あなたのために出来ること 母  坂崎克美 姉   弟   使者  女   とある家のリビングを中心に物語は進む。 季節は特に問わないが、秋ごろ。 0 使者が浮かび上がる。添乗員のような恰好。 あたりのざわめきを押さえるような動作の後、 使者 皆様、こんばんは。本ツアーにご参加ありがとうございます。出発予定時間まで、まだお時間ございますが、悔いのない旅路のため、出発に先立ちまして参加メンバーの確認をさせていただきます。名前順で失礼します。安西エンジェル様。はい。いらっしゃいますね。小林四六四九(よろしく)様。(と、やや膝を折り目線を合わすようにして)……はい、こんばんは。坂崎克美様。……坂崎様?坂崎克美様。……(と、ファイルの人数と実際の人数を照らし合わせ)は遅刻ですか。では、皆様搭乗口へご案内いたします。こちらへどうぞ。……迷っているのかな。 使者が去る。 1 暗がり。とある家の居間。 舞台上にちゃぶ台。そのわきには洗濯物の山。 上手袖は玄関やキッチンに少年の部屋。 下手袖は台所や姉や両親の部屋となっている。 母が座っている。ぼんやりと何かを待っている。 ドアの開く音。弟が帰ってくる。制服姿。 電気がつく。 弟 ただいま。 母 おかえりなさい。洗濯物、入れてくれる?    無言で少年は去る。    母はコウイチが去った方向を見て、 母 あ、コウイチ! 引っ張らないで。いつも言ってるでしょ。洗濯ばさみ壊れちゃう。シャツも傷むって。お父さんのシャツなら問題ないけど、ノゾミの服だと、あの子うるさいから気をつけて。ああ、またそんなぐしゃっとして。本当がさつなんだから。    弟が洗濯物を持って戻ってくる。    山に加えて、自分のだけ取る。他は放っておく。 母 ……今日、学校どうだった? 弟 (つぶやくように)疲れた。 母 お疲れ様。 弟 辞めようかな。部活 母 何言ってるの。レギュラーになれたって、あんなに喜んでたじゃない。 弟 受験もあるし。 母 受験生になってから受験のことは考えたらいいの。まだ二年生なんだから。 弟 おなか空いた。(と、立ち上がると台所へと去る) 母 そうね。おなか空いていると良い考えなんて浮かばないものね。冷凍庫にまだ何か入ってたと思うから適当に食べて。ね。明日になったら、きっとまた部活を頑張りたくなってるから。母さん、ずっと応援しているんだから。 レンジの音。 母 ああ、コウイチ。またそんなところで食べて。お台所はご飯作るところ。「食べるのはリビングで」っていつも言ってるでしょ。そういうのやってるとね、いざ一人暮らしして彼女を部屋に連れ込んだ時に鍋のままおかず出したりして、「え、何この人、すぼら?」って引かれることになるんだから。 と、ドアの開く音。 姉が入ってくる。会社員姿。 姉 (と、洗濯物を見て)なにこれ。 母 おかえりなさい。お仕事お疲れさま。 姉 (弟に)ちょっと! なによこれ。 母 コウイチも頑張ってるから、あまり怒らないであげて。ね?    と、弟がやってくる。 弟 おかえり。 姉 ただいま。洗濯物入れるのは良いけどさ。なんで畳まないわけ? 母 あの、だからね、 弟 自分の分は自分で畳めよ。 母 そう。それが良いと思うの。 姉 あたしは毎日、あんたの分も干してるんだけど? 母 そうね。それ言われちゃうと、母さん何も言えない。 弟 俺が畳むと、文句ばかり言うくせに。 姉 そりゃ仕方ないでしょ。あんた畳むの下手なんだから。 弟 人のこと言えないだろ。 姉 いいから畳んどいて。あたし疲れてるんだから。 弟 俺だって疲れてんだよ。 姉 あんたのは好きでやってんでしょ。あたしは働いてんの。 弟 (舌打ち) 母 こら、舌打ちしない。 姉 シャワー浴びるから、その間にやっておいてよ。 姉が去る。 母 ごめんね。でも、お姉ちゃんも毎日大変みたいだから。 弟が洗濯物をたたみ出す。 母 ああ、そこちゃんと袖伸ばして。わきのところ皺出来ちゃう。 と、弟は洗濯物を一度崩す。また畳む。が、また納得行かないようで崩す。 携帯が鳴る音。 母 コウイチ、電話。 弟 (と、電話に出て)もしもし。ああ、別に大丈夫だけど。なに? 課題? え、あったっけ?ちょっと待ってて。 と、弟が去る。 母 あんまり長電話しちゃダメだからね。……二人とも心配だわ。あたしに何か出来ればいいんだけど。 2 と、使者が現れる。 使者 何も出来ませんよ。 母 え? 使者 探しましたよ。坂崎克美さん。 母 すいません。ちょっと家が心配だったので。 使者 出発には確かに同意されてましたよね? 他の方々はきちんと集まってくれましたよ。 母 いきなりだったもので。準備も何もしてなくて。 使者 皆さんほとんどの方がそうですよ。それでも折り合いをつけているんですから。 母 それはわかっているつもりなんですけど 使者 克美さんの場合は十分な時間があったほうですよ。 母 でも、こんな急になんて。下の子はまだ中学二年生なんです。これから進路なんかで悩むとき、父親だけしか相談に乗れないなんて。 使者 上のお子さんは社会人でしたよね。なんとかなるものですよ。 母 ノゾミは無理しやすいから心配で。コウイチともぶつかりやすいし。なんだか前に見た時よりも雰囲気がとがって見えたし。ああ、考えていたらよけい心配になってきた。あの、もう少しだけ出発を遅らせることって出来ませんか? 使者 今のあなたにはほとんど何も出来ません。遅らせたところで何も変わりません。それよりもこれ以上遅れると、不の感情を溜めやすくなります。良くないですよ。 母 それはそうなんですけど……「ほとんど」? 使者 分かったなら行きましょう。 母 あの、ほとんどってことは、何か出来ることがあるんですか? 使者 大したことは出来ませんよ。 母 あるんですね!?なにか、出来ることが! 使者 ほんの少しものを動かしたり程度は。せいぜい驚かれる程度ですよ。 母 料理! 使者 はい? 母 料理はどうですか?あの子達に私の料理を食べてもらうんです。そうすればきっと、 使者 きっと? と、あたりの空気が変わる(母の妄想の景色) 弟(寝間着姿)姉(寝間着姿。風呂上り風)が現れる。 ちゃぶ台を見る。ちゃぶ台には料理が置いてあるようだ。 弟 なんだこれ。姉貴が作ったの? 姉 私が料理なんて作れるわけないでしょ。父さんかな? 弟 まあいっか。いただきまーす。 姉 いただきます。 姉&弟 ……これは、 弟 母さんの味。これ、母さんの味付けだ! 姉 母さん、あたしたちのこと見守っててくれてるんだ。 弟 姉貴。 姉 なに? 弟 最近態度悪くて、ごめん。 姉 あたしこそごめん。 弟 俺も 姉 頑張らないとね、あたし達。 弟 うん。 姉と弟が去る。景色が元に戻る。 母 ってな感じにね。なるかなって。 使者 うーん。それはどうだろう。 母 そうと決まれば早速、 と、母は去る。 使者 細かい作業は出来ませんよ。 母(声) 大丈夫です。混ぜて炒めるだけだから。 使者 それで母の味って伝わるんですか? と、バキンという小さく何かが割れる音。 使者 あ。 しょんぼりした母が、大きめの計量カップっぽいものと、 ついていただろう取っ手(Uの形をしている。)を持って現れる。 母 力加減がうまく出来ませんでした。 使者 とりあえず、それ置きましょうか。見つかったら驚かれちゃいますから。 母 はい。 と、計量カップと取っ手を置く。 使者 さあ、行きましょうか。 母 待ってください。まだ何かできるはずです。 使者 なにも出来ませんよ。 母 料理はできなかったけど、掃除……は、こんな時間にやったら迷惑だから。洗濯、 使者 取込み済みですね。 母 そうだ。洗濯物を畳むっていうのは?それくらいだったら。出来ますよね?畳まれた洗濯物を見たら、うちの子たちならわかる。あたしが来たって。そしたらきっと、 使者 きっと? と、あたりの空気が変わる(母の妄想の景色) 先ほど出てきたときと同じ格好の姉と弟が現れる。 2人の視線の先には洗濯物が畳んであるようだ。 弟 なんだこれ。全部綺麗に畳んである。姉貴が畳んだの? 姉 あんたじゃないの? 弟 俺がこんな風に畳めるはずないだろ。 姉 それはそうね。じゃあだれが……これは、 姉&弟 母さんの畳み方。 弟 これ、母さんの畳み方だ! 姉 母さん、あたしたちのこと見守っててくれてるんだ。 弟 姉貴。 姉 なに? 弟 最近態度悪くて、ごめん。 姉 あたしこそごめん。 弟 俺も 姉 頑張らないとね、あたし達。 弟 うん。 二人が去る。景色が戻る。 母 ってな感じにね。なるかなって。 使者 うーん。それはどうだろう。(と、落ち込む母の姿を見て)……まあ、ほら、挑戦してみたらいかがです? ここまで来たら、私もあなたが納得されるまで付き合いますよ。 母 ありがとうございます。では、いざ。 と、母は気合を入れてTシャツを畳みだす。 そのTシャツちょっと昔によくあった「I愛(ハート)○○」なシャツ。 使者 あんまり気合いを入れすぎると、また力加減で失敗しますよ。 母 そうですね。微妙な、絶妙な、力加減で、(と、一枚のシャツを時間をかけて畳む)わきの部分まで、繊細に……できた。 と、畳んだシャツを洗濯物の山の上に置く。観客には「I愛」の字が見える。 母はその場に崩れる。 使者 克美さん!?大丈夫ですか。 母 シャツ一枚で、こんなに、疲れるなんて。 使者 それだけ繊細な力の使い方をすれば、当たり前ですよ。 母 こんな簡単なことさえ、出来ないんですね。コウイチにも、ノゾミにも、何もしてあげられない。 使者 ……もう十分でしょう?出来るだけのことを、あなたはしましたよ。 母 何も出来ないんだ。あの子達のために出来ることなんて何も。 使者 それがこの世界のルールなんです。さ、行きましょう。 母 私に出来ることは何もない。何もない。何も。 使者 いけません克美さん。心を落ち着けてください。不の感情に引っ張られては(いけません) 電気点滅する。 母 何もない。何もない。何も。 使者 落ち着いてください。克美さん!  母 何もない。何もない。 使者 克美さん! と、寝間着姿の姉がやってくる。 反対からは不安げな顔の弟。 姉 ちょっと、いたずらはやめてよ。 弟 姉貴、何するんだよ。今電話して……。 姉 え、なにこれ。 弟 なんだこれ。 姉 あんたがやってるんじゃないの? 弟 こんなの、どうやったら出来るんだ。 母 私に出来ることなんてない。出来ることなんてない。 使者 克美さん! 騒がしいラップ音がする。 姉弟は悲鳴を上げて抱き合う。 弟 姉貴! 姉 コウタ!    姉弟の悲鳴が響き渡る。 3 女 ただいまー。 と、のんきな声が聞こえる。女が現れる。姉に似ている。母にも似ている。そんな風。 空気が元に戻る。 母 ……ノゾミ? 姉 お母さん! 弟 母さん! 女 どうしたのあんた達。 弟 どうしたのじゃないって! 姉 この状況見て分からないの!? 女 この状況?って、ああ! 誰。計量カップ壊したの! コウタ? 弟 俺じゃないって。 女 大きいサイズなかなか売ってないのに。 姉 そうじゃないでしょ! 女 じゃあなに?あ、また洗濯物入れっぱなし。いつも言ってるでしょ。ちゃんと畳んでって。ヒロミ。あんた社会人になったんだから。自分の分くらい自分で畳みなさい。 姉 それどころじゃないんだって! 弟 姉貴。 姉 なによ! ……収まってる? 女 なんだって言うのよ一体。 姉と弟は今あった出来事を女に説明し始める。 呆然と母はそんな家族を見ている。 母 ……どういうこと? ノゾミが2人……。 使者 言いましたよね。出来ることはないって。時々あるんです。自分がいつ眠りについたのか気づかないまま、長い時間を過ごす人が。 母 じゃあ、私が死んで…… 使者 あなたが思う以上の時が流れています。 母 ……なら、あの子たちは。 使者 ノゾミさんのお子さん。あなたの孫というわけですね。 母 私に孫が……そう。ノゾミは幸せなのね? 使者 あの顔を見て、分かりませんか? 女 まったく。2人して馬鹿なこと言って。お母さんをだまそうとしても無駄だからね。 笑って取り合わない女に対して、無性演技で姉と弟は言い募る。 母 ……よかった。私がいなくても、ノゾミは幸せに過ごせていたのね。 使者 あなたが思っているより、人は強いんですよ。 母 何も心配することなかったのね。ごめんなさい。おまたせしちゃって。 使者 もういいですか? 母 はい。行きましょう。コウイチがどうしているかを見られないのは残念だけど。 使者 少し寄り道してから参りましょうか? 母 ……いいの? 使者 ええ。悔いのない旅路が我々のモットーですから。 母 コウイチは何をしているの? あ、別に心配しているわけじゃなくて。ノゾミがお母さんやっているってことは、コウイチも子供がいて、しっかりお父さんやってるのよね? 使者 現在彼はフリーターです。 母 なんだか急に不安になってきた。 使者が去る。 母も去ろうとして、振り返る。 ちょうど女が洗濯物に目をつけていた。 女 ほら、みんなでやれば早いんだから、洗濯物畳むよ。それからご飯にするから。 姉 はーい。 弟 ご飯ならもう食べたよ。(と、言いつつ近くの洗濯物を手にする) 女 あんたはまた勝手に食べて。こら、適当に畳まないの。 弟 どうせすぐ着るんだから良いだろ。 女 皺が出来ちゃうでしょ。ほら、お姉ちゃんを見習いなさい。(と、母が畳んでいた洗濯物を取る)こんなきれいに畳んでるじゃない。 姉 それあたしが畳んだやつじゃないけど。 女 え?……じゃあ、コウタ? 弟 違うけど。 女 じゃあだれ。……待って。この畳み方…… 驚く女 音楽 微笑んで手を振り母は去る。 姉と弟は不思議そうに女2を見ている。 明かりが「I愛」のシャツと「U」の字の取っ手に当たる。 音楽が高まって溶暗 完