ヒヒバァサンとボゥとした夏
作 楽静
登場人物
僕 カネダユウヤ(金田悠也) | 中学3年生/高校2年生 秀才 |
タマノン タマノカズヨシ(玉野和義) | 中学3年生/高校2年生 のんびり |
トシ スズキトシオ(鈴木俊夫) | 中学3年生 坊主頭 |
ヒヒヒバァ ヒサカコハル(日坂小春) | 年齢不詳(おばあさん)いじわるババア |
委員長 タカギヒナ (高木陽菜) | 中学3年生 しっかり |
マッチ マチヤチカ (町谷智香) | 中学3年生 やんちゃ |
妹 カネダノゾミ (金田望) | 小学6年生/中学2年生 おませ |
ヒー坊 ヒサカナナミ(日坂七海) | 小学6年生/中学2年生 クール。 |
泣き田 ナギタヨウコ(凪田葉子) | 新任先生(25歳) 泣き虫 |
ミキ オノハラミキ(小野原美紀) | 高校3年生 高嶺の花 |
現在の夏と2年前の夏が交差する物語。
物語のほとんどは金田家とその隣にある空き地で進む。
閑静な住宅街にある空き地は、この町の地主の土地の一つであったと言う。
利用価値の難しい立地条件のため、マンションにするか家を建てるか
駐車場にするかもめているうちに空き地のままになってしまった空間。
その空間は金田悠也ら近所の子供にとっての貴重な遊びの場となっていた。
金田家と共にその空間を挟むように日坂家が立っている。
日坂家は舞台上に見えなくてもかまわない。
日坂家のブロック塀だけが見えている。そこからヒヒバァは顔をのぞかせる。
金田家や日坂家の前にある道路は、一方通行となっており、車もほとんど通らない。
したがって子供達は空間及び道路を使って遊ぶことになる。
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舞台に喪服(or制服)の登場人物たちが現れる。
下手よりミキ・タマノン・妹・僕・マッチ・トシ・委員長
僕 高校受験を控えたあの夏。僕は一人になりたかった。
6人 20△△年の8月14日。空き地を挟んで隣にある日坂家で事件は起こった。
※ △△には上演年の二年前を入れる
舞台下手がうっすらと明るい。
ミキ・タマノン・妹が体をずらす。
そこには横たわったヒヒバァと、必死に呼びかけるヒー坊の姿がある。
ヒヒバァは後頭部を強く打った模様。苦しそうに話す。
ヒー坊 ばあ、ちゃん? ばあちゃん。ばあちゃん! お父さん、お母さん、ばあちゃんが。え? なに、ばあちゃん。何? なんて言いたいの?
ヒヒバァ ぼう……
ヒー坊 「ぼう」?
ヒヒバァ ぼお……
ヒー坊 「ぼう」? なに、ばあちゃん。ぼう?
ヒヒバァ ぼうー……に……
ヒー坊 ばあちゃん!
僕が喋りだすと、ヒヒバァとヒー坊に当たる明かりは消え、
ヒヒバァはタマノンとミキに運ばれていく。ヒー坊も去る。
マッチ 20△△年8月14日。終戦記念日の一日前。
トシ 日坂小春は玄関から出たところを何者かに突き飛ばされるようにし転び、後頭部を強打し昏倒した。
妹 日坂小春は、どこかの絵本に出てくる魔女のように、ヒヒヒと笑う老婆だった。
ミキ だから近所ではヒヒバァと呼ばれていた。
タマノン ヒヒバァが倒れたその日、彼女が残した「ぼう」という言葉をめぐって俺たちは話し合い、
僕 僕は一人になった。希望したとおりに独りになった。
委員長 無謀な恋をした夏
ミキ 冒険者になった夏
トシ 希望と
タマノン 羨望と
マッチ 願望と
妹 失望の夏
登場人物は僕を残して去っていく。
僕 あの夏。傍観者だった夏。夏が終わると共に、僕は乱暴に記憶にふたをした。思い出さないように。忘却のかなたへ。
そして、2年。またあの夏がやってきた。今年は、坊主の唱えるお経の音と共に。
1 20××年 8月 夜
※ ××には上演年の年をいれる。
日坂家からお経の音色が聞こえる。
僕はあたりを見渡す。
夜の風景が広がる。
ちょうど空いた空間に立ち、日阪家を見、そして自分の家を見る。
タマノンがやってくる。
制服を脱いで半そでワイシャツだけのリラックスした格好。
ヒー坊声 あまり遠くに行かないでよ。
タマノン (声に)分かってる。(僕に)ひどいよ金(きん)ちゃん。帰らないでって言っておいたのに。
僕 いや、久々だからさ。周り、見ておこうかと思って。
タマノン どのくらいぶりだっけ?
僕 いや……あ、そうだ。えっと、この度は、その、
タマノン 止めてよ。急に改まって。てか、俺に言わないでよ。
僕 結構動いてたみたいだけど。
タマノン 動かされてたの。たまんないよ。夏休みだからって朝からずっとだよ。お酌までさせようとするんだから。 俺、高校生なのにさ。
僕 さすがヒヒバァの身内だ。
タマノン だね。ノゾミちゃんが手伝ってくれて、助かってるよ。俺とは口利いてくれないけど。
僕 あいつ、ヒー坊にべったりだったから。
タマノン だね。(笑う)懐かしいな。
僕 なに?
タマノン 「ヒー坊」
僕 ああ。さすがにもう呼べないな。
タマノン 呼んだら激怒するよ。
僕 だろうなぁ。
ふと会話が途切れる。
お経の声が響く
タマノン 懐かしい?
僕 うん?
タマノン ここらへん。
僕 うん。
タマノン どのくらいぶりだっけ?
僕 中学卒業して以来だから……。
タマノン そんなに?
僕 あ、ほら、高校、寮入ったろ? 帰るの面倒で。
タマノン そっか。
僕 うん。バイトもしなきゃいけないしさ。
タマノン 大変だね。
僕 うん。
会話途切れる。
お経響く
僕 タマノンは、どこ受かったんだっけ?
タマノン ここから一番近いとこ。
僕 トシも?
タマノン トシは一個ランク落としたんだ。
僕 もしかして?
タマノン うん。町谷さんも。二人で一緒に通ってる。
僕 仲いいな。
タマノン ね。
お経の声が響く
僕 静かだな。ここらへんは。
タマノン そっちは? やっぱり違う?
僕 昼間は大して変わらないよ。夜は……そりゃここよりはうるさいかな。
タマノン ちょっと田舎だからね。
僕 うん。
タマノン 一応ね。
お経の声が響く
タマノン 聞いていい?
僕 うん?
タマノン 聞かないの?
僕 いや、「聞いていい?」って聞いたのお前だよね?
タマノン 委員長のこと。聞かないの?
僕 (ため息)……本当は来るつもり無かったんだ。今日も。
タマノン うん。
僕 今更だって気持ちの方が強かったし。そりゃタマノンから電話もらった時は懐かしかったけど。……断ろうって思ってた。
べつに、そこまで義理がある人じゃなかったし。
タマノン うん。多分来ないだろうなって思ってた。
僕 ……手紙が来たんだ。
タマノン 手紙?
僕が手紙を見せる。
タマノが受け取る。
タマノン 『日阪小春 葬儀のお知らせ』……こんなの出したかな。
僕 最後、見てみろよ。
タマノン ……たかぎ ひな。
僕 それ、確か委員長の名前だよな?
タマノン 覚えてたんだ。
僕 どうして、委員長……高木さんがヒヒバァのことで手紙を出すんだ? しかも、俺に。
タマノン それで来たんだ。
僕 タマノン、知ってるんだろ?
タマノン うん。
僕 どういうことなんだよこれ。何で今更。
タマノン 教える代わりに、聞いていい?
僕 何を?
タマノン あの日、なんであんなこと言ったの?
僕 あの日?
タマノン どの日かは、分かるよね?
僕 それこそ今更だろ。
タマノン 今更じゃない。今だから。あの日、金ちゃんがあんなこと言わなかったら、色々変わっていたかもしれないんだから。
僕 だから、今更だろ。
タマノン でも、知りたいんだ。俺は。知りたかったんだ。ずっと。
僕 ……一人になりたかったんだよ、僕は。ずっと。それだけを望んでたんだ。
あたりが暗くなっていく。
お経の声が遠くなり、蝉の鳴き声が大きくなっていく。
2 20△△年 夏 その1
蝉の鳴き声が切れた瞬間、ボールが打たれる音がする。
舞台が明るくなると、おもちゃのバットを持ったマッチと、
ボールが行く方向を見上げているトシ、マッチの後ろで呆然としているタマノンがいる。
三人とも中学校の夏服姿。
マッチ よっし。いい手ごたえ。
トシ 打ち上げただけだろ。こんなものアウトだアウト
タマノン 飛ぶんだなぁ。おもちゃのバットでも……って、俺のボール!
トシ くそっ。眩しくてどこに行ったのやら
タマノン あ、トシ! あれ!
トシ どこ?
マッチ (眩しそうに空を見て)飛んだなぁ。
タマノン 後ろ後ろ。
トシ (顔を眩しそうにしかめながら)後ろ?
タマノン 下がって。もっと!
トシ 待てよ。全然見えなくて。
マッチ あ、やばくない?
タマノン ほら! 後ろ!
トシ だから、どこだって!
タマノン あ。
どうやらボールは日坂家の庭に落ちたらしい。
トシ え?
マッチ あっちゃあ。
トシ (二人の目線を追って)……まじ?
タマノン ヒヒバァんち。
トシ うそ。全然見えなかったぞ。
マッチ 落ちたよ。
トシ まじで。
タマノン だから止めようって言ったのに。
と、ミキさんがやってくる。少し着飾った格好。
マッチ あ、ミキさん。
タマノン え、あ、おはようございます。
トシ (口の中でごにょごにょと)おはようございます。
ミキ おはよう。今日も暑いね。
マッチ お出かけですか。
ミキ うん。ちょっとね。学校だったの?
マッチ あー。まぁ、そんな感じです。
ミキ サボり?
マッチ 違いますよ。(タマノンに)ね?
タマノン え、まぁ、似たような感じかと。
マッチ たまの、バカだから。
タマノン それそっくり返すからね。
ミキ 受験生だもんね。夏休みなのに大変だ。
マッチ ですよねぇ。
トシ (突然大声で)ミキさん!
ミキ え? なに?
トシ (大声で)おはようございます!
ミキ お、おはよう。トシ君は元気だね。
トシ (大声で)元気です!
ミキ (苦笑しつつ時間を思い出し)あ、じゃあ行くね?
マッチ いってらっしゃい。
ミキ 三人とも、熱中症には気をつけてね。
ミキが去る。
トシ (大声で)ミキさん、いってらっしゃい! お気をつけて!……よし。(マッチとタマノンの視線に気づき)……なんだよ。
マッチ (タマノンに)ね?
タマノン うん。
トシ なんだよ。
マッチ ほんっと、ガキだよね。トシって。
トシ 意味わかんねーよ。
マッチ 分からないところがガキだって言ってんの。
トシ 同い年だろうが。
マッチ 精神年齢の事を言ってるのですよ。私は。
トシ たいして変わらないだろ。
マッチ 大いに変わると思うけどね。
トシ なんだよ。マッチのクセに。
マッチ マ・チ・ヤ。勝手に人の名前略さないでくれる?
トシ 略すも何も体形がマッチ棒なんだからマッチなんだよ。マッチ棒をマッチって言う以外になんて呼べばいいんだかこっちが教えて欲しいね。
マッチをマッチって言って何が悪い(んだよ)
トシが言い終わる前にマッチはトシをバットではたいている。
トシ いってぇ!
マッチ 殴るよ?
トシ 殴る前に言え!
マッチ 今のは撫でたつもりだったの。
トシ すぐ火がつくところもマッチ棒そっくりだな。
と、その台詞の終わりにはもう一発バットではたいている。
トシ いってぇ!
マッチ 殴るよ?
トシ だから殴る前に言え!
マッチ ちょっと撫で方が弱かったみたいね?
トシ 待てよ! タマノン、ちょっとこいつ止めろよ。
タマノン マチヤさん。頭は止めてあげてね。これ以上悪くなったら可哀想だから。
マッチ 善処する。
トシ おい!
と、そこに僕がやって来る。
僕 やっぱりここにいたのか。
タマノン おかえり。
トシ 金ちゃん。いいとこに来た。こいつ止めてくれよ。
僕 やだよ。どうせトシが怒らせたんだろ。
マッチ よく分かってるじゃん。てことで、お前の味方はいない。
トシ くそっ ただでやられてたまるか!
と、言いつつトシは滅多打ちにあう。
僕は携帯をいじりだす。(メールを送っている)
タマノン どうだった? 補習。
僕 特別講習。一緒にするなって。
タマノン どうだった?
僕 別に。問題ないって。
タマノン いいなぁ。
僕 そう思うなら補習サボるなよ。委員長が困ってたぞ(携帯を閉じる)
タマノン だって、トシもマチヤさんも出ないって言うからさ。俺だけ出たらナキタ先生とマンツーマンだから。
僕 教室入って誰もいなかったら、ナキタさん、泣いちゃうだろ。
タマノン だよねぇ。
僕 (メールが入ったのか携帯を開きつつ)ま、もう遅いけどな。
タマノン え?
僕 どこか行くならカバン置いてくるけど。
タマノン うん。じゃあ、二人止めないとね。(と、マッチに)そろそろやめてあげたら?
僕が家に入っていく。
と、マッチはトシから離れる。トシが倒れる。
と、日坂家の方からヒー坊が歩いてくる。
男の子っぽい格好をしているが、女の子である。
ガムをかんで少し気取った歩き方。
倒れているトシを見て、わざわざ近寄る。
ヒー坊 ばか?
トシ く、屈辱だ。
タマノン 自業自得だよね。
マッチ ナナちゃん、お出かけ?
ヒー坊 デート。
マッチ ノゾミちゃんと?
ヒー坊 まあね。
トシ 女同士で気持ち悪。
ヒー坊 負け犬ってよく吼えるよね。
トシ く、屈辱だ。
タマノン 自業自得だって。
妹 いってきまーす。
妹が元気に家を出てくる。すぐにナナミに気づく。
妹 ナナ〜
ヒー坊は軽く手を上げ妹のほうへ行こうとする。
トシ くらえっ。
と、ヒー坊の足を倒れていたトシが払う。
倒れそうになったヒー坊をタマノンが支える。
(もし倒れちゃったら慌てて駆け寄る)
タマノン 大丈夫?
マッチ (トシに)何すんだこのバカ!(ト、バットではたく)
トシ ぎゃんっ
タマノン ……ヒー坊?
ヒー坊 ……(あり)がと。
タマノン うん。
ヒー坊はそそくさと妹による。
妹 大丈夫だった?
ヒー坊 ……。
妹 ナナ?
ヒー坊 うん。行こ。
妹 うん。
マッチ 二人とも気をつけてね〜。
妹 はーい。
ヒー坊と妹が去る。
タマノンは二人が去る方向を見ている。
マッチ たまの?
タマノ 女の子だよねぇ。
マッチ ね。可愛いよね。ノゾミちゃん。
タマノ あ、うん。それはそうなんだけど(俺が言いたいのはそっちじゃなくて)
トシ どっかの誰かさんと違ってな。
マッチ (バットを振りかぶり)どっこの誰の事を言ってるのか大きな声で言ってみな?
と、委員長がやって来る。
委員長 だめえええええーー。
思わず三人はびくりとなって止まる。
走ってきたのか、委員長はへとへとになっている。
委員長の声に気づき、僕は外に出る。
タマノン 委員長。
委員長 ストップ!駄目だよチカ! 殺しちゃだめ!
マッチ 殺し……そんなつもりないわよ!
トシ 助かった〜委員長ありがとう。
委員長 鈴木君だってね生きてるんだよっ
トシ え?
委員長 一寸の虫にも五分の魂っていうでしょ!
トシ 酷くない?
委員長 どんなカスでも檀家は檀家だ。ってお父さんも言っていたし。
トシ カス……
委員長 外道だろうと、あげるお経の長さは一緒だとも言ってたし。
トシ 外道……
委員長 第一鈴木君程度に怪我させても、
トシ 程度
委員長 チカは警察のお世話にならないといけないんだからね! 分かってるの? それがどれだけバカバカしいか。
トシ 泣いていい?
マッチ うん、えっとさすがに可哀想になってきたわ。
委員長 それでも、そんなに鈴木君ごときが気になるんなら、
マッチ いや、もういいからね?
トシ ごとき……
委員長 あたしがやる。
三人 はい?
委員長 あたしがチカの代わりに手を汚すわ!
委員長はマッチからバットを奪う。思わずトシは立ち上がり、
トシ って、ちょっと待てよ!
委員長 待たない!
トシ 坊さんの娘が殺生していいのかよ!
委員長 うちのお父さん生臭さ坊主だから大丈夫!
トシ 答えになってない!
僕 何やってんの?
委員長 え?
トシ 金ちゃん! 助かった〜。
僕 撲殺ゲーム?
委員長 え、あ、金田君、いたの?
僕 うん。
委員長 いつから?
僕 委員長が来てから。
委員長 へぇ〜。あ、これはね? 何でもないの。なんかね、転がってたから。うん。ゴミかなぁ。ね?こんなところにあると危ないよね
(と、ヒヒヒババアの家の方に投げる)ぽーい。
マッチ・トシ・タマノン あっ
委員長 なんちゃって。
マッチ あーあ。
タマノン 俺のバット……
トシ 諦めな。
僕 (トシに)補習サボってなにしてたの?
委員長 そうだよ。探したんだからね。ナギタ先生、困ってたよ。
僕 僕は、ここらへんにいるって言ったはずだけどね。
委員長 そうだっけ。
トシ お前らなぁ、見て分からないのかよ。
僕 分からないよ
トシ 分からないよな。野球だよ。野球。
僕 どうやって?
トシ タマノンからボールとバット借りてさ。
タマノン もう無いけどね。
ヒヒヒヒヒという笑い声が聞こえだす。
タマノン その時、突如雷鳴のようにあの声が聞こえた。それはまるで地の底から響く悪魔の声のようだった。天すべてを覆い尽くす暗黒の雲。
震える空気。不吉な臭い。
僕 いや、それは言いすぎ。
タマノン そうかな。すくなくとも、俺はそう思ったよ。
僕 もっとなんでもない感じだった思うよ。きっと、こんな風な。
ヒヒバァが顔を出す。
ヒヒバァ ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ(笑っている)
同時に
トシ・マッチ ヒヒバァ!
タマノン・委員長 ヒヒバァさん!
僕 ヒヒバァ……
ヒヒバァ あんたたちが探しているのは、この小汚いサインボールかい? それともこの小汚いバットかい? それとも、わたしのプリティーな笑顔かい?
トシ バットとボールに決まってるだろ
ヒヒバァ 二つもかい。欲張りだねぇ。
タマノン あの、それ二つとも俺のなんですだから、その
ヒヒバァ 返して欲しいかい?
タマノン はい
トシ てか、人のものなんだから返せよ。
と、泣き田がやって来る。三人の姿を見つけ、腕を組む。
ヒヒバァ ヒヒヒ。ヤ〜だね
トシ はぁ!?
ヒヒバァ うちに入ったものはうちのもの。庭の肥やしにでもしてやるさ。
トシ なっ
ヒヒバァ それにそんなこと言ってる余裕は無いと思うけどね。ヒヒヒ
トシ 何ふざけたことを言ってんだよ、
ヒヒバァが去る。
泣き田 ふざけたことをしてるのはどっちでしょうかね鈴木トシオ君?
トシ え?
委員長 先生!
タマノン・マッチ 泣き田先生……
泣き田 金田君からメールもらってきてみれば。玉野君に町谷さんまで。こんなところで何をしているの?
トシ メールって、金ちゃん!
僕 ごめん。見つけたらメールしてって頼まれてて。
マッチ 先生が生徒にメアド教えていいんですか。
泣き田 金田君には特別に許可しました。そうじゃないとあなた達を見つけることなんて出来ないと思って。
タマノン じゃあさっき携帯いじってたのは。
僕 そういうこと。
マッチ だからって……
泣き田 だってわかる? ドアを開けてみたら誰もいなかったときのあの寂しさ。今日こそは、今日こそはって思って何度期待し裏切られたことか。
……ドアをあける前の希望が、崩れていくあの瞬間。もう、思い出すだけで……
泣き田が泣き崩れる。
トシ 泣いちゃったよ。
マッチ 明日からは行きますから。
途端泣き田は泣き止んで、
泣き田 駄目です。今日という今日はちゃんとするの。補習するの。じゃないと私……
泣き田が泣き崩れる。
僕 諦めな。
マッチ (ため息)行こうか。
トシ そうだな。
マッチ たまのも。
タマノン ボールとバット……
マッチ 諦めな。
タマノン (ため息)
トシ ほら、先生。俺たち行きますから。
泣き田 うん。よーし。勉強するぞ!
三人 (力無く)おー。
三人と泣き田去る。
タマノンは立ち止まって僕と委員長を見ている。
委員長 なんか可哀想。
僕 自業自得だよ。さ、じゃあ今日は僕も勉強しようかな。
委員長 あ、金田君、
僕 なに?
委員長 えっと、そのね……
僕 ……なに?
委員長 ……ううん。また明日ね。
僕 うん。また明日。
委員長 また明日。
委員長が去るのにあわせて、僕とタマノンが浮かび上がる。
僕 この時委員長が本当は何を言いたかったのか、僕には分からなかった。
タマノン 本当に?
僕 いや……分かろうとしなかったのか。分かりたくなかったのか。思えばこの日が始まりだったな。
タマノン うん。
タマノンは去る。
僕 ヒヒバァと僕たちを巡る戦いの。暑かった夏の。思い出したくない熱の。なのに、少しも色あせない日々の。始まり。
僕が去る。
3 数日後・昼
改造し柄の長くなった虫取り網を持ってトシオとタマノンがやってくる。
あたりを探るトシオ。
タマノン 本当にやるの?
トシ 当たり前だろ。何度言っても返してくれないんだから。
タマノン だからってこれじゃ泥棒みたいだよ。
トシ どっちがだよ。返さない方が泥棒だろ。
タマノン こっちも悪いんだしさ。
トシ 悪くない。
タマノン 言い切らないでよ。
トシ いいから、ほら足場。
タマノン 靴は脱いでよ。
トシ 分かってるって。
タマノンが足場になろうとする。
妹とヒー坊が手を繋いでやって来る。
タマノンはすぐに気づく。立ち上がるため、トシはこけそうになる。
タマノン あ、
トシ なんだよ。
タマノン 妹さんとナナちゃん。
トシ なな? ああ妹とヒー坊か。なんだよ。見世物じゃないぞ。ガキはあっち行ってろよ。
妹 妹って呼ばないでよハゲ。
トシ ハゲじゃなくてボーズ!
妹 ハゲ。
トシ ハゲじゃなくてボーズ!
ヒー坊 で、ハゲがうちの家に何しようとしてんの?
トシ だからハゲじゃなくてボーズ!
タマノン ナナちゃんに頼めばいいんじゃない?
トシ え?(と、気づいて)そうだヒー坊、ボール取ってくれよ。お前んちのバァさんに取られたんだ。
ヒヒバァさんが現れて虫取り網を取っていく。
トシとタマノンは気づかない。
ヒー坊 バァちゃんに取られたのなら、僕に言わないでバァちゃんに言えよ。
トシ ヒヒバァが素直に返してくれれば世話ないんだよ。
ヒー坊 怒らせたんだ?
トシ 怒らせてない! よな?
タマノン 普通自分の庭にボールとバットが飛び込んできたら怒るんじゃないかな。
妹 それは怒る。(トシに)バカ?
トシ わざとじゃない! だいたいボール打ったのはマッチだし、バット投げたのは委員長だろ。俺は悪くない。しかもバットもボールもタマノンのだし。
タマノン 野球やろうって言ったのはトシだけどね。
妹 最低。
トシ ぐ……
妹 最低。
トシ ぐぐ。
妹 大切なことだからもう一度言うけど、最低。
トシ ぐぐぐ。
ヒー坊 (タマノンに)大切な、ものなの?
タマノン え、まぁ、うん。
ヒー坊 そっか。
妹 いこうよナナ。
ヒー坊 うん。でも。
妹 いこ? ミキさん待たせちゃうよ。
ヒー坊 うん。でも、
トシ ミキさん!? お前らミキさんとどこか行くのか?
妹 ちょっとお買い物にね。ねーナナ。
ヒー坊 まぁね。
トシ なんでお前らの買い物にミキさんが付き合うんだよ。
妹 あたし達の女レベルをパワーアップさせるためにきまってんでしょ。
ヒー坊 (余計なこと言うなのニュアンスで)ノゾミ。
トシ なに色気づいてんだか。
妹 ハゲに言われたくない。
トシ ハゲじゃなくてボーズ! ミキさんも優しいよなぁ。わざわざガキの買い物に付き合うなんて。
妹 まぁ、ミキさんも色々と買うものがあるからね。そのついでなんだけどね。
ヒー坊 (余計なこと言うなのニュアンスで)ノゾミ。
妹 (気がついて)あ、ごめん。
トシ 買うもの?
丁度ミキさんが現れる。
ミキ あら? ナナちゃん。ノゾミちゃん。
妹 こんにちはミキさん。
ミキ こんにちは。良かった。二人ともまだここにいたんだ。
妹 ミキさんこそ、まだ出てなかったんだ?
ミキ ちょっと支度に手間取っちゃって。最初からここで待ち合わせれば良かったわね。
妹 だめですよ。ここにいたら誰かからのバカが移るから。
ミキ 誰かって?
トシ ミキさん!
ミキ は、はい。
トシ おはようございます!
ミキ あ、おはようトシオ君。
トシ はい。おはようございます!
ミキ えっと、トシオ君は今日も元気だね。
トシ 元気です! ミキさんは、その、き(れい)、今日も、き(れい)、か(わいい)、き(れい)、元気ですか!
ミキ は、はい。
トシ 良かったです!
妹 ほら、いこうミキさん。ナナも。
ヒー坊 うん。
ミキ はいはい。じゃあね、トシオ君。それとタマノ君も。
タマノン 行ってらっしゃい。
トシ 行ってらっしゃーい!
妹とヒー坊とミキさんが去る。
トシ ど、どうだった俺?
タマノン バカだと思ったよ。
トシ どういう意味だよって、(携帯がバイブする)メールだ。金ちゃんから。
タマノン どれ?
トシ 『キケン 逃げれ』
タマノン 逃げれ?
トシ 逃げろってことじゃない?
タマノン 誰から?
と、マッチが走ってくる。
マッチ トシ〜!
トシ げ、マッチ。
タマノン マチヤさん。
マッチ あ〜、たまのもいたの。探す手間が省けたわぁ。二人して、こ〜んなところで何してんのかな?
タマノン 何って、その、
マッチ 三人で受けるはずの補習を二人でバックレて、何してんのかな?
トシ いやだってそれは
マッチ 泣き田先生とマンツーマンで授業受けるなんて地獄を私に味あわせておいて何してんのかなぁ?
くそ暑い中、問題を間違えるたびに泣きそうになる泣き田さんをなだめて、慰めて、ようやく補習を終わらせた私の目を見て言ってごらん。
何してんのかなぁ?
タマノン ごめんなさい。
トシ タマノン!
マッチ で?
トシ いや、俺たちは俺たちなりに必死だったんだよ。見たら分かるだろ。
マッチ 分からない。
トシ 分からないよね。って、分かるだろこれを見れば。
マッチ どれ?
トシ あれ?
と、僕と委員長が並んでやって来る。
僕 ああ、やっぱり捕まってたか。
トシ 金ちゃん。
マッチ 金田の言うとおりだったわ。
トシ ひでえよ、金ちゃん。俺らを売ったのか。
僕 僕はただ、マチヤさんが「二人のいる場所に心当たりないか」って聞くから、「そういえば、補習サボってボールを取り返しに行くって言っていたような」
って言っただけだよ。
トシ どこにいるか言ってるようなものだろそれ!
委員長 補習をサボるほうが悪いと思うな。私は。
マッチ 私も。さて、どうしてくれようか。
トシ いや、だからね。俺らも結構必死だったんだよ? な? タマノン。
タマノン うん。
トシ 今日こそ、ヒヒバァんちからボールとバットを取り返すぞって。で、作戦練って。朝一番でやろうって。
タマノン トシが寝坊して昼からになったけど。
トシ 余計なこと言うなよ。
マッチ それ、完全にあんたが悪いよね?
委員長 だいたい、どうやって取り返すつもりだったの?
トシ だから、見れば分かるだろ。
同時に
僕・委員長・マッチ 分からない
トシ 分からないよな。って、なんで無いんだ!
ヒヒバァ(声) ヒヒヒヒヒヒヒ……
笑いながらヒヒバァが顔を出す。
同時に
トシ・マッチ ヒヒバァ!
タマノン・委員長 ヒヒバァさん!
僕 ヒヒバァ……
ヒヒバァ あんたが探しているのは、小汚いサインボールかい? それとも小汚いバットかい?それとも、この小汚い虫取り網かい?
と、虫取り網を見せる。
トシ 俺の虫取り網!
タマノン 買ったのは俺だけどね。
ヒヒバァ ありがとうねぇ。ちょうど物干しになりそうな棒を探していたとこだったんだよ。いやぁ、素敵なプレゼントだねぇ。ヒヒヒ。あんた、あたしに惚れてるね?
トシ そんなわけねーだろ!
ヒヒバァ お返しにいいことを教えてやるよ。
トシ それよりバットとボールと虫取り網を返せ!
ヒヒバァ よくばりだねぇ。そんなものより今のあんたには必要だと思うけどね。
と、ヒヒバァは紙きれを見せる。
思わずトシは受け取り、
トシ なんだよ、これ。
ヒヒバァ 作り方さ。ヒヒヒ
トシ 作り方って、なんの?
ヒヒバァ ほ・れ・ぐ・す・り。
トシ・マッチ・委員長 惚れ薬!?
僕 委員長?
委員長 ちょっと、鈴木君、それ見せてくれる?
マッチ トシ。それ、見せて。
トシ いや、どう考えてもいんちきだろう、これ。
ヒヒバァ ヒヒヒ。そう思うかい?
トシ 違うって言うのかよ。
ヒヒバァ あたしはそれで、じいさんと結婚したのさ。
トシ・マッチ・委員長・僕・タマノン 本物だ!?
ヒヒバァが去る。
トシ え、まじで。これどうりに作れば出来るのか惚れ薬。
タマノン (紙を覗き込み)材料も、そこらへんで見つかりそうなものばかりだよ。
マッチ トシ! あんたが使うとろくなことにならない気がするから、それあたしが預かっておくわ。
トシ なんだよそれ。もらったの俺だぞ。
委員長 いえ、そこは委員長としてあたしが預かったほうが、
マッチ 委員長、誰に使う気よ。
委員長 私は別に、
トシ だから、もらったの俺だって!
マッチ よこしなさいよ!
委員長 私が預かります!
トシ 俺のだって!
タマノン コピーすればいいんじゃないかな。
マッチ・委員長・トシ それだ!
マッチと委員長とトシが走りだす。
タマノン 待ってよ〜
そして、マッチ・委員長・トシ・タマノンが止まる。
僕 結論から言うと、材料を集めて出来たのは、惚れ薬ではなく、ヨモギ団子だった。
景色が一気に夕暮れへと変わる。
カラスの鳴き声とか聞こえたり。
同時に
トシ ヒヒババァ!!
マッチ・委員長 ヒヒバァさん!
ヒヒバァが顔を出す。
ヒヒバァ ヒヒヒ。うるさいねぇ。どうしたんだい?
トシ 惚れ薬の材料じゃねえだろこれ!
ヒヒバァ おや? 出来なかったのかね? 惚れ薬。
委員長 ヨモギ団子が出来ました。
僕 「ヨモギ団子」と「惚れ薬」
マッチ 一字もあってないよね。
ヒヒバァ 美味しかったろう?
トシ 美味かったけどよ。
ヒヒバァ じいさんはよく言ってくれたものさ。「お前の作るヨモギ団子は世界一だな」って。ヒヒヒ。
タマノン おじいさんにとっては、立派な惚れ薬だったわけですね。
トシ 何だそのオチ! タマノンも、なんかいい話みたいに言うな。騙されたんだぞ俺たち。
ヒヒバァ 人聞きの悪い事を言うねぇ。ま、そんなら、あんたにはこっちを教えてあげようか。
と、ヒヒバァは紙を見せる。
思わずトシは受け取り、
トシ なんだよ、これ。
ヒヒバァ おまじないさ。ヒヒヒ
トシ まじないって、なんの?
ヒヒバァ 両想いになる、恋のまじない。
トシ・マッチ・両想い!?
委員長 恋のまじない。
僕 委員長?
委員長 ちょっと、鈴木君、それ見せてくれる?
マッチ トシ。それ、見せて。
トシ いや、どう考えてもいんちきだろ。惚れ薬と同じパターンだよ。
ヒヒバァ ヒヒヒ。そう思うかい?
トシ 違うって言うのかよ。
ヒヒバァ あたしの娘はそれで、今の旦那と結婚したのさ。
トシ ヒヒバァの娘って、
タマノン ヒヒバァにそっくりな?
ヒヒバァ ああ。
トシ・マッチ・委員長・僕・タマノン 本物だ!?
ヒヒバァが去る。
トシ え、まじで。これ通りにやれば利くのか。
タマノン (紙を覗き込み)まじないの道具も、そこらへんで見つかりそうなものばかりだよ。
マッチ トシ! あんたが使うとろくなことにならない気がするから、それあたしが預かっておくわ。
トシ なんだよそれ。もらったの俺だぞ。
委員長 いえ、そこは委員長としてあたしが預かったほうが、
マッチ 委員長、誰に使う気よ。
委員長 私は別に、
トシ だから、もらったの俺だって!
マッチ よこしなさいよ!
委員長 私が預かります!
トシ 俺のだって!
タマノン コピーすればいいんじゃないかな。
マッチ・委員長・トシ それだ!
マッチと委員長とトシが走りだす。
タマノン 待ってよ〜
そして、マッチ・委員長・トシ・タマノンが止まる。
僕 結論から言うと、次の日、うちの近所は最高気温を記録するほど、良く晴れた。
景色が一気に昼間へと変わる。
蝉の鳴き声とか響いたり。
同時に
委員長・マッチ ヒヒバァ!
トシ ババァ!!
タマノン ヒヒバァさん!
ヒヒバァが顔を出す。
ヒヒバァ ヒヒヒ。うるさいねぇ。どうしたんだい?
トシ これ、インチキだろ!
ヒヒバァ おや? うまくいかなかったのかねおまじない。
委員長 とてもよく晴れました。
僕 「晴れる」と「惚れる」
マッチ 一字違いでも大違いでしょ。
ヒヒバァ 晴れると気持ちいいだろう?
トシ 気持ちいいけどよ。
ヒヒバァ 娘の旦那はね、ゴルフが好きでね「お前といると、ゴルフに行く度よく晴れる」ってのが口癖なんだと。ヒヒヒ。
タマノン 娘さんの旦那さんにとっては、立派な恋のおまじないだったわけですね。
トシ 何だそのオチ! タマノンも、なんかいい話みたいに言うな。騙されたんだぞ俺たち。
ヒヒバァ 人聞きの悪い事を言うねぇ。ヒヒヒ。ま、そんなら、あんたにはこっちを教えてあげようか。
トシ もう騙されないぞ。
ヒヒバァ 騙してるつもりは無いけどねぇ。ヒヒヒ。
委員長 その割には楽しそうですけど。
ヒヒバァ ヒヒヒ。怖い怖い。まぁ、信じるかどうかは別だけどね。これは、効くよ。
マッチ 誰に効くのかによると思うけど。
トシ 言っておくけど、ヒヒバァの家族に効くまじないとか、惚れ薬って言うなら、もう騙されないからな。
ヒヒバァ 失礼だねぇ。これはね、オノハラさんちの娘さんから保障されてる、言わば、恋の裏テクなんだからね。
トシ オノハラさん?
マッチ 誰よそれ。
タマノン どっかで聞いた気が、
僕 ミキさんだよ。
タマノン・マッチ・委員長 ああ。
トシ ミキさんの裏テク!?
タマノン なんか意味変わってない?
ヒヒバァ 知りたいだろ?
トシ 教えてください。
ヒヒバァ (何かに気づいて)ヒヒヒヒヒヒヒ。
と、ヒヒバァが去る。
トシ おい! ヒヒバァ! ヒヒバァさん!
と、泣き田がやってきている。
泣き田 みんな、こんな、とこにいたのね。
僕・委員長・マッチ・タマノン あ。
トシ (気づいていない)ヒヒバァさーん。
僕 トシ。
トシ なんだよ。……あ
泣き田 教室に入ったら、誰もいないし、金田君たちも来てないって言われて。あたし、どうしたらいいか。悩んだのに。悩んだのに……
泣き田が無き崩れる。
委員長 先生。ごめんなさい。あたし。
泣き田 いいの。いいの。あなたが謝ることじゃないの。あたしが、頼りないから……。
委員長 そんな事無いですよ! えっと、その……(と、マッチを見る)
マッチ そう! 今日は、ちょっとトシが日坂のおばあさんに用事があるって言ってて、(タマノンに)ねぇ?
タマノン そ、そうなんです。それで、補習前にって思ってたら遅くなっちゃって。(トシに)ね?
トシ え、いや、別に補習行く気なんて無かったけど。
マッチ ばか! 違うんですよ。遅れていく気は無かったって。ね? (トシにすごむ)そういう意味だよな?
トシ は、はい。そういう意味です。ちゃんと補習は行く気でした。
僕 僕から連絡しようと思っていて、忘れたんです。すいません。
泣き田 本当に?
マッチ 本当ですよ〜。ね、金田のうっかりさん。
僕 (真顔で)てへ。
泣き田 本当に、みんな、学校来る?
タマノン・委員長・マッチ 行きます行きます。
マッチ さ、みんな補習行こうか?
トシ いや、でも、まだ
マッチ 行くよね?
トシ はい。行こうねぇ。タマノン。
タマノン うん。
マッチ ほら、先生、来ないと先行っちゃいますよ〜。
マッチ・タマノン・トシが去る。
委員長 ほら、先生。
泣き田 うん。ごめん。みんなサボったわけじゃないって分かったら、嬉しくって。(委員長に)みんなを連れて先行っていてくれる?
その、みんなちゃんと学校行ってくれるか、その。
委員長 見張りですね。分かりました。
泣き田 信用してないとか、そういうんじゃないのよ。ただ、その。
委員長 分かってますよ。金田君、行こう?
僕 あ、うん。
泣き田 金田君はちょっと待ってくれる?
僕 え?
委員長 あ、じゃあ、先行くね?
委員長が去る。
先生はどう切り出していいか迷っている。
僕 ひざ、熱くないですか?
泣き田 え?
僕 今日、暑いから。地面、熱いでしょ。
泣き田 あ、うん。実はね。ちょっと。
泣き田は立ち上がり、言葉を捜す。
僕 ……今年の最高気温みたいです。
泣き田 そうなんだ。どうりで暑いわけだ。
僕 僕らのせいかも。
泣き田 え、なんで?
僕 色々あるんです。
泣き田 あるんだ。色々。
僕 はい。色々。だから、進路は変えませんよ。
泣き田 ……。
僕 話って、それでしょう? だったら、夏休み前の三者面談でお話したとおりです。学力的には問題無いって、講習の先生は言ってくれてますし。
変えませんよ。生活だって、向こうには寮があるわけだし。後はバイトでもすればどうとでもなると思いますから。
泣き田 鋭いなぁ。金田君は。
僕 簡単に推測できますよ。夏休み前の面談で、反対したそうな顔をしていたし。その後でしたよね。メアド教えてくれたの。
メールだったら相談しやすいと思ったのかもしれないですけど。僕、メール不精ですので。無駄ですよ。
泣き田 ……こんなにお喋りなのにね。
僕 え?
泣き田 言われたの。金田君、なんだか最近喋らなくなったって。
僕 ……誰にですか?
泣き田 (問いには答えず)距離を置いてるの? みんなと。……離れ離れになってもいいように?
僕は答えられない。
蝉の鳴き声が大きくなっていく。
泣き田が何か言うが、蝉の声で聞き取れない。
『それって、寂しい考えだと思う』
僕の姿だけが浮かび上がる。
泣き田が去る。
4 それからの日々
蝉の声が小さくなると、僕が語り始める。
登場人物は、僕の語りによって舞台上に現れては去っていく。
僕 その日、夏休みに入って初めて、僕は講習を休んだ。次の日も、その次の日も。また次の日も……泣き田先生は何も言わなかった。
……委員長は毎日のようにメールをくれた。文面は大抵『大丈夫?』とか『お見舞いに行こうか?』とかだった。僕はそのたびに適当に、メールを返した。
そのうち委員長はマチヤと一緒に家まで来るようになった。委員長とマチヤは、このころからコソコソ二人で話をするようになったと思う。
でも結局トシやタマノンに巻き込まれて、ヒヒバァに喧嘩を売ったり、騙されたりしていた。
僕の語り中、委員長がマチヤと共に現れ、僕の家の前で委員長は立ちすくむ。
そこへマジックハンドを持ったトシとタマノンが現れ、四人はヒヒバァの家へ。
ヒヒバァは現れると何か言う。四人は騙され走り出すが、
ヒヒバァはバカに仕切ったように笑う。四人が怒る。
僕 妹は相変わらずヒー坊と出かけていた。でも、ほんの少しだけヒー坊との間に距離が出来ているようだった。
どうやら、ヒー坊には好きな人が出来たらしい。そんな事を、いつだったか妹がポツリと言っていた。
僕の語り中、妹とヒー坊が現れる。
ヒー坊はタマノンを見ている。タマノンは視線に気づき、振り返る。
ヒー坊とタマノンが同時に目をそらす。妹はむっとしてヒー坊を引っ張って行く。
僕 泣き田先生は、ちょくちょく補習をサボる三人を迎えに来たけれど、やっぱり僕には何も言わなかった。僕は何か言って欲しかったんだろうか?
あの時の僕は、本当は何か言いたかったんだろうか?
泣き田先生が現れる。
タマノン・マチヤ・トシは泣き田先生を慰めるように去る。
委員長は僕の家を気にしながらも去る。
僕 きっと何も言って欲しくはなかったんだろう。あの時の僕は全てがわずらわしくて、早く独りになりたいと思っていた。
だから、きっと、本当は言ってほしかったんだと思う。「くだらない」とでも、一言。……8月になって、暑い日が続いていた。
そんな中、ミキさんが日本を発った。あまりに突然のことだったので、ちゃんと話が出来たのは僕一人だった。
蝉の声。
僕が眩しそうに空を見上げる。
5 ある暑い日。
ミキがやって来る。大きいキャリーバッグを引いている。
ミキ こんにちは。
僕 こんにちは。
ミキ 今日も暑いね。
僕 うん。最高気温また更新したって。
ミキ どうりで。海行かなくても十分日焼け出来そうだよね。
僕 海でも行くの?
ミキ うん? ううん。海を越えるの。
僕 沖縄?
ミキ イギリス。
僕 旅行?
ミキ 留学。
僕 向こうの学校に入るの?
ミキ そう。9月から一年生。
僕 すごいね。
ミキ 凄くないよ。
僕 いいな。
ミキ みんなによろしくね。
僕 うん。
ミキが去る。
僕は思わずその背中を見送る。
妹が出てくる。
妹 ミキさん?
僕 うん。いいのか? 見送らなくて。
妹 昨日、お別れしたから。
僕 そっか。
妹 ミキさん、どうだった。
僕 あっさりだったよ。
妹 ミキさんらしい。
僕 うん。
妹 もう、会えないかもしれないのに。
僕 別れなんて、あっさりしたもんだよ。
妹 そんなものかな。
僕 よく言うだろ。「一期一会」って。
妹 イチゴ、一円?
僕 ……そう。人生において出会いは、一個一円で売ってるイチゴみたいなものだ。だから、美味しい思いが出来たらものすごくラッキーと思え。
妹 まずかったら?
僕 一円だから仕方ないと思ってさっさと捨てなさい。
妹 イチゴ、一円、か。なんか、「一期一会」みたいだね。
僕 ……そうだな。
と、マッチが走ってくる。
マッチ 大ニュース大ニュース!
委員長も走ってくる。こっちはふらふらしている。
委員長 チカ、早いよぉ。
マッチ 委員長、早く! おっ、なんだ金田。家出てんじゃん。珍しい。
僕 まぁね。
委員長 おはよう。
僕 もう昼だよ。
委員長 あ、そうだね。
マッチ ね、金田。今さ、凄いもの見ちゃった。知りたい? どうしようかなぁ。
僕 まだ何も言ってないよ。
マッチ 教えてあげようか〜。
僕 すごく想像できるよ。ミキさんだろ。
マッチ なんだ。知ってたんだ。
僕 今会ったんだよ。
委員長 外国に留学なんて凄いよね。
僕 イギリスらしいよ。
委員長 へぇ。
マッチ トシが凄いショック受けてるの。ウケるよね。
僕 ああ、それもすごく想像できるな。
と、とぼとぼとトシがやってくる。
タマノンが慰めている。
タマノン ほら、元気出してよ。
トシ おう。
タマノン 金ちゃんちまで来ちゃったよ。
トシ おう。
タマノン どこまであるいてくのさ。
トシ おう(と、立ち止まる)
タマノン 元気出してよ。
トシ おう……
マッチ だめだありゃ。
日坂家からヒー坊の声が聞こえてくる。
ヒー坊 もういい加減いいだろ! 何にこだわってんだよ! ……ばあちゃんのバカ!
ヒー坊が飛び出してくる。
妹と僕を見て立ち止まる。
妹 駄目だったの?
ヒー坊が肯く。
タマノン 駄目だったって?
妹 ボール。返してくれるように頼んでみるって言ってたんだけど。
タマノン ボールって、俺の?
タマノンがヒー坊を見る。
ヒー坊は慌てて走っていく。
妹 ナナ!
妹が追って去る。
マッチ へぇ。あの子もいいところあるじゃん。
タマノン うん。
マッチ しかし、孫でも駄目とは。頑固だ。
委員長 一度ちゃんと謝った方がいいんじゃないかな?
マッチ 謝るって?
委員長 「ボールとバット投げ込んでごめんなさい」って。
マッチ バット投げたのは委員長だよね?
委員長 それは、そうなんだけど。
マッチ ボールはあたしだけど。
僕 そういやちゃんと頭下げてないよね。一度も。
委員長 うん。
委員長は少し思いつめた顔で日坂家を見つめる。
タマノン それはそうなんだけど、
トシ 馬鹿なこと言うなよ! なんでこっちが頭下げなくちゃいけないんだよ!
マッチ あ、復活した。
トシ 元はといえば、全部ヒヒバァが悪いんだろ。こっちが返してくれって頼んでいるのにへんな嘘ばっかりつきやがって。
おかげで、ミキさんとお別れする時間も無くなって……
マッチ 逆恨みだよね、あれって。
タマノン うん。
トシ 絶対に許さん!
タマノン 燃えてるなぁ。
トシ タマノン、金ちゃん! 作戦会議だ。
僕 作戦会議って?
トシ 今度こそ、ヒヒバァに奪われたものたちを救い出す。って、ことで、よろしく。
タマノン よろしくって、
トシ 作戦だよ。考えておいてくれよ。
マッチ こら、トシ! あんたはどこに行くのよ!
トシ ミキさんの見送りだよ。羽田まで行ってくる!
トシが去る。
委員長 え、鈴木君! 羽田は国内便だけだよ!
マッチ 聞こえてないね、あれは。
タマノン あーあ。
委員長・マッチが思い思いに去る。
僕とタマノンに光が集まってくる。
僕 次の日、20△△年8月13日は、それまでの天気が嘘のように大粒の雨が降った。
雨の音。
タマノン 突然の雨。何かが始まるような。
僕 何かを終わらすような、雨。
タマノン そして、あの日。
僕・タマノン 20△△年8月14日
辺りは闇に包まれる。
6 20△△年8月14日の「ぼー」
蝉の鳴き声。
そして、何か鈍い音が一つ響く。
夏の一日がまた始まろうとしていた。
ボールが舞台上に転がっている。
ヒー坊(声) ばあ、ちゃん? ばあちゃん。ばあちゃん! お父さん、お母さん、ばあちゃんが。え? なに、ばあちゃん。何? なんて言いたいの?
ヒヒバァ(声) ぼう……
ヒー坊(声) 「ぼう」?
ヒヒバァ(声) ぼお……
ヒー坊(声) 「ぼう」? なに、ばあちゃん。ぼう?
ヒヒバァ(声) ぼうー……に……
救急車の音が聞こえ出す。
ヒー坊とヒヒバァの声は救急車の音にかき消される。
僕と妹が音に気づいて外に出てくる。
僕はボールに目を留める。
妹は日坂家を不安そうに見つめる。
僕がボールを拾う。
あたりが暗くなる。
僕、タマノン、マッチ、委員長、妹、ヒー坊が現れる。
僕 「ぼう」そう言って、その日ヒヒバァは病院に運ばれた。
タマノン 警察は、突き飛ばされたことにより後頭部を強く打ち付けた傷害事件と判断した。
僕 僕たちはその日の夕方、集まることになった。「ぼう」という言葉の謎を
タマノン 自分たちで解くために。
トシ (一人一番大げさに)だが、謎は深まるばかりだった。一体、「ぼう」とは何を現しているのか。そして、ヒヒバァを襲ったのは誰なのか。
その動機は? この謎は、解けるのだろうか。ふふふ。だがみんな安心したまえ、この名探偵、鈴木トシオがずばり解決してやろう。
犯人は、この中にいる!
ヒー坊がトシにつかつかと寄る。
ヒー坊 よし。じゃあ、警察行こうか。
トシ え? いや、ちょっと待て。
ヒー坊 なに? 今更言い訳?
トシ え? 言い訳も何も、いいのか? 警察行っちゃって。
ヒー坊 知り合いのよしみで自首させてやるよ。
トシ 自首? 誰が。
ヒー坊 (黙ってトシを指差す)
トシ 誰を?
ヒー坊 (黙ってトシを指差す)自分で言うから自首だろ。
妹 最低だよね。
僕 (妹をなだめるように)何か理由があったんだよ。
マッチ いつか何かやるとは思ってたけど。まさかね。
委員長 暴力での解決は最低の解決方法ですよ。
タマノン トシ……
トシ って、ちょっと待って。なに? なんでみんな俺をそんな眼で見るのさ。え、もしかして、疑われてるの? 俺が!?
ヒー坊 自分で言ったんだろ。犯人がいるって。
トシ 違うよ? 違いますよ。え、なんで俺。俺なわけないだろ。全然、「ぼう」って言葉関係ないし。
僕・妹・マッチ・タマノン・ヒー坊 ぼうずあたま。
トシ ……ああ? ああ。あー。はいはい。え、それだけ!?
ヒー坊 それで十分だろ。
トシ ちょっと待てよ、俺、坊主頭なんてヒヒバァに呼ばれたこと無いぞ。
ヒー坊 でも、名前で呼ばれたことも無い。
委員長 そういえば、いつも「あんた」って。
マッチ トシ……
トシ それはそうだったけど。いやだって、名前くらい、金ちゃんやタマノンが呼んでるのを聞いてるだろ? 普通。
妹 見苦しいよね。
トシ いや、だから、違うって。
ヒー坊 いい加減観念しなよ。
トシ 大体お前はどうなんだよ。
ヒー坊 僕?
トシ ぼうって言ったら「ヒー坊」だろ。ヒー坊の、「ぼう」
トシはどうだと言った顔。
僕とマッチ、委員長は思わずヒー坊を見る。
ヒー坊 ……バカ?
トシ はぁ!?
マッチ ヒヒバァは「ヒー坊」なんて呼ばないでしょ。
妹 ヒー坊って呼んでいるのは、あんたたちだけじゃん。
委員長 むしろ、今は鈴木君と金田君の二人だけだよね。
タマノン 第一、ヒヒバァはナナちゃんのおばあちゃんなんだよ?
トシ だからなんだってんだよ。肉親だからって容疑を免れる理由にはならないだろ。第一発見者を疑えというし。
犯人は現場に戻ってくるとも言うじゃないか。戻ってきてる! 犯人だ!
マッチ ナナちゃんの家なんだから当たり前でしょ。
トシ それに、ヒヒバァと喧嘩してたのを、みんな見ただろ?
委員長 それは……
タマノン 喧嘩してたのは、一昨日の話だよ。
マッチ 別に、今日の朝喧嘩してたって訳じゃないでしょ。
トシ たった二日前だろ。そこでたまった怒りが爆発したのかもしれない。そうだよ。な? 俺よりも動機がある。
マッチ そんなの……
タマノン そもそも、それじゃヒヒバァが言っていた「ぼう」って言葉の謎が分からなくなっちゃうよ。
トシ だから、こいつのことだろ。
タマノン だから、ヒヒバァはナナちゃんを名前で呼んでたって。
トシ じゃあ、なんとなく口を出ちゃったんだろ。
タマノン 疑い始めた根拠は、「ぼう」が「ヒー坊」のことだって理由からだったんじゃなかったっけ?
トシ いやだからそれは、あれ? いや、だから。だから。つまり、要するにだ、とにかく怪しいだろ。こいつが一番。
マッチ あたしかも。
委員長 えぇ!?
トシ はぁ!?
マッチ ほら、あたしのあだ名「マッチ」だし。
トシ だからなんだよ。
マッチ マッチ、棒? って言いたかったのかなって。だから、「ぼう」
トシ え、じゃあお前犯人?
マッチ 違うけど。
トシ だろ? お前がやるわけ無いんだから。ややこしくするなよ。
マッチ あんたがナナちゃんを疑うからでしょ。
タマノン マチヤさんは疑わないんだ。
委員長 ね?
マッチ 別に疑われたいわけじゃないけど。
トシ 変だろ? 自分から言い出すなんて。それよりヒー坊を疑うほうがずっと、
タマノン じゃあ、俺かも。
トシ はぁ!?
委員長 なんで玉野君?
タマノン 玉は、英語でボールでしょ? だから。とか。
トシ 「とか」ってなんだよ。おかしいだろ。なんで、英語でわざわざ言い残したんだよ。
タマノン なんとなく、かな。
トシ なんだそれ。
タマノン だって、「ヒー坊」がありなら、タマノで「ボール」もありでしょ。ね?
委員長 ちょっと苦しいんじゃないかな?
マッチ だったら、まだ「マッチ棒」の方が可能性あると思うけど。
委員長 それはもっと苦しいよ。
妹 だったら、あたしかも。
トシ おい、妹まで何言い出すんだ。
妹 ノゾミ、を音読みして「ぼう」……どう?
委員長 うーん。
ヒー坊 やっぱり、坊主頭ってのが一番近いんじゃない?
トシ お前はどうしても俺を犯人にしたいみたいだな。
ヒー坊 どっかの誰かさんも同じみたいだからね?
皆口々に、「ぼう」がつく言葉を並べ立てる。
互いに楽しく言い合っているような。
そこには悲壮感は無い。ヒヒバァもすぐ元気になる。そんな無邪気さがある。
僕が何かに気づき、顔を上げる。
僕 ……坊主、の「ぼう」
トシ 金ちゃん! お前まで、俺を疑うのかよ。
僕 違うよ。坊主、いや、お坊さんの、「ぼう」つまり、お坊さんの、娘。とか。
僕の目がまっすぐ委員長を見る。
周りの視線は一度僕を見、そして委員長に集まる。
穏やかだった空間が一瞬で張り詰める。
委員長 ……わたし?
僕 (肯く)
委員長 ……金田君、わたしを疑うんだ?
僕 可能性の問題だよ。
委員長 もし、わたしが、ヒヒバァを……ってことだったら、どうするの?
僕 ……そうなの?
委員長は一度マッチを見た。
マッチ (僕に)あんたね! それ本気で言ってんの!
僕 可能性の問題だって。
マッチ だからって、
僕 それに、ヒヒバァが名前を知らないのは、委員長だけだから。
マッチ え?
僕 トシが言ったよね。僕やトシ、タマノンは名前で呼びあっているからヒヒバァは知ってるはずだって。ノゾミやヒー坊もそう。
マチヤだってあだ名で呼ぶのはトシだけだし。でも……委員長は、名前を呼ばれたことが無い。少なくてもヒヒバァは聞いたことが無い。はず。
タマノン そんなの名前が分からないっていうのなら誰にだって言えるよ。
僕 ヒー坊に言い残す名前だからね。ヒー坊が聞けばすぐ分かる人の可能性が高い。
トシ でもだったら、それこそ坊主頭のことだったりするかもしれないだろ?
僕 でも、トシはやってないんだろ?
トシ やってねえよ! やってねえけど……。
僕 だから。
マッチ だからって!
委員長 もういいよ。
マッチ だけど、こんなのないでしょ。だって。なんで、金田が委員長を疑うのよ! よりによってあんたが。あんた、委員長が、
委員長 チカ!
マッチ (びくりとして)ごめん。
委員長 ねぇ、金田君。
僕 なに?
委員長 わたしが委員長じゃなかったら、名前で呼ばれてたら、金田君に疑われなかったのかな?
僕 ……。
委員長 だったら、惜しかったな。もう少しで委員長じゃなくなるのに。
僕 え?
委員長 ……ねえ金田君。あたしの名前って、覚えてる?
僕 ……。
委員長 (無理に笑って)だと思った。(マッチに)ごめん。あたし、帰るね。
委員長が走り去る。
マッチ (委員長が去った方向を見たまま)引っ越すんだって。今度。
僕 え……
トシ 名古屋だったかな。あれ? 長野か?
タマノン うちの事情でってことしか聞いてないけど。
妹 「お坊さんにも転勤ってあるんだよね」って言ってた。
ヒー坊 (肯く)
僕 みんな、知ってたの?
マッチ あんたには、自分で言いたいって言ってたのよ。ずっと。でも、あんた家から出ないから。
蝉の音がしだす。
マッチが走り去る。
ヒー坊・妹が去る。
トシがマッチを追いかける。
タマノンが僕を気にしながら離れていく。
僕 口の中が乾いていく。蝉の音が大きく聞こえた。目で見ているものが何もかもがあやふやになって。そして、僕は一人になった。
7 20××年 夏 夜
お経の声がする。
僕とタマノンがいる。
タマノン ……聞いていい?
僕 うん。
タマノン 本当に、委員長を疑ったの?
僕 ……独りになりたかったんだ。
タマノン 聞いたよ。俺たちが、嫌いだったの?
僕 そんなんじゃないんだ。ただ、……わずらわしかったんだよ。全部。
タマノン そっか。
僕 どっか遠くに行きたくて。そこだったら、なんだか違うものになれるような気がして。なのに、僕の周りにはタマノンも、トシも、マチヤも、いて。
そのうち委員長が、だんだん近くなってきて。なんか。なんだろう。それが、すごく。駄目だったんだ。僕には。どうせ離れていくのに。みんな。
いつかあっさりと、軽く挨拶だけして去ってしまったミキさんみたいに。離れてしまうくせに。一期一会って言葉通りに、いなくなってしまうのに。
だから自分から離れようと思ったのに。みんな近すぎて。みんなでいるのは楽しくて。ずっと、このままでもいいような気がして。だから……
あの時、トシがマチヤを庇ったのを見て思ったんだよ。これの逆をやればいいんだ。って。委員長を本気で疑ったわけじゃない。
一番近道だったんだよ。あれが。
タマノン ……分かってたんだね。委員長の気持ち。
僕 タマノンやヒー坊の気持ちが分かるくらいはね。
タマノン 金ちゃん、頭よかったもんね。
僕 うん。
タマノン でも、バカだよね。
僕 ……。
タマノン バカだよ。
僕 うん。
タマノン ……なんて、今なら言えるのにね。
僕 だから言ったろ。今更だって。
タマノン ごめんね。
僕 なんでタマノンが謝るんだよ。
タマノン 気づけなかったなって。全然。
僕 タマノンに気づかれるようじゃ、おしまいだよ。
タマノン 俺鈍いからね。
と、携帯の音がする。
タマノン ごめん。(ディスプレイを見て)ナナ。もしもし?
僕 戻って来いって言うんじゃない?
タマノン (電話に)え、そんな急に? (僕に)そうみたい。(電話に)わかった。行くよ。
タマノンは電話を切り、
タマノン ごめん。えっと、すぐ戻る。
僕 大変だな。
タマノン ね。
タマノンが去ろうとする。
僕 タマノン
タマノン うん?
僕 この手紙のことだけど。
タマノン 初めは頼まれたんだよ。
僕 え?
タマノン 委員長に。今日金ちゃんを呼んで欲しいって。でも、言ったんだよ。俺が電話しても金ちゃんは来ないだろうって。
それできっと、自分で手紙を出したんだよ。
僕 それで、委員長は、今日は?
タマノン (ちょっと迷い)本当は、遅れてくるはずだったんだ。だから、金ちゃんを帰さないようにしようって。
僕 え(と、腰を浮かしかける)
タマノン でも、今、やっぱり来られないって連絡があったって。ナナから。
僕 ……連絡取り合ってるんだ?
タマノン 時々、みんなで会ったりもするよ。
僕 そっか。
タマノン 携帯の番号変えてないから。
僕 え?
タマノン 委員長。金ちゃんが消して無かったらの話だけど。
僕 ……消してないよ。
タマノン 委員長って呼ぶと怒るからね。一応言っておくけど。
僕 分かった。
タマノンが去る。
僕は携帯を見る。そして電話しようとする。
苦笑して。
僕 今更、か。……何話そうって言うんだか。本当だ。バカだなぁ。僕は。
携帯を放り出す。
8 ヒヒバァと呆然とした僕。
ヒヒバァ ヒヒヒヒヒ。
ヒヒバァが顔を出す。あの日と同じような格好で。
ヒヒバァ 謝ればいいんじゃないかい?
僕 ……
ヒヒバァ 「すいません」よりは「ごめん」の方が、あたしとしては好きだね。男らしい感じがしてさ。
僕 ……
ヒヒバァ 何固まってるんだいこの子は。まったく。頭いいが聞いて呆れるよ。ぼうっとしちゃって。
と、ヒヒバァは塀を乗り越え、僕の近くまでやって来る。
ヒヒバァ ほら、なんとか言ったらどうなんだい?
僕 いや、ビックリして。
ヒヒバァ 失礼だねぇ。まったく。
僕 駄目だろ。今日の主役がこんな所にいちゃ。
ヒヒバァ なんか辛気臭くてね。駄目だねああいう場所は。
僕 誰のためだよ。
ヒヒバァ 家族のためさ。決まってるだろう? ああいうのは、残るもののためにやるもんさ。
僕 相変わらずだなぁ。ヒヒバァは。
ヒヒバァ 式の間中、ずっと喋れなかったからね。あたしが喋りだすと、なんか雰囲気がコメディになっちまうんでね。
僕 それはよく分かる気がする。
ヒヒバァ 全く情けない話だよ。キャラを作るも結構苦労してんのに、誰も分からないんだからね。
僕 作ってたのかよ。
ヒヒバァ 当たり前だろ? どこの世界に、ヒヒヒって笑うバァさんがいるのさ。
僕 なんでそんな馬鹿なこと。
ヒヒバァ そのほうが面白いからさ。
僕 面白いとかそういう問題なの?
ヒヒバァ せっかくの人生。面白く生きたほうが面白い。そうだろ? なんのためにリハビリ頑張ったと思ってるんだい。
僕 じゃあこれ(手紙)は……
ヒヒバァ 2年間かけてほぼ元通りになったからね。記念に生前葬でもしようと思って。
僕 どんな記念だ。
ヒヒバァ 自分の葬式だけは見たこと無かったんでね。
僕 まぁ、らしいっちゃらしいか。……くそ。タマノン絶対知ってて黙ってたな……。
ヒヒバァは僕の携帯をいじり始める。
僕は気づかない。遠くを見ている。
ヒヒバァ しかし、あんたたちと遊んだあの夏は楽しかったねぇ。最高だった。うん。思い出すだけで、ふふ。笑いがこみ上げてくるわ。
ああ、もう少し若かったら、追い掛け回してもっと楽しかったんだろうけどね。まぁ、仕方ないね。年には勝てない。
でも、あの坊主頭の悔しそうな顔なんて、思い出すだけで。くふふふふ。
僕 その結果、怪我してちゃしょうがないだろ。
ヒヒバァ あの時は死ぬかと思ったねぇ。
僕 犯人のことは?
ヒヒバァ 言えるわけ無いだろ。そんなこと。孫にも言ってないよ。恥ずかしい。
僕 ……「ボール」だったんだろ。
ヒヒバァ ……
僕 ……「ぼう」は、「ボール」の「ぼう」。でも、タマノンのことじゃない。野球のボール。
ヒヒバァ ……やっぱり。気づいてたんだね。あんたは。
僕 あの日の前の日、激しい雨が降ってた。風も強かったと思う。だから、ボールも転がった。ぬかるんだ道はただでさえ滑りやすかった。
もし、ボールを踏みつけたとしたら、きっと滑る。踏みつけられたボールは、ヒヒバァの家を出て、道に転がり出る。……僕が、拾ったんだ。
ヒヒバァ ボー、「ル」。この、「る」さえ言えればねぇ。
僕 打ったのは頭だからね。言語野に障害が出ていたんだよ。
ヒヒバァ そこまで分かってて、あの子を疑ったんだねぇ。
僕 うん。
ヒヒバァ (優しく)一人になってみて、どうだった?
僕 ……僕は、バカだと思ったよ。
ヒヒバァ ヒヒヒ。じゃあ、後は簡単だ。
ヒヒバァは携帯を僕に見せる。
離れた場所に委員長の姿が浮かび上がる。制服姿。
携帯のディスプレイに表示された文字を見て驚いた顔。
鳴り響く電話の音。出ようか悩む委員長。
僕 ヒヒバァ!
ヒヒバァ あの時教え忘れたことを教えてあげようかね。
僕 何の話だよ。
ヒヒバァ オノハラさんの娘さんに教えた裏テク。
僕 ミキさんに?
ヒヒバァ 一番効くのは簡単なのさ。でも、誰も案外誰もがそれを一番怖がるもんさ。
僕 それってなんだよ。
委員長 もしもし?
ヒヒバァ 言葉にすればいいのさ。気持ちを。だからあの娘さんは外に出られた。今度はあんたたちの番だよ。
ヒヒバァが僕から距離を置く。
委員長 金田くん?
ヒヒバァ あたしはね。本当に楽しかったんだよ。あんたたちとあの夏遊べて。だけど、それが素直に言えなくてね。孫には悪いことをしたよ。
喧嘩までして。しょうがないね。ヒヒヒ。まさか、思わなかったからね。伝えられなくなるかもしれないなんて。
委員長 ……金田くんなの?
ヒヒバァ 一言、言えばよかったのにね。孫に。たった一言。その一言が言えなくなるとこだったんだよ。恐ろしかったね。
あれほど怖いと思った時は無かったよ。だからあたしは思ったんだ。一言で済むんなら、さっさと済ませた方がいいってね。
今度なんて来ないかもしれないんだ。いつかなんてどこかに消えてしまうかもしれないんだ。だから……。
ヒヒバァは僕の肩を叩く。
びくりとする僕。
そして今度こそヒヒバァは僕から離れる。
僕 高木、さん?
委員長 金田君、だよね?
僕 ……ごめん。
委員長 金田君?
僕 ごめん。ずっと、言いたかったんだ。ずっと。許してもらえるとは思ってない。あ、いや、そんな事が言いたいんじゃなくて。
ただ、ごめん。ずっと言いたかったんだ。ずっと。だけど、言えなくて。だから、ごめん。
委員長 ……(優しく笑って)なに、いきなり。何のことか分からないよ。
僕 僕、いや、俺、だから、あの、俺さ、俺……
委員長 ありがとう。
僕 え?
委員長 久しぶりだよね。電話。だから。ありがとう。
僕 え、あ……うん。俺こそ、あ、……ありがとう。
委員長 うん。ありがとう
僕 ありがとう。
委員長 なんか、変だね。あたしたち。
僕 うん。……でも、いいんだ。今は。
僕と委員長は話し続ける。
様子を見にタマノンがヒー坊とやって来る。その後ろにノゾミ。三人とも喪服(制服)。
ヒヒバァが優しい顔でヒー坊を見つめる。
ヒー坊がふと視線に気づきヒヒバァを見る。
ヒヒバァがピースする。
みんな、笑顔になる。
幕が下りてくる。
完
私は両親が共働きだったのが原因で、 小さい頃はすごいおばあちゃん子でした。 おばあちゃんは時に優しく、時に厳しく、時に怖く(苦笑) それでもすごく良い思い出として心に残っています。 数年後、「いじわるばあさん」がアニメでやっていた時に、 「ああ、うちのばあちゃんみたいだ」なんて思ったりもしました。 そんな思い出と、 中学生の頃のすれた気持ちを思い出しつつ書いた作品です。 最後まで読んでいただきありがとうございました。 |