。とても押しのける勇気はなかった。もちろん、この子たちを助けるのが私の義務だと思って、前にいる子供らを押しのけようとしました。でも、そうまでして助けるよりこのまま神の前にみんなで行く方が本当にこの子たちの幸福なんじゃないかとも思いました。それからまた、神にそむく罪はわたくし一人で背負ってぜひとも助けてあげようと思いました。でも、どうしても出来なかった。子どもばかりをボートの中へはなし、母親が狂気のようにキスを送っているのを見ました。父親が哀しいのをじっとこらえてまっすぐに立っている姿も。そのうち船はもうずんずん沈みますから、私はもうすっかり覚悟してこの子たち二人を抱いて、浮べるだけは浮ぼうとかたまって船の沈むのを待っていました。誰が投げたかライフブイが一つ飛んで来ました。けれど滑ってずっと向うへ行ってしまいました。どこからともなく320番の声があがりました。たちまちみんなは色々な国の言葉で一ぺんにそれを歌いました。

    賛美歌320番が聞こえてくる。
    その歌の中、何かが折れる音が響く。
    音楽の中、僕はコートを脱いで帽子を置く。
    音楽がゆっくり消えていく。

僕 この物語が発見されたのは、あの人が亡くなられた後だった。何度も手直しをされた原稿の中、この一人で語る青年の話が、タイタニック号のことだったのは偶然じゃないと僕は思う。あの人の物語にはどこか死の影がつきまとっている。きっと書かずにはいられなかったんだろう。あの人にとって、それだけ死は身近だった。死はあの人を時に孤独へ近づけ、時に将来への希望を断とうと襲いかかってきた。三度目のきっかけ。18歳になる年の春、あの人は再び高熱で倒れることになる。

    風の音。轟々と僕に吹き付ける。

06 あの人の青年時代

僕 鼻詰まりから起こる症状を改善させるための手術をするだけ。それだけのはずだった。

    風の音。轟々と僕に吹き付ける。
    右へ左へと死神に撫でられるように僕は翻弄される。

僕 院内感染。熱はあの人を飲み込み、やがて看病に訪れた父をも再び飲み込んだ。

    熱とともに朦朧とする体を、僕は必死に制御しようとする。

僕 熱が体をめぐる。彼にとって身近な死が、また身近な人をも飲み込もうとする。

    体を抑え、風に負けないような体制を取ろうとするうち、
    僕は祈りの姿勢を作っている。

僕 あの人は祈りに救いを求めた。これまであの人の家で教えられていた祈りとは違う祈りへ。信仰があの人を救ったのかはわからない。それでも、親子共に回復を果たし、あの人は進学のため動くことが出来、農林学校へ進学した。……卒業までの4年間は、あの人にとって、とても尊い時間だった。その後に何度も手紙であの人は当時を振り返ることになるのだから。そんな学校生活を終え、あの人は金貸しという家業を継がせようとする親と言い争うことになる。数年間学問を修めたあの人と、学問の必要性を感じない父親の対立は、どれほどのものだったのか、想像するしか無いけれど、まるで異なる価値観を持った者同士の会話であったことは間違いない。

    風が互いに主張するように吹いている。
    僕は吹き飛ばされないようにしながら、台本を取り出す。
    
僕 だから、あの人は物語を書くことにした。(と、話しかけられたのか、顔を向ける。)そうだよ、山田さん。物語だ。あの人にとって、家の家業、金貸しという職業は人の弱みに付け込むようにしか思えなかったのかもしれない。だけど、言葉を尽くしても、彼の思いは伝わらなかった。だから、物語を作って読んで聞かせることにしたんだ。(と、話されたのか首を振る)いや、田中さん違うんだ。あまり有名だとは言えない。でも、僕はあの人らしい物語だと思う。どんな話かというと、蜘蛛となめくじと、それから狸の話なんだ。彼らはなにかの選手だった。山猫の話だと、三匹、いや、三人は本気の競争をしていたらしい。一体何の競争をしていたのか。三人並んで走るわけでもないし、学校の試験で一番二番三番と決めたわけでもない。けれどもとにかく三人は競争をしていて、そして、三人とも死んだ。そんな話だ。

    風が吹く。

07 あの人と物語

    腰を曲げ、疲れ切った老人のような姿となる。

僕 蜘蛛は始めはただ生きるために巣を張り、命を奪った。蜘蛛が生きていこうとする以上、他の生き物の命を欲するのは仕方のないことだった。だけど、蜘蛛は次第に欲を深くし、必要とする以上に獲物を求めた。そうして、溜め込んだ他の生命は腐り、蜘蛛は病気を患って命を落とすことになる。

    風が吹く。
    相撲取りの姿勢になる。

僕 ナメクジは親切を装い食べ物を分けると言って弱った生き物を自宅に招いては、無理やり相撲の相手にし、弱りきった相手を食い物にした。弱いものしか相手にしていなかったナメクジは、自分より強い者にあたった時にあっけなくその命を落とした。

    風が吹く。
    片手で拝むポーズ、もう片手は受け皿のように手のひらを上に向け、胸の下に。

僕 狸は「山猫様を拝みなさい」と信じる心を利用して弱った生き物を騙してはその命を奪った。なにかを信じる気持ちを心底バカにしていた狸は病にかかり、高熱で命を落とす。狸は最後にこう言った。「ああ、怖い! 怖い! おれは地獄行きのマラソンをやったのだ! ああ!」

    僕は胸をかきむしり、空へと伸ばし力尽きる。
    声をかけられたように顔を上げると、椅子に座りながら。

僕 そう。死んだ。蜘蛛も、ナメクジも、狸も。地獄行きのマラソンをして、そして勝者は誰かわからず、生者はいなかった。必要以上に欲を持つものも、力ないものを食い物にする者も、信じる心を騙すものも、結局最後は地獄に落ちる。これは、そんな話だ。そんな話をあの人は家族にしたんだ。金貸しで生きている家族の前でこの話をしたんだ。……どんな気持ちだったと思う? あの人がじゃない。考えるのはあの人の話を聞いていた家族。……そうだね。ちょっとその場を想像すると嫌な気持ちになるね。あの人自身も、その家族の力で生きてこられたのにね。皮肉が伝わらないと思った? それは、余計に嫌な気持ちになるよね。でも、きっとあの人は家族がどう受け止めるかも考えて、それでも話を読むことにしたんだと思う。……僕は思うんだ。何かを書く時、大抵の人は一人だ。頭の中の世界を一人で形に変えていけばいい。でも、誰かに読んで欲しいと願う時、誰かに語る時は、当然受け取る誰かがいる。だから、受け止めてくれるだろう人に、こう思って欲しい、こう感じてほしいって思ったりする。でも、本当に大事なのは、「自分はどう思うか」なんじゃないか。語るっていうのは、見せるっていうのは「私はこう思う」を自信を持って宣言できるかどうかなんじゃないかって、そう思うんだ。だから僕もそうありたいと思うんだ。

    風の音。

08 あの人と仕事

    僕は立ち上がると、ベストを着、ジャケットを着る。
    若手の教師のような姿になると本を片手に持つ。

僕 ……あの人はその後一時(いっとき)家業に関わるものの、数年もしないうちに教員となる。そうだ。もう一つ、あの人が家族に語って聞かせた話があるんだ。それは優れた行いは出来ないけれど、悪い行いをしないことで最後は救われる双子の話だ。彼が家族にこの2つの話を語ったのは、彼なりの宣言だったのかもしれない。「こんな生き方はしない」そして、「僕はこう生きる」って。

    「星めぐりの歌」が聞こえてくる。
    僕は眼鏡をかけると、教壇に立っているように指導を始める。
    うるさく騒ぐ生徒を注意する。
    静かにするよう伝えてから、僕は英語の本を読み聞かせる。

あの人 「If you use too much fertilizer, there`s a chance that the plant will die.」はい。ではこの文を、君、日本語にしてみてください。そう。「IF」は「もしも」と訳してしまって結構です。……そう、よく覚えていましたね。fertilizerはたんに「肥料」と訳しても伝わりますが、正確には化学肥料のことを指します。これまで我が国の農業で中心となっていた動物性の肥料はmanure、植物性のものはcompostとなります。これから君たちはより多くの選択肢がある中、Agricultureに関わることになるでしょう。そう、関わるかどうかすら選択することになるかもしれません。……確かに、ここは農学校です。でも、ここを卒業したからと言って、道が一つとは限らないでしょう?

    チャイムの音。
    次の授業は農業の授業だからと、ジャケットを脱ぎ、タオルを肩にかける。
    シャツの袖にボタンを外し、まくりながら、あの人は農業の説明をする。
    土のついての話をし、
    「星めぐりの歌」が大きくなっていく。

僕 穏やかに進む時間の中、あの人は「このままでいいかな」と時折考えたりする。今のまま平穏に、自分の中の知識を教えたり、自分の頭の中の世界を誰かに伝えたり。手の届く範囲の中で生きているのもいいんじゃないかとあの人は考えたんだと思う。穏やかな時間を過ごしながら、物語を書いてみたりする。死の気配が少し離れた気がする中で、あの人はどんぐりと山猫の話だとか、洞窟に住む竜だとか、ドッテテと月夜に歩くでんしんばしら、どうしてか注文が多い料理店。と、今にも残る童話を書いた。そのまま、ゆっくりと死の影は薄れていくように思えた。でも、どうしたって、どうしょうもないほど、あの人には死がつきまとう。教師となってまもなく一年となる11月。妹が、その灯火を消そうとしていた。

    強い風が吹く。

09 僕と演出と作品論

    僕はシルエットとなり、プロジェクターによって、雪の映像がスクリーン(ホリ幕)に映し出される。
    ※プロジェクターにこだわらない。
    
    シルエットになった僕はその映像を見ながら、私に戻る。
    私は台本を持って、演出が望んでいた光景を語る。
    ※「(」は、「カッコ」「)」は「カッコ閉じる)と読む。

私「空から、ちぎられた原稿用紙(原稿用紙であると分かる程度に切られている)が降ってくる。雪のように。白紙の原稿用紙。言葉にならない何かが僕に降り積もる。僕は呆然と経ったまま原稿用紙の雪を体に受ける。段々とその体は雪に埋もれ見えなくなっていく……」

    と、私に明かりが辺り、私は僕になる。
    舞台監督相手に僕は演出したい方向を大会スタッフに語っている。
    大会数日前。演出についての会場スタッフとの打ち合わせ日。

僕 無理? 無理ってどういうことですか? 雪を降らすのが? でもこれは原稿用紙で、いや原稿用紙かどうか気づかないっていうのは、でもそれはある程度の大きさにすれば、こう、原稿用紙の行の色とか、真ん中の部分とかでわかるんじゃないかと……そう、ですね。確かに。遠くから見たらわからないかもしれないです。……あ、でも、はい。……駄目ですか。埋めれるまで降らすのは。ですよね。公演時間後、片付けの時間短いですからね。……はい。全然スタッフ居ないです。音響と、照明でギリギリで。大会スタッフの方に手伝って……は、もらえないですよね。はい。現実的じゃない。ですか。じゃあ、映像でだったらどうですか? 照明か、音響の人に手伝ってもらう形で。……わかりました。じゃあ、そうします。打ち合わせありがとうございました。……はい。がんばります。大丈夫です。出来ないこととか、慣れているんで。(と、打ち合わせ終わって離れ)結構頑張って原稿用紙集めたんだけどなぁ。大丈夫。思い通りにならない事なんてよくあることじゃないか。大丈夫。これくらいなんてこない。大丈夫。

    風の音。僕は観客へと向く。誰かへ説明するように。
    舞台上に見えない雪を思い浮かべ、僕は雪の寒さに身を震わせる。
手を暖めるように息を吐き、次第に体を小刻みに揺らしたり、
    当たりを歩き回り、新雪を踏み荒らすように辺りを歩く。

僕 ものを書くというのは、一つの「業(ごう)」何だと僕は思う。うまく説明できるか分からないけど、例えば道を歩いていて、可愛い犬を連れた人がいたとする。ああ、この場合、僕の例えはあなたが犬好きで犬を「可愛い」と思うだろうという仮定から成り立っているけど、別に猫が好きだって構わない。ただ、今は犬好きの気持ちになって想像してほしい。すごい可愛い犬だ。毛並みはフサフサで、見るからに利口そうな顔つきをしている。そんな犬を前にして、君はしゃがみ込む。「可愛いですね」なんて飼い主に話しかける。そして、何気なく手を伸ばしてしまう。撫でようとしたんだ。けれど、瞬間、ガブリ! 手にこれまで記憶にない痛みを覚える。そう、急に手を伸ばされたことに警戒して、この飼い犬は君を噛んだ。「痛い!」当然君は思うけど、犬は口を離さない。飼い主が慌てて犬を叱ることでようやく手は解放される。犬の唾液と、流れる血の赤が混ざった手を見て、君は「とにかくまずは水で手を洗わなくちゃ」と思う。次に薬局かコンビニに飛び込んで消毒液を買う? 近くに病院があれば、病院に行くかもしれない。とにかく手の痛みと、自分がやらかしてしまったことへの後悔で君の頭はいっぱいになるだろう。「ごめんなさい」なんて言う飼い主の言葉すら、遠い意識の隅かもしれない。それが普通の人間だ。でも、作家は違う。噛まれた瞬間に頭に浮かぶことは、こうだ。「どうやったらこの瞬間が書ける!?」「どうしたらこの感情が!」「どうしたらこの頭の絵が言葉にできる!?」

    悲鳴のように叫びながら、僕は歩く。執拗に空白を埋めるように。

僕 ……頭の隅で消毒のことや病院のことを考えながらも、大部分はどうやったら今日の経験が面白い話になるか考えている。それが作家だ。日常のこと、自分の経験。普段の妄想。その全てを作品のために消費するのが作家だ。それはどんな聖人君子を気取っている作家だとて変わらない。経験しないこと、考えたことがないことを作品にできる作家はいない。どんな楽しい場面でも、どれほど悲しい出来事の中でも、作家は考える「どうやったらこの瞬間が書ける!?」と。より罪深く言うのだったら、こうも考えている。「一体どうやったらこの瞬間を、誰よりも美しく書けるだろう」

    ぐちゃぐちゃに踏み荒らした地面から目をそらし僕は空を見る。

僕 それでもあの人は、こらえていた。つま先はすでに奈落へ向いていたけれど、それでも、まだここへいた。落ちずにいた。きっと、灯火が消えるとわかるその瞬間までは。

    風の音。吹雪のように強く吹く。強く。すべてを吹き飛ばすように雨も降り出す。

10 永訣の朝

激しい雨。命がなにかに抗うような激しさ。
    僕はあの人になる。突然聞いた事実に混乱する。

あの人 え? 死ぬ? 何を言っているんです? 今晩いっぱいが峠だろうって。そんなわけない。だって、今まで何回もそんな事はあったじゃないか。僕だって、何度も熱を乗り越えて。父さんも知ってるでしょう。一緒に乗り越えてきたじゃないですか。だから、今度だって……死ぬ? 妹が? 最後の言葉をかけてやれ? 何言ってるんだ。妹が死ぬ? 明日には……いない……(と、慌てて去ろうとする)どこへ行くか? 決まっているでしょう。妹のそばにいてやらないと! ……母が側に? 弟も……じゃあ、僕は……何をすれば……。

    風の音の中、ふと、あの人から僕に戻る。

僕 ……だから、あの人は雪を取りに行くことにした。遠くへ行ってしまうあの人の妹のため。雪を……

    なにかの声を聞いたように僕は立ち止まり、あの人になる。

あの人 紙とペンを取りに部屋へ戻ります。……決まっているでしょう。妹を書き残すんです。

    やがて唐突に無音。大気は夜間すぎに冷え込み、雨はみぞれ混じりの雪となる。
    時計の音。紙とペンを持って男はやって来る。

あの人 違う。もっとだ。もっとあるはずだ。もっと。もっと何か。これは誰への詩だ? 妹だ。妹の死を悼む詩だ。ただ、可愛そうじゃだめなんだ。辛かっただろうじゃ許せないんだ。妹を思う心はこんなものか? 言葉はこれほどしか出ないのか? そうじゃないだろう。僕が一番この死を美しく書けるんだ。知られることのなかった才女を。僕の妹。僕が、知らしめるんだ。誰もが知る。誰もが惜しむ。妹の苦しみを、染み込ませるんだ。ゆっくりと、静かに、真実そのもののように、しんしんと……静けさをもって、世界を覆う、雪のように……。

    男は、空を見上げる。

あの人 今日のうちに、遠くへ行ってしまう僕の妹。……みぞれが降って、表は変に明るいんだ。

    と、声が聞こえる。か細く、甘えるように。
    本来であれば20を過ぎた女性のはずが、幼い子供のようにも聞こえてしまう。
    あの人だけに聞こえた声だったのか。あの人の願望が聞かせた声なのか。
    声は年代を変え、10代のようにも、20代のようにも、
    あの人の年齢を超えた年にも聞こえた。

声 雪を取って来て。
あの人 うす赤くいっそう陰惨な雲からみぞれは降ってくる。
声 雪を取って来て。
あの人 青い水草の模様のついた、いつも使ってた僕らのお椀。君が食べるみぞれを取ろうとして、僕は、曲がった鉄砲玉みたいに雪の中に飛び込んだ。
声 雪を取って来て。
あの人 蒼く鉛色の雲から、みぞれは降ってくる。君はいなくなる今になって、僕を明るくしようと雪の椀を頼んだんだ。
声 雪を取って来て。
あの人 激しい、激しい熱。苦しみ喘ぐその間に、君は僕に頼んだんだ。銀河や、太陽などと呼ばれた世界の空から落ちた、雪の最後の一椀を。この雪はどこを選んでも真っ白だ。あんな恐ろしいくらい乱れた空から、この美しい雪が来たんだ。
声 雪を――
あの人 僕は心から願う。「君が食べるこの雪よ、天界の食事となれ!」と。僕は僕のすべての幸いをかけて願うんだ――。

    雪が降る。
    雪を見上げて悲しそうに眉をひそめる。
    だが、その顔は次第に笑み崩れる。会心の作品が生まれる予感に男は震える。
    笑いそうになったその口を押さえる。笑っていい場面ではないだろうと必死に力を入れる。
    それでも、笑い声が漏れそうになる。
    くぐもった笑い声はやがて、自身の業の深さへの嘆きとなる。
    両手で顔を覆いあの人は嘆く。その口角は上がり、笑っているようにも見える。
    吹雪の音と共に暗転。暗闇の中、最後の力を振り絞るような吹雪の音。
    命の灯が消えるように、突然の沈黙。
    僕の姿が浮かび上がる。

僕 あの人は大切なものの死を扱った死に名前をつけた。「永訣の朝」と。僕はつい考えてしまう。果たして、本当に、声はあったのだろうか。……答えは彼の中にしか無い。

    雪が降るように「あめゆじゅ とてちて けんじゃ」と言葉が降ってくる。
    祈りのように。読経のように聞こえる声の中、僕は徐々に熱を持って語る。
    僕の語るにつれて、「あめゆじゅ とてちて けんじゃ」の声は小さくなり、
    代わりに風が吹く。僕は風に負けずに叫ぶように語り続ける。
    
僕 あの人はこうして、傑作を生んだ。そうして、あの人の人生はそれからも続いた。多くの今に残る作品を生んだ。心のなかでどうしょうもない孤独を感じながら、あの人は生きた! 独りを恐れず、あの人は生き抜いて! そして、10年後、独りで亡くなった。あの人の功績が認められていったのは、亡くなったあとだったから、お金もなく、あまり恵まれた人生とはいえなかったかもしれない。それでも! あの人は一人に負けなかった! 孤独に潰されはしなかった! 一人であることに挫けずにいた!! 僕も、そうありたいと思う。たとえ一人でも、何かを残し続けたいと思う。生まれた土地、岩手をイーハトーブと呼んだあの人の名前は――

    音が止む。決意を持って話していた僕の表情が固まる

11 雨にも負けず

    舞台の効果が全て消え、舞台はただの上演される会場の舞台にしか見えなくなる。

僕 え? 先生、今なんて言いました? 中止? 中止ってどういうことですか? 大会自体が? 運営スタッフに感染が広がって? ……じゃあ、この舞台はどうなるんですか? 文化祭も、今年は中止になりましたよね? 映像審査? それは誰が見てくれるんですか? 審査員だけ? ……そう、ですか。今年は、仕方ないですよね。……はい。録画は先生が? ありがとうございます。そうですか。じゃあ、この舞台を、お客様に見て貰う機会は、もう、無いんですね。……わかっています。はい。僕は、大丈夫です。きっと、今日のことが、何かのためになる、って、きっと……すいません。失礼します。

    僕がその場から走り去る。
    誰もいなくなる舞台。明かりが落ち(完全に暗転にはせず)薄暗い舞台が見えている。
    完全に暗くないのは、舞台が体育館であり、窓からの光がカーテンで遮れきれず見えているため。
    ※実際に体育館で公演している場合は、完全に電気を落とし、自然の光に任せても良い。

    少し長めのチャイムの音。放課後のざわめきが聞こえる。
    明るめな生徒たちの笑い声やお喋りの声。
    放送を告げる音が鳴り、

放送音「臨時職員会議を16時から行います。先生方は会議室へお集まり下さい。繰り返します。臨時職員会議を――」

    運動部が練習を開始する音の中、僕はやってきて電気をつける。
    僕の格好は、冬服(10月頃)になっている。舞台にあるものを無言で片付け始める。
    バスケ部が活動をしているためか、バスケットボールが弾む音がよく聞こえる。

僕 うるさいな。

    ボソリと呟く言葉に音や声は反応しない。
    少し僕はやけになったように舞台上の衣装を袖に投げていく。
    衣装をかけていたものも、舞台から片付ける。
    
僕 どっどどどどうど どどうど どどう! 甘いざくろも吹きとばせ! 酸っぱいざくろも吹きとばせ!どっどど! どどうど! どどうど! どどう! どっどど! どどうど! どどうど! どどう!(と、衣装を投げ終えるまで「どっどど! どどうど! どどうど! どどう!」を繰り返す)

    舞台上に椅子だけが残る。
    少し息が上がる中、バスケ部の誰かが良いシュートを決めたのか歓声が上がる。

僕 ……いいなぁ。

    僕は自分が言った言葉にぎょっとして立ちすくむ。
    首を振り、つぶやくように詩を読み上げる。
    僕の語りに合わせ、舞台上が青白く照らし出され、周りの音が遠ざかっていく。
    僕は幽霊のようにぼんやりと立ち、どこか遠くを見る。

僕 わたくしと言う現象は、仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です。あらゆる透明な、幽霊の複合体。風景やみんなと一緒に忙しく忙しく明滅しながらいかにもたしかにともりつづける、因果交流電燈の、ひとつの青い照明です。……いるようでいない。いないようでいる。誰しもきっと誰かにとっては風景でしかなくて、あるようで無いような存在なんだ。あまりにも不確かで、不確実な存在。あやふやに揺れて、その時その時の声に、流れに逆らえずに、漂うまま……だけど、僕らは止まらない。流れ続ける。そしてきっと。多分。いつか時が経ったなら、僕がいる「今」は「過去」になって、「あの時は楽しかったね」なんて。違った見方が出来るようになるんだろう。だからきっと、多分僕に出来ることは、「今」を悔やむことでも、嘆くことでもなくて。いつか、未来のために何かできないかと、悩んで迷って。残すことなんだ。

    僕はどこからか台本を取り出す。
    徐々に青く染まる舞台は僕を影にする。
    やがて僕はいつかの時間の風景となる。

僕 ………作れなかった舞台のラストを変えて、作品として残すことにした。もしかしたら、演劇部はなくなっているかもしれない。まだあっても、部室はなくて、台本も処分されているかもしれない。でも、もし残っていたら、見えないけれど確かにいた僕の証を、誰かが見つけてくれるかもしれない。僕がやりたかったことが何かを知って、受け止めてくれるかもしれない。そんな偶然を僕は祈る。

    僕は台本を椅子に置く。
    椅子が照らされる。僕が詩を語るほどに辺りは暗くなっていく。
    「」の部分には余計な力が入っているように感じる。

僕 ……雨にも「負けず」 風にも「負けず」 雪にも、夏の暑さにも「負けない」丈夫な体を持ち。欲は無い……というわけでもなく。だけど、決して怒らず。いつも静かに笑っている……。

    椅子だけが取り残されて、僕はいつの間にか姿を消している。
    声だけ(録音)が聞こえてくる。僕の声とは少し違って聞こえる。
    ※

声 一日に玄米四合と、味噌と少しの野菜を食べて……

    声に風の音が混ざり始める。

声 あらゆることを、自分を勘定に入れずに。よく見聞きしわかり、そして忘れず。野原の松の林の陰の小さな藁葺の小屋に居て……

    風の音が強くなる。
    台本がめくれるような音。
    風の音が大きくなる。一段と大きな風に台本が飛ばされるような気配と共に辺りは暗くなる。
    紙が風の中を飛んでいくような音が大きく聞こえる。

私(声) はい。ここまで!

    私の声で音は止まる。
    舞台は明るくなる。舞台効果のない舞台の上に椅子が置いてある。
    ※できれば台本は暗転中に椅子から取り除く。
    始まった時と同じ格好の私がいる。

12 私は語り続ける

    本番の数日前。ゲネ(General Probe)直後。
    私はマイクを手に持っている(舞台の大きさによってマイクはスイッチを入れずに使う)
    私は照明のサヤカ、音響のコトハに向かってマイクで話す。
    音響は音で。照明はマイクを使って声で答える。
    ※この照明の声がこれまでの「声」であると良いが、照明担当が声出しを苦手とする場合、音響が変わりに答えても良い。
    ※この場合の音響席と照明席は、客席後方にあることを想定している。

私 サヤカ、照明タイミングバッチリだったよ! コトハも、音の大きさ良い感じ!

    音響は「ありがとうございます!」あるいは拍手等、明るめののSEで答える。

声 (もし役者のミスがあれば指摘しつつ)本番お客様が入るの考えると、音量はもう少し大きくても良いかも。
私 確かに。でも、スピーカー前に座る人がいたらしんどくない?
声 そこは仲いい友達に座ってもらえば?
私 それだ! じゃあ、コトハはもう少しボリューム上げていこうか!

    音響は「ありがとうございます!」あるいは拍手等、明るめのSEを少しボリューム上げて答える。

私 どうかな?
声 いいんじゃない?
私 じゃあ、これくらいの音量で。コトハ、時間は大丈夫だった? 60分以内?

    音響は明るめのSEで答える。

声 そこは声でいいだろ。
私 後で詳しく聞かせてね! よし。じゃあ、後は本番を迎えるのみ、か。じゃあ、音響も照明も片付け始めてね!(と、マイクを離し)片付けますか。と言って、椅子しか無いけどね〜。

    と、私は椅子を手に取って舞台を軽く見渡す。

声 ……あのさ。

    と、私は慌てて椅子を置いてマイクを持ちなおす。

私 なに? なんかミスあった?
声 いや、後でもいいんだけど。
私 舞台で振り返ることは舞台でしたほうがいいからね。言って大丈夫だよ。
声 やっぱり話したほうが良くない?
私 あ〜「演じたい理由」?
声 そう。
私 台本選んだ時に、「そこはお客様の想像に任せよう」ってなったよね?
声 でも、答えが無いのってもやもやするからさぁ。
私 台本にも書いてあったでしょ?(と、マイクを外し台詞として)「演じてみたいと思ったのには理由がある。その理由を僕はわかっているけれど、僕を演じる誰かはわからないかもしれない。」
声 言ってたね。でも、わかってるんでしょう?
私 うん。でも「僕を演じる誰かを見ているあなた達もわからないかもしれない。」
声 かもしれない。
私 「今は理由を言わないけれど、もし気がついても口には出さずに心にしまっておいてほしい」
声 上演中はお喋り禁止だからね。
私 「そんな大層な理由じゃないけれど、口に出せないから、僕は演じることを選んだのだから」
声 いや大層な理由じゃないなら言えよ。
私 (と、マイクを持って)一々突っ込まないでくれますか〜?
声 ごめん。つい。
私 本番で、ツッコミ思い出して笑っちゃったら、サヤカのせいだからね。
声 ごめん。でも、同じように思う人多いと思うよ。
私 ……多分、この人は、「一人でも負けない」って言いたかったんだと思うんだ。
声 だろうね。
私 あの人が、誰かの死という喪失さえも文学に変えたと書かれているように。この人は、機会を失っても一人で頑張りたいって思った。流されても「負けない」ことを残すことで、振り返った時にも、「今」を悔やまずにいたいと思った。孤独でも、強くあろうとした。
声 うん。
私 でも。
声 でも?
私 (と、マイクを外し)私は、それは違うと思う。
声 え?
私 僕が一人じゃなかったように、あの人だって、決して一人なんかじゃなかったはずだから。
声 気持ちがわかるんじゃなかったの?
私 わかるよ? わかるけど、でも、違うんだよ。
声 わかるけど。違う?
私 「一人でも負けない」って言いたいんだってことはわかる。でもね、違うんだ。だいたいね。「一人に負けない」って思う時点で、それってつまり「一人は嫌だ」って言っているようなものなんだから。一人を受け入れている人はね、そもそも「負けない」なんて思わないんだよ! だって、一人であることは当たり前にあることなんだから。私は言いたい。僕はたった一人で頑張ってたように書いているけど、でも僕が舞台をやれたってことは、スタッフとして助けてくれた人がいて、中止にはなったけど大会のために準備をしてくれた人がいたんだ。もっと言うなら、毎日僕の成長のために気を配ってくれる家族がいてこそだし、そもそもあの人がいなかったら作品自体出来ていないんだから、その時点で一人じゃないんだよ! 色んな助けがあって、支えがあって。僕は舞台に立ててたんだ。「負けない」なんて口にする前に、周りを振り返って、本当に自分が一人かどうか確かめてみろと! お前の食事は誰が作ってくれているんだと! 下着を洗った後干してくれているのは一体誰だと!
声 うちは洗濯乾燥機使ってるから、下着は干さないかなぁ。
私 そういう事を言いたいんじゃない! まあ、だから僕の理由を語ると、色々言いたくなるから、言わなくていいかなって。大体、あたしだって役者一人だったからこうして一人舞台やってるけどさ。照明で手伝ってくれるサヤカがいて、音響やってくれるコトハもいて。それで舞台に立っているわけだし? その時点でひとりじゃないし? いや、そもそも本当に一人なら演劇やれないし? いやでも最近は配信でって方法もあるから、カメラを回しておけば自分で撮ってってやって完全に一人でもできるのか? とか、色々考えて何が言いたいのか分からなくなるわけですよ。
声 なるほどね。でも、やっぱりいると思うよ?
私 ん?
声 自分は一人だって思う人。
私 うん。いると思う。たった一人で。立っていて。周りの誰かはみんな風景の一部でしかなくて。……寂しくて。それでも、一人でいるしかなくて。風の中に、ひとりいるみたいで……。

    私は客席を見る。
    一人だと感じている誰かを探すように。
    そこにいたんだねと見つけるように優しく微笑む。

声 「僕」は、そうだったのかな。
私 多分。
声 ……あの人は、どうだったんだろう。

    私は客席の一人ぼっちの誰かにも伝えるように語る。

私 あの人は、独りだったけど、でも、一人にならない道を選びたいと思っていたんだ、と思う。
声 そうなの?
私 だって。祈りのような、ううん。誓うかのような言葉だったでしょう? 
声 誓う?
私 僕が最後に口ずさむように語った言葉は、あの人が病床で書いた言葉だって言われているんだ。
声 「雨ニモ負ケズ」?
私 あの人は、作品として発表するつもりなんてなかったんだと思う。だから、「雨にも負けず」で始まるあの言葉たちの最後には、本当はあの人が信仰していた宗教のお経が書かれていたんだって。
声 そうなんだ?
私 独りを感じても、あの人は一人でいようとはしなかった。孤独に負けないよう生きるんじゃなくて、誰かとあろうと動こうとした。きっとそういうものなんだよ。耐えるんじゃなくて。待つのでもなくて。動きさえすれば、きっと。孤独じゃなくなるはずなんだ。
声 そうなのかな?

    私は見えない誰かではなく、サヤカに意識を向ける。

私 ……わからないけどね。
声 わからないんかい!
私 だって私もまだそんな生きてないし。本当に孤独を感じている人が、一人で動いてどうにかなるほど世界が優しいとも思わないし。
声 そうだね。
私 でも。
声 でも?
私 孤独を感じた誰かが動いた時に、受け止めてくれる世界であってほしいとは思う。
声 ……そうだね。
私 ……よし、やっぱりラストはフルであの人の言葉を読もう。
声 どういうこと?
私 もしかしたら伝わるかもしれない。今独りの人にも、最後まで誰かとあろうとした人の言葉が届けば、何かが動くかもしれない。そんな祈りを最後に込めたい。
声 届くと思う?
私 届かせるんだよ! だから、サヤカ! コトハ! おねがい! 手伝って!
声 コトハ〜どうする?

    音響は明るめのSEで答える。

声 そこは声でいいだろうって。
私 サヤカも良い?
声 やりたいんでしょ?
私 やりたい!
声 じゃあ、手伝うよ。一人じゃないんだから。
私 ありがとう!

    風が強くなる音。
    客席が暗くなる。

13 それでも「雨にも負けず」

    暗転中に私は台本を持ち、僕となる。
    暗い中、僕の言葉が聞こえだす。
    徐々に舞台は青くなっていき、舞台に戻った僕を青く染めていく。
    やがて僕はいつかの時間の風景となる。

僕 ………作れなかった舞台のラストを変えて、作品として残すことにした。もしかしたら、演劇部はなくなっているかもしれない。まだあっても、部室はなくて、台本も処分されているかもしれない。でも、もし残っていたら、見えないけれど確かにいた僕の証を、誰かが見つけてくれるかもしれない。僕がやりたかったことが何かを知って、受け止めてくれるかもしれない。そんな偶然を僕は祈る。

    僕は台本を椅子に置く。
    椅子が照らされる。僕が詩を語るほどに辺りは暗くなっていく。
    僕が語る言葉は、先の言葉よりも力が抜けている。

僕 ……雨にも負けず 風にも負けず 雪にも、夏の暑さにも負けない丈夫な体を持ち。欲は無い……というわけでもなく。だけど、決して怒らず。いつも静かに笑っている……。

    声が聞こえてくる。僕の声とは少し違って聞こえる。
    それは照明のサヤカのもの。

声 一日に玄米四合と、味噌と少しの野菜を食べて……

    声に風の音が混ざり始める。声は風に紛れず聞こえ続ける。

声 あらゆることを、自分を勘定に入れずに。よく見聞きしわかり、そして忘れず。野原の松の林の陰の小さな藁葺の小屋に居て

    風の音が強くなる。
    風に負けず声は立ち向かうように重なり増える。
    僕ではなく、私として。声はそのまま続き、
    飛ばされそうな風の中、私は台本を抱え必死に立っている。
   
声 東に病気の子供がいれば
私 行って看病してやり
声 西に疲れた母がいるなら
私 行ってその稲の束を背負い
声 南に死にそうな人がいたら
私 行って
私&声「怖がらなくて良いよ」
私 と話し
声 北に喧嘩(けんか)や訴訟(そしょう)があれば
私 行って
私&声「つまらないからやめろ!」
私 と言い
声 日照りの時は
私 涙を流し 寒さの夏は
声 オロオロ歩き
私&声 「みんなに」
私 ……デクノボーと呼ばれ
声 褒められも、せず
私 苦にも、されず
声 そういうものに
私 ……私は! なりたい。

    私はまっすぐ客席を向いている。
    風が強く吹いている。搖らがず私は立っている。
    徐々に舞台の上の一つの青い風景となりながら、私は微笑む。
    独りかもしれない誰かに。一人じゃないと告げるように。
    私はひとり立っている。
    抱えていた台本を私は真上に投げた。台本はバラバラとなり、
    過去に書かれた言葉と今書かれた言葉が私に降り注ぐ。
    幕が下りてくる。




参考文献
宮沢賢治の生涯 http://www.dekunobou.com/plofile.htm

宮沢賢治作品より
「蜘蛛となめくじと狸」
「双子の星」
「銀河鉄道の夜」
「永訣の朝」
「春と修羅」
「雨ニモ負ケズ」


あとがき

コロナ渦という数年間で、自分の演劇への考え方が色々と変わったのを感じています。
大体いつも、台本を書く時には一番尖っていた頃の自分に見せるようなつもりで書くのですが、
今回はとても当時の自分に突き刺さる作品となりました。

あの人(あえて作品の中と同じ書き方をします)の作品を舞台化したいという気持ちはずっと持っていて、
まずは一つ、どう自分が受け止めているのかを言語化しようとしたのが今回の作品のきっかけです。
受け止め方は人それぞれなので、「いやいや、全然解釈違いだよ」と感じる方もいるかと思います。
まあなんとなく、「そういう受け取り方もあるかもね」くらいで受け取ってもらえれば幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。