お兄ちゃんとは暮らせない
作 楽静
ヨウヘイ 享年17歳。オタクの道を一直線に走ったミチコの兄。
ミカコ 現在17歳。おとなしい性格の少女。
0
夏の物語。
薄暗い部屋がある。
舞台前面が窓(作らないである演技にしてもよい)になるようなつくり。
床にはたたんだ洗濯物。タンスに入れるのを怠けているといった感じ。
年頃の女の子のものといった感じの部屋。明るい雰囲気を作ろうとしている。
しかしドア、もしくは壁(作れなければ貼られてなくてもいい)に場違いなポスターがある。
とても趣味が入っているポスターは、少女のものではない。
少女は家の中でのラフな格好(ジャージなど)ですでに舞台にいる。
小さめのテーブルの上で何かを書いている。
静かに音楽が流れている。
部屋の中が少し明るくなる。
ミカコが、書いていた手を止め、文章を読み始める。
ミカコ ……「お父さんも、お母さんも、どうか心配しないでください。
私は独りで大丈夫です。独りでいきます。」……「独り」か。
ミカコは辺りを見る。
ミカコ ここも、結構長くいたんだなぁ。(と、ポスターに気づき)これも、いい加減捨てないと。
ミカコは立ち上がりポスターを見る。
ポスターを手に取ろうとする。途端音がやみ、揺れを感じる。
ミカコ え……やだ……揺れてる?
揺れはかなり大きい。
立っていられなくなり、思わずよろけながら、
ミカコ 大きい?……うそ、隠れなきゃ。
小さくきしむ音。
ふと、電気さえ暗くなりそうになる。
ミカコ やだよ……怖い……暗い……おにいちゃん。助けて……
それは小さな呟きだった。
しかし。
1
と、突然どこからともなくヨウヘイが現れる。
(部屋を作った場合は、思いがけない場所から出てきて欲しい)
ヨウヘイ ミカ!
ミカコ え? お兄ちゃん!?
ヨウヘイ なにやってんだよ! 地震だぞ地震! 揺れるだろう? 怖いじゃないか! 危ないじゃないか!
ああ、立っていられないぞ。
ミカコ お兄ちゃん!
ヨウヘイ やばいぞこの揺れは! ほら、早くテーブルの下に入れ! 入れって!
(と、ミカコを押し込もうとして)お前、ちょっと見ないうちにでかくなったなぁ。
と、ヨウヘイは無理やりミカコをテーブルの下に押し込む。
人一人入れない小さなテーブルでは、やや持ち上げなければ体は入らないだろう。
頭だけをテーブルに入れるミカコを見て、ヨウヘイはそのまま言葉を続ける。
(ト書きを気にせず、言葉がつながっているとよい)
地震はこのあたりで終わっている。
ヨウヘイ と、俺はどうしよう。
ミカコ お兄ちゃん!?
ヨウヘイ 揺れる、揺れる。ああ、でも大丈夫だぞ、ミカ。兄ちゃんはお前を守って死ねるのなら本望だ。
いや、むしろ例えぺっちゃんこになっても死にはしない。なぜなら、兄ちゃんは、兄ちゃんだからな!
ミカコ お兄ちゃん!
ヨウヘイ どうした!? なにかぶつかったか!?
ミカコ 揺れ、止まってる。
ヨウヘイ え? ……本当だ。いつの間に。
ミカコ お兄ちゃんが、私をここに押し込んだときからよ。
ヨウヘイ そうか。……よかったなぁ。たいしたことなくて。
ミカコ 言いたいことはそれだけ?(と、テーブルから出ようとする)
ヨウヘイ なんだよ、結構怖がっていたくせに。(と、手伝う)
ミカコ 怖がってなんていないよ!
ヨウヘイ そっかぁ?
ミカコ お兄ちゃんは大げさなんだよ、いつだって。
ヨウヘイ なんだよ! こんなに妹のことを思っているのに。
ミカコ 思わなくていいから。
ヨウヘイ えー。
ミカコ 「えー」じゃない! で、何しにきたわけ?
ヨウヘイ おなかすいた。
ミカコ はぁ?
ヨウヘイ あと、可愛い妹に会いに。
ミカコ ご飯たかりにきたのなら、正直にそういいなさい。
ヨウヘイ 何言ってるんだよ! 兄ちゃんはな。お前の料理の腕がどれくらいあがったのかと、
もう気になって気になって。
ミカコ で、何が食べたいの?
ヨウヘイ サニーサイドアップ。
ミカコ はぁ?
ヨウヘイ 目玉焼きだよ! 目玉焼き!
ミカコ それくらい自分で作ればいいじゃん。
ヨウヘイ いやだ。ミカが作った目玉焼きが食べたい。
ミカコ だって、目玉焼きなんて、(そんなのわざわざ作っても)
ヨウヘイ 食べたい! 食べたい! 食べたい!
ヨウヘイは駄々をこね始める。
ミカコ もう! 騒がないでよ! 近所迷惑でしょ!
ヨウヘイは、途端に体育座りになって無言。
ミカコ ……いや、そこまで黙らなくても。
ヨウヘイ ……母さんは?
ミカコ 入院中。知ってるでしょう?
ヨウヘイ うん。知ってて聞いた。
ミカコ 聞くなよ。もう、退院してもすぐおかしくなっちゃうんだから。大変なんだよ。
ヨウヘイ ……体のほうは?
ミカコ 体よりも心。気力がないんだって。先生が言ってた。
ヨウヘイ そっか。
ミカコ もともと、丈夫なほうじゃなかったもんね。
ヨウヘイ 父さんは? いるわけないか。
ミカコ 仕事、忙しいもん。
ヨウヘイ 母さんの分も働かなきゃだもんな。
ミカコ そうだよ。誰かさんのせいでね。
ヨウヘイ さびしいか?
ミカコ 別に。
ヨウヘイ 本当か?
ミカコ うるさいのがいなくて、せーせー(せいせい)する。
ヨウヘイ 誰だよ、うるさいのって? ゴキブリか?
ミカコ ゴキブリはうるさくないわよ!
ヨウヘイ そうか? 結構この部屋うるさかったぞ?
ミカコ え? そうなの? 出るの? ここ。
ヨウヘイ うそ。
ミカコ 殴るよ?
ヨウヘイ 冗談だって。じゃあ、なんだ。猫か? あいつら結構鳴くからな。
言いながらヨウヘイは懐かしそうに外を見る。
ミカコ 自分のことだとは思いもしないところがお兄ちゃんらしいよね。
ヨウヘイ え?
ミカコ なんでもない! じゃあ作ってくるから。
ヨウヘイ 何を?
ミカコ だから、目玉焼きでしょう!
ヨウヘイ ああ。そうだった。頼むぞ。
ミカコ はいはい。
ヨウヘイ ミディアムでね。
ミカコ はいはい。(去る)
ヨウヘイ それはステーキだろって。(反応ないのに気づき)……突っ込めよ!
2
ミカコが去った部屋。
ヨウヘイはむなしさを紛らわすように辺りを物色し始める。
ふと、洗濯物を見つけ、たたむのが雑なのを発見。
ヨウヘイ まったく。あいつはいつまでたっても。
と、たたみ始める。
しかし、その中に下着が混じっているのを見て、
ヨウヘイ これはさすがにまずいか。(と、ブラジャーを見、)本当にでかくなったなぁ。
なんていいながらそこらに放り。
ふと、机の上の紙を見る。
ヨウヘイ 手紙? ……ラブレターか!?
ヨウヘイがうれしそうに手紙を見る。
しかし、その顔が次第に深刻になっていく。
ヨウヘイ ミカ……
3
台詞先行で、ミカコが入ってくる。
ミカコ 出来たよ〜。
ヨウヘイはあわてて紙を放ると、先ほどまでたたんでいた服に手をつける。
ブラジャーをたたもうと四苦八苦。
ミカコ って、なにやってるの!
ヨウヘイ なにって。たたんでやっているんじゃないか。洗濯物を。
ミカコ じゃなくて。なにたたんでんのよ。
ヨウヘイ なにって(と、それがブラジャーだったことに気づき)いや、違うぞ。
兄ちゃんは全然いやらしい気持ちとか、そういうのはなくてだな。
ミカコ もう! いいよ。恥ずかしいからやめて。たたまなくていいから。
ヨウヘイ そうか……
いいながらヨウヘイはブラジャーをかぶる。
ミカコ かぶるな!(と、ブラジャーを奪い取る)
ヨウヘイ いやぁ。大きくなったなぁお前。兄ちゃんはうれしいぞ。
ミカコ 変態。
ヨウヘイ 変態言うな! よくかぶったろう? 小さいころ。 めがねーとかやったり。
ミカコ そのたびに、やめてっていったよね。私。
ヨウヘイ あのときの右ストレートの味は、忘れたくても忘れられないよ。
ミカコ お兄ちゃんが悪いんでしょ。ほら、作ってきたから。
ヨウヘイ おお! さすがは妹!
ミカコ これくらい簡単に出来るって。いったい何年自炊していると思ってるのよ。
(言いながらミカコは皿をテーブルに置く)
ヨウヘイ 二年位か。
ミカコ だよ。
ヨウヘイ そりゃあ上達もするよ。うん。いいねぇ、この黄色い部分とオレンジの部分の色合いが
またたまらないよな。焦げ目のひとつもない外側。程よく半熟になっている黄身。匂いもいい。
まぎれもない卵の香り。不純物一切なしの、完璧なできだな。パーフェクトだ。
ミカコ 目玉焼きくらいで大げさな。
ヨウヘイ いやいや、ここまでのものはなかなか初心者には作れないぞ。さすが妹!
ミカコ そんなお世辞はいいから、早く食べなよ。
ヨウヘイ 食べて♪
ミカコ はぁ?
ヨウヘイ 妹が食べているところを、兄ちゃんは見たい。
ミカコ いや、わけ分からないわよ、それ。なんで夜中に、自分で目玉焼き作って、
自分で食べなきゃならないわけ?
ヨウヘイ 昼間ならいいのか?
ミカコ そういう問題じゃなくて。
ヨウヘイ いいから食べろよ〜。どうせ、最近受験勉強でろくなもの食べてないんだろう?
ミカコ 目玉焼きも、そうたいしたものじゃないと思うけど。
ヨウヘイ 何言ってるんだ! 卵にはな。色々な栄養がそりゃあたっぷり含まれていてだな。
さらに、その黄身を食べるときの食感が、食欲を増進させるという偉大な食べ物だぞ。
目玉焼きこそ至高の料理。まさに、これは黄金にも匹敵する卵といえるだろう。黄金色の卵。
黄金の卵? つまりは金色の卵。略して!
ミカコ もう!うるさい! 食べれなくなるでしょ!
ヨウヘイ じゃあ、食べるのか?
ミカコ わかったわよ。食べます。食べます。
ヨウヘイ よし。食え。
ミカコは目玉焼きを口に運び。
ミカコ 何やってるんだろう? 私。
ヨウヘイ いいから。ほら、早く食えって。
ミカコ はいはい。
ミカコは目玉焼きを食べる。
ヨウヘイ どうだ? うまいか? どうだうまいか? え? 美味しい? うそ? まずい?
うっそーまずいの? やっだぁ。
ミカコ うるさい。
ヨウヘイ 感想を言わないからだ。うまいか?
ミカコ そりゃあね。普通だよ。
ヨウヘイ 普通って何だよ。
ミカコ 普通に、目玉焼きの味がするって事。
ヨウヘイ うまくて飛び上がったりしないか?
ミカコ しないしない。
ヨウヘイ 魂出してみたり。
ミカコ 目玉焼きで死んでどうするのよ。
ヨウヘイ そっか。まだまだだな。ミカ。もっとがんばらないとな。
ミカコ いや、そこまで腕あげるつもりないし。
ヨウヘイ ないのか?
ミカコ ないよ。
ヨウヘイ そっか。でも、普通に美味しいならよかった。うん。
ミカコ うん。やっぱりちょっと違うけどね。
ヨウヘイ 違う?
ミカコ お兄ちゃんのと違う。
ヨウヘイ ……そりゃあ、俺のは秘伝の味だからな。
ミカコ そうだったの?
ヨウヘイ そうだよ、知らなかったのか?
ミカコ うん。
ヨウヘイ だめだなぁ。そういうところはちゃんとみてないとな。
ミカコ うん。
少し静かな空気になる部屋の中。
4
ヨウヘイ ……ところで妹よ。
ミカコ なに?
ヨウヘイ 少々言いにくいんだが。
ミカコ うん。
ヨウヘイ いや、大変言いにくいんだが。
ミカコ (なんとなく分かって)うん。
ヨウヘイ 俺のグッズは?
ミカコ 捨てたよ?
ヨウヘイ 捨てた!?
ミカコ 捨てた。
ヨウヘイ ガン○ムの歴代ヒロインフィギアも?
ミカコ 捨てた。
ヨウヘイ プレミアつきの、綾波レ○、等身大抱き枕も?
ミカコ 燃やした。
ヨウヘイ 必死でそろえたトレーディングカードも?
ミカコ ヤフーオークションで売っぱらった。
ヨウヘイ もしかして、未成年が持っていちゃいけないようなアレでアレのアレな同人誌たちもか!?
ミカコ 燃えないゴミの日にきっちりだした。
ヨウヘイ 俺の宝たちを……なんてこった……
ミカコ だって、せっかく私の部屋になったんだし。この際、無駄なものは全部捨てるか売るかしてやろうと思って。
ヨウヘイ だからって本当に全部捨てること……(と、ポスターに気づく)
ミカコはすばやくポスターを取り、
ミカコ これで最後なんだけどね。これも捨てるつもりだから。
ヨウヘイ 捨てるなよ! ここまで取っておいたんだから、ずっと取っておいてもいいじゃないか。
ミカコ だって、代わりのポスターが見つかるまではって思ってたけど、代わりも買っちゃったし。
ヨウヘイ なんだ代わりって。
ミカコ ほら!
そういってミカコは違うポスターをどっからか出す。
女の子の部屋にありそうなポスター。
ヨウヘイ こんなしょうもないポスターに俺のレアポスターの代わりがつとまるか。
ミカコ しょうもなくない!
ヨウヘイ 超レアなポスターだったんだぞ! 並ぶに並んで手に入れたレア中のレアで、
ミカコ レアレアうるさい。
ヨウヘイ どれだけ苦労して手に入れたと思ってるんだ!
ミカコ どうせ全部お小遣いで買ったくせに。
ヨウヘイ それを言うな。
ミカコ いばるんだったら、お金も自分で出したらよかったのに。
ヨウヘイ 何言ってるんだ。与えられたお金で、いかに自分の趣味を満足させるかが大事なんじゃないか。
ミカコ 言い訳にしか聞こえないけど。
ヨウヘイ いいか? 買える範囲でなんとかする。それがオタクとしての兄ちゃんの美学だ!
それを忘れないでいてもらいたいな。
ミカコ それ、自慢にならないから。
ヨウヘイ 自慢じゃない。俺のプライドだ。
ミカコ プライドねぇ。
ヨウヘイ なんだよ。
ミカコ なんでもありません。
ヨウヘイ 言いたいことがあるのなら言ってみろ。
ミカコ べつに〜。大切なものばかりのわりには、ずいぶん帰ってこなかったなと思って。
ヨウヘイ ……そう簡単に帰れるかよ。
ミカコ プライドが邪魔して?
ヨウヘイ 色々あるの! それより、お前はどうなんだよ。
ミカコ 私?
ヨウヘイ 悩んでいるんじゃないか。進路。
ミカコ 別に悩んでなんてないよ。
ヨウヘイ そのわりにまだ決めかねているみたいだけど?
ミカコ なんでお兄ちゃんにそんなこと分かるのよ。
ヨウヘイ わかるさ! 兄ちゃんだからな。
ミカコ ……もしかして、見てたの?
ヨウヘイ ナニヲ?
ミカコ その異様に怪しいごまかし方は何?
ヨウヘイ 見テナイヨ ナニモ ミテナイ。
ミカコ わざとらしい! 見てたんでしょう! 私が本屋で大学情報を立ち読みしていたの。
ヨウヘイ 立ち読みまではいいけど、気になるページを写メルのは、あれ、まずいと思うぞ。
ミカコ いいじゃんべつに。つかまるわけじゃないんだから! ……それで来たわけ?
ヨウヘイ 別にそれが理由じゃないって。
ミカコ 心配になったんだ? 妹が乗り越えられるか。
ヨウヘイ そりゃあな。俺は無理だったからな。
ミカコ ……大丈夫だよ。私はおにいちゃんとは違うもん。
ヨウヘイ まぁ。そりゃあ、そっか。
5
少ししんみりする部屋。
ミカコ ……覚えてる? 小さいころ、よくけんかしたの。
ヨウヘイ あれはいつもお前が悪かったろう?
ミカコ そうだったっけ?
ヨウヘイ そうだよ。俺が丹精込めて作ったプラモデルを破壊したり。
ミカコ ボーリングのピン代わりになるかなぁって思って。
ヨウヘイ せっかく完璧に仕上げたフィギアの足を折ったり。
ミカコ リカちゃん人形みたく、曲がるかなぁって思って。
ヨウヘイ 集めたポスターに落書きしたり。
ミカコ だって裏真っ白なんだもん。
ヨウヘイ あぁ、思い出したら腹立ってきた。
ミカコ 本当、くだらないことでよく喧嘩したよね。
ヨウヘイ くだらなくないだろう! 俺にとっては全部大事なものだったんだ!
女じゃなかったら本気で殴っていたぞ!
ミカコ でも、いつもお兄ちゃんが泣いて終わったね。
ヨウヘイ お前の攻撃の仕方がひどすぎたんだ。
ミカコ わんわん女の子みたいに泣いて、近所の男の子にもバカにされて……
ヨウヘイ 皆、懐かしい思い出だよな。
ミカコ そのせいで、ますますお兄ちゃん引きこもったんだっけ。
ヨウヘイ べつに、お前のせいじゃないよ。
ミカコ でも原因の一つではあるでしょ。
ヨウヘイ 俺が弱かっただけだって。で、大学は?
ミカコ (台詞にかぶせるように)ねぇ、なんでやり返さなかったの?
ヨウヘイ 大学はどうするんだよ。あ、専門にするのか?
ミカコ いつもいつも、殴られるままで。やられっぱなしで。
ヨウヘイ まぁ、働くって選択肢もあるよな。でも人生に一度勉強するかしないかで色々決まる時期だからなぁ。
何事にも慎重に行かなきゃ行けないぞ。うん。
ミカコ ねぇ、なんで?
ヨウヘイ ……べつに。兄ちゃんが弱かっただけだ。
ミカコ 本当に?
ヨウヘイ ああ、別にお前が気にやむことないって。(明るく)本当に弱かったからなぁあのころは。
ミカコ 他の子にも負けてたしね。
ヨウヘイ ぼろ負けだったよな。いつも。
ミカコ あだ名モヤシだったしね。
ヨウヘイ 細いんじゃなくて、弱いからな。
ミカコ そのうち、ケシカスになったもんね。
ヨウヘイ すぐちぎれるみたいに負けるからな。
ミカコ で、縮まってカスになったし。
ヨウヘイ なったなぁ。それからずっとカスって呼ばれてたよなぁ。
ミカコ 女の子たちにも呼ばれてたよね。
ヨウヘイ 呼ばれてた呼ばれてた。
ミカコ 年下にも。
ヨウヘイ うんうん。
ミカコ ある意味有名人だったよね。弱さで。
ヨウヘイ ミカ、兄ちゃんだんだん泣きたくなってきた。
ミカコ ごめん。わざとだった。
ヨウヘイ わざとかよ! まぁ、それも過ぎてしまえばいい思い出だな。
ミカコ 本当に?
ヨウヘイ いいんだよ! いい思い出なの!
ミカコ わかった。
ヨウヘイ それで。いいから、お前はどうなんだよ?
ミカコ なにが?
ヨウヘイ だから、大学だって。
ミカコ ……どうかな?
ミカコは窓に近づく。
ヨウヘイ どうかなって。
ミカコ 覚えてる?
ヨウヘイ なにを?
ミカコ お兄ちゃんが始めてこの部屋もらったとき。
ヨウヘイ ああ。
ミカコ 私、泣いてお母さんに抗議したよね。
ヨウヘイ それまでは二人とも部屋なかったからな。
ミカコ お父さんが仕事急がしてくなって、あまり使わないからって一部屋空いて……
でもなんでおにいちゃんが独り部屋なの? って私思った。
ヨウヘイ まぁ、そりゃあ兄ちゃんだからな。
ミカコ そのとき、お兄ちゃんがなんて言ったか覚えてる?
ヨウヘイ え? なんか言ったっけ? 俺。
ミカコ あれから、よく考えたの。この部屋がはじめから私のだったらあれはなかったんじゃないかって。
ヨウヘイ そんなこと(ないだろう)
ミカコ この部屋中にポスター貼られたり、プラモデル並んだり。変な人形が並んだり。
ヨウヘイ 人形じゃなくて、それはフィギアな。
ミカコ お兄ちゃんがいじめられたり、しなかったんじゃないかって。私がはじめからこの部屋だったら。
私がもっと反対していたら。
ヨウヘイ そんなことないって。何言ってるんだよ。馬鹿だなぁ。
ミカコ ……でもね、部屋片付けて、この部屋で寝るようになってからね。気づいたんだ。
ヨウヘイ なにに?
ミカコ 静かさに。この部屋の静かさ。冷たいくらいの。
ヨウヘイ 窓閉めたら、あまり聞こえないからな。外の声。
ミカコ ドア閉めたら、居間の声も聞こえない。閉めなくても、今は何も聞こえないけど。
ヨウヘイ 静かだよな。
ミカコ だから、私には耐えられなかったと思うんだ。
ヨウヘイ そんなこと(ないって)
ミカコ 耐えられないよ。だから今もね。寝るときは電気をつけて、音楽をかけて寝るの。
じゃないと寝られないから。
ヨウヘイ ミカ……
ミカコ 「お前には無理だよ」
ヨウヘイ え?
ミカコ お兄ちゃんが、この部屋を使うようになるとき私に言った言葉。
ヨウヘイ そんなこと言ったっけ?
ミカコ わかったんだよね。お兄ちゃんにはきっと。私には無理だって。
ヨウヘイ お前も苦手だからな。静かなの。
ミカコ いっそのこと、二人とも独り部屋なんて持たなければよかったのにね。
ヨウヘイ そんなこと、気づけるわけないって。
ミカコ そうだね。
ミカコが窓を開ける。
セミの声が聞こえる。
6
ヨウヘイ こら。クーラーつけているのに、窓開けんな。
ミカコ ちょっとだけだよ。
ヨウヘイ 電力会社に怒られるぞ。
ミカコ ちょっとだけ。
ヨウヘイ ……べつに、ここめちゃくちゃ静かなわけじゃないぞ。
ミカコ うん。
ヨウヘイ 俺が入ったばかりのときはクーラーなかったしな。
ミカコ うん。
ヨウヘイ 窓開けたらな、こんなふとっちょの猫がな? ミャーミャーって鳴いて、あの(と、外を指す)あそこらへん、
電柱のとこのな。他の猫と、シューシュー威嚇しあってて。それがすごいんだよ。
何ていうかゴジラ対メカゴジラ? そんな感じで。んで、やれ! どっちも負けんな! がんばれ!
がんばれ!って。夜中中応援したりしてな。
ミカコ 餌あげるんだって、牛乳よくもっていったよね。
ヨウヘイ 小さい舌をさ、チョロチョロさせて飲んでたよ。でっかいくせに舌は可愛いのな。
食べ終わったら、こう、もっと無いのって顔で見上げてさ。
ミカコ ……
ヨウヘイ 大きな目をくりくりってさせてさ。喉ごろごろ鳴らして。
そのくせ、なでようとするとすごい勢いで離れていって。黒いぶちが可愛くてさ。可愛かったよな。
ミカコ 見てないよ。もう、何年も。
ヨウヘイ うん。
ミカコ この部屋にクーラーが入る前だっけ。
ヨウヘイ ああ。
ミカコ どこ行ったんだろうね。
ヨウヘイ ……いたよ。ゴミ捨て場に。
ミカコ うそ。
ヨウヘイ 丸くなってさ。寝てるのかと思ったら、口の端から流れているんだよ、血が。可愛かったのにさ。
誰がやったんだろうな。……誰がやれたんだろうな。あんなこと。
ミカコ うん。
ヨウヘイは窓を閉める。
セミの声がやむ。
ヨウヘイ 知らなきゃ悲しいとも思わなかったのに。って思ったよ。こうやって何も聞かないでいれば、
何も知らなきゃ悲しいなんて思わないのに。って。……
(明るく)そのおかげでクーラーが手に入ったんだぞ! すごいだろう? 兄の行動力。
ミカコ おねだりしただけだけどね。
ヨウヘイ クーラー様の恩恵にあずかっているやつが偉そうにいうな。
ミカコ でも、おかげで静かになった。
ヨウヘイ いいことだろう? 受験生なんだから大学進学考えるにも。勉強するにしても、静かが一番。
ミカコ まぁ、静かだと色々考えられるからね。
ヨウヘイ そうそう。
ミカコ 色々、考えちゃうけどね。
ヨウヘイ いいじゃないか。大学は一生ものだからな。どんだけ考えたって考えすぎってことはないと思うぞ。
ミカコ そうじゃなくてさ。
ヨウヘイ それともあれか? 料理人でもなりたいってやつか? 確かに夢を追うことはいいことだけどな。
でも、さっきの料理では天下は取れないぞ。
ミカコ 取る気ないよ。天下なんて。
ヨウヘイ そうか? 兄ちゃんは取りたかったけどな。天下。
ミカコ 料理で?
ヨウヘイ いや、オタク知識で。
ミカコ どんな天下よ?
ヨウヘイ オタク知識をなめるな! 検定だってあるんだぞ?
ミカコ うっそぉ?
ヨウヘイ 嘘なもんか。お前が行っていた本屋でも募集してたぞ。検定受けたい人。
ミカコ それ、なんか意味あるの?
ヨウヘイ オタクとしてプライドの問題だろう?
ミカコ 本気でどうでもいいよね。
ヨウヘイ どんなことでも、一番になろうとするのはすばらしいだろう? オンリーワンよりナンバーワンだ!
ミカコ 思いっきり世の中の逆をいっているよ。
ヨウヘイ そうじゃないと生き残れないぞ。
ミカコ ……そうだね。
ヨウヘイ なぜ暗くなる!?
ミカコ お兄ちゃんでも、あったんだね。
ヨウヘイ 何が?
ミカコ 一番になりたいもの。
ヨウヘイ そりゃあるだろう。誰だって一つくらい。
ミカコ いいな。
ヨウヘイ 何でだよ。
ミカコ 私には無いから。
ヨウヘイ 無いのか?
ミカコ ないよ。
ヨウヘイ そっか。
ミカコ うん。
7
ヨウヘイ ……じゃあ、どうするんだよ。
ミカコ どうしようか?
ヨウヘイ 働くのか?
ミカコ 何をしていいかわからないもん。
ヨウヘイ 専門でもいくか?
ミカコ なんのか決められないし。
ヨウヘイ じゃあ大学だろう。大学行ってから決めればいいじゃんか。
ミカコ そこまでしてやりたいことなんて、ないよ。
ヨウヘイ じゃあ、どうするんだよ。
ミカコ しりとりしようか?
ヨウヘイ はぁ?
ミカコ しりとり。よくやったじゃん。小さいころ。
ヨウヘイ よくでもないだろう。
ミカコ でもやったでしょう?
ヨウヘイ いつも俺が負けていたけどな。
ミカコ お兄ちゃん弱いもんね。しりとり。
ヨウヘイ お前が、俺が言う単語を全部、知らないって切り捨てたからだろう?
ミカコ だって知らなかったんだもん。
ヨウヘイ 知らなくなかった。一般常識だったぞ。
ミカコ 子供だったからよ。今ならわかるからさ。
ヨウヘイ 別に今やらなくてもいいだろ。
ミカコ 今やりたいの。
ヨウヘイ わかった。
ミカコ じゃあ、スイカ。
ヨウヘイ カ? カだな。うん。カリオストロ。
ミカコ なにそれ?
ヨウヘイ ルパンだ。
ミカコ ふーん。廊下。
ヨウヘイ カ? カだな。カカロット。
ミカコ なにそれ?
ヨウヘイ ドラゴンボールだ。
ミカコ ふーん。と……ドでもいい?
ヨウヘイ いいよ。
ミカコ 銅貨。お金ね。
ヨウヘイ カ? カだな。春日部防衛隊。
ミカコ なにそれ?
ヨウヘイ クレヨンしんちゃんだ。
ミカコ へぇ。イカ。
ヨウヘイ カ? カだな。……ちょっとまて。
ミカコ え?
ヨウヘイ なんかずっと「カ」しか回ってきてない気がするんだが。
ミカコ そう?
ヨウヘイ そうだろう。
ミカコ 偶然だよ、きっと。
ヨウヘイ そうか?
ミカコ うん。
ヨウヘイ そうかぁ。じゃあ、カクレンジャー。
ミカコ あ? あんか。足あっためるやつね。
ヨウヘイ カ? カだなって、またカじゃねえか!
ミカコ そうだよ?
ヨウヘイ そうだよじゃなくて、カ攻めすんな!
ミカコ なんで?
ヨウヘイ 続かないだろ? しりとりが。
ミカコ じゃないと勝負つかないじゃん。
ヨウヘイ ! ……だから、俺今まで負けていたのか。
ミカコ 気づくの遅いよ。
ヨウヘイ 知らなかった。
ミカコ お兄ちゃん、本当弱いよね。勝負事になると。
ヨウヘイ お前がいつも卑怯なんだよ。
ミカコ お兄ちゃんが弱すぎるんだよ。
ヨウヘイ ま、そうとも言うけどな。
ミカコ 本当、弱すぎ。
ヨウヘイ ほっとけ。
ミカコ 弱すぎだよ。
ミカコがうつむく。
ヨウヘイはミカコの言葉の意味に気づく。
8
ヨウヘイ そうだな。いやぁ兄ちゃん本当弱いわ。なんせケシカスだからな。いや、カスか。カスだったからな。
ミカコ だからお兄ちゃん(あんなこと)
ヨウヘイ こんな男、男じゃないよな本当。そうだ! てか、男といえばお前はどうなんだ?
ミカコ どうって?
ヨウヘイ 男だよ。好きなやつとか。いないのか?
ミカコ いないよ。
ヨウヘイ まぁ、受験に男は禁物だけどな。でも好きな男くらいいたって罰は当たらないと思うぞ。いないのか?
ミカコ いないよ。
ヨウヘイ 好きな男もいないのかよ〜。だらしないなぁ。
ミカコ 自分だっていなかったくせに。
ヨウヘイ うっ。でも、それは俺としてはだな、現実の女になんて興味がなかっただけだ!
ミカコ 今までのお兄ちゃんの台詞の中で一番引いたよ今。
ヨウヘイ 何言ってんだ。二次元の美少女こそ、我らがアイドルであり、彼女なんだよ。
ミカコ 今やオタクだって格好良くなって彼女を作ろうとする時代だよ?
ヨウヘイ 甘いな妹よ。それはオタクではなくて、オタクになりそこなった男だ。変われないから。
否。変わらないからオタクなんだよ。
ミカコ 威張って言われても。
ヨウヘイ だから俺は正しい。うん、オタクとして正しい。そんな兄が妹に問う。好きな人はいないのか?
ミカコ だからいないって。
ヨウヘイ 本当かよ〜。兄ちゃんは悲しいぞ。せっかく来たのに、進路相談どころか恋愛相談すらされないって。
はぁ。我が妹ながら情けない。
ミカコ 仕方ないよ。だって、ケシカスの妹なんだから。
ヨウヘイ なんだよ。そういう言い方はないだろう?
ミカコ カスの妹じゃ何も出来ないのは当たり前でしょう?
ヨウヘイ ……いや、そんなことはない。カスだって、積もれば山となるっていうだろう?
それは塵か。だから……って、今のはフォローになってないな。兄ちゃんフォロー失敗だ。
フォローへたくそだからな。ははは。
ミカコ ……変われないから、あんなことしたの?
ヨウヘイ え?
ミカコ 弱いから。変われないから、あんなことしたの?
ヨウヘイ ……どうかな。
ミカコ 何も残さなかったね。
ヨウヘイ 残すものなんて、何もなかったからな。
ミカコ お母さん言ってたよ。なんで?って。
ヨウヘイ 知ってる。
ミカコ なんども。今でも言ってる。
ヨウヘイ 知ってるよ。
ミカコ お父さんも、何度も、何度も聞いてた。
ヨウヘイ ああ。
ミカコ お酒飲みながら。赤い顔をうつむかせて。答えなんて返ってくるわけないのに。
ヨウヘイ 泣いてたな。父さん。
ミカコ うん。
ヨウヘイ 兄ちゃんは弱かったんだよ。本当に、弱かったんだ。
ミカコ ケシカスだもんね。
ヨウヘイ だから、ぷーって吹かれてどっか消えていなくなっちゃっても、誰も気にしないって思ってたんだ。
そう、思い込んでた。
ミカコ 思い違いもはなはだしいよね。
ヨウヘイ まったくだな。……母さん、今でも時々泣いているんだ。お前がいないとき。
ミカコ 私が行くとね。笑うよ。すごく無理して。
ヨウヘイ ああ。
ミカコ ばかだよね。
ヨウヘイ ばかだな。……なのに、どうしてだ?
ミカコ ……なにが?
ヨウヘイ わかっているんだろう? ばかだって。
ミカコ わかってるよ。
ヨウヘイ 何か残していれば違うとでも思ったのか?
ミカコ そんなことない。
ヨウヘイ じゃあ、何なんだよ? ……何なんだよ、これは。
と、ヨウヘイは机の紙を手に取る。
9
ミカコ ……手紙。
ヨウヘイ じゃあ封をして、切手を貼ってだすのか? 父さんか母さんに。
ミカコ うん。可愛い切手がなくて困っちゃった。
ヨウヘイ なら俺のコレクションから使っていいぞって、そうじゃないだろう!
ミカコ お兄ちゃん、ノリツッコミ下手だよね。
ヨウヘイ こういう状況でまさかぼけると思わなかっただけだ! これ、そういう手紙じゃないだろう?
ミカコ そりゃ、切手は貼らないけどさ。
ヨウヘイ そういうことじゃなくて。
ミカコ (無理した明るさで)大丈夫。封筒くらいは可愛いのを選ぶよ?
あ、だからって雑誌のおまけみたいなのじゃないから安心してね。いやじゃん?
なんかそういう安っぽいもので済ますのって。いかにもお金ないみたいだしさ。っていうかさ。
可愛い封筒って案外高くて困っちゃうよね。いやぁ。本当。困っちゃった。……
ヨウヘイ 無理に明るくしなくていいから。
ミカコ なに? お兄ちゃん、なんか怖いよ?
ヨウヘイ 理由、聞かせろよ。
ミカコ 封筒を可愛くしたい理由?
ヨウヘイ ……これ、遺書だろう?
ミカコ ……うん。
ヨウヘイ なんでだよ?
ミカコ 何でだろうね。
ヨウヘイ 何かあったのか?
ミカコ べつに。
ヨウヘイ いじめとか。
ミカコ 友達いるもん私。
ヨウヘイ 勉強に詰まったとか。
ミカコ 成績悪くないし。
ヨウヘイ 痛い失恋でもしたか?
ミカコ 好きな人なんていないもん。
ヨウヘイ 変な宗教。
ミカコ つかまらない。
ヨウヘイ 悪徳金融。
ミカコ 使わないから、お金。
ヨウヘイ じゃあ、じゃあだな。
ミカコ 特にないよ。理由なんて。
ヨウヘイ 俺のせいか?
ミカコ ……ちがうよ。
ヨウヘイ 俺があんなことしたせいか?
ミカコ あんなことって? やっぱり私の着替え覗いてたの!?
ヨウヘイ やっぱりって何だ!? いきなり人を犯罪者にするな!
ミカコ そして、そのときの写真を餌に脅迫して……
ヨウヘイ 撮ってないし、してないだろそんなこと! 俺がいなくなったことだよ。
ミカコ ……ううん。違うよ。
ヨウヘイ ちがうのか?
ミカコ ちがう。
ヨウヘイ じゃあ、なんでだよ?
ミカコ 理由なんてないんだって。
ヨウヘイ ないわけないだろう。
ミカコ ないから、かな。
ヨウヘイ は?
ミカコ 何もないんだもん。私。
ヨウヘイ 何もないって……
ミカコ やりたいこともないし。やれることもないし。欲しい物だって、ない。ないないないで、何もない。
ヨウヘイ そんなの、これからだって出来るだろう?
ミカコ お兄ちゃんだって持ってたのに。オタクだけど。
ヨウヘイ オタクは余計だけどな。
ミカコ 私はなにもなくて……それなのにもうすぐ、あのときのお兄ちゃんを越して生きることになるんだよ?
ヨウヘイ 永遠の17歳だからな、俺。それは仕方ないだろう? 成長しないわけには行かないんだから。
ミカコ そうだけど、でもさ。
ヨウヘイ でも? ……なんだよ?
ミカコ 怖いよ。独りはさ。
ヨウヘイ やっぱり、俺のせいじゃんか。
ミカコ ちがうよ。
ヨウヘイ 違わないだろう。
ミカコ ちがうけど、でも一人だからさ、静かだし、この部屋。色々考えちゃうよ。
一人だと将来のこととか、自分、何がしたいんだろうとか。でも何も浮かばないんだ。おかしいの。
なんかね、静か過ぎて耳いたくなっちゃって。クーラーの音だけ変に大きく聞こえてさ。
後時々時計の秒針とか聞こえて。何でこんなの聞こえんだろう?って。
でもそんなこと聞いてくれる人もいないし。私だけなんだもんこの家。
私だけ世界においていかれているみたいなんだもん。
ヨウヘイ ……ごめんな。
ミカコ お兄ちゃんが悪いんじゃないよ。きっと私もね、弱いんだ。本当は。
だって、お兄ちゃんの妹なんだもん私は。
ヨウヘイ 呼んでくれればよかったのに。
ミカコ 来もしないくせに
ヨウヘイ 来たさ。
ミカコ 来なかったじゃん。二年も。二年だよ。
ヨウヘイ 呼んだか? 一度でも。
ミカコ 何度だって呼んでたよ。
ヨウヘイ でも、それは口に出してたわけじゃない。
ミカコ 声に出したら来てくれたの?
ヨウヘイ だから来たんじゃんか。
ミカコ ……呼んだ? わたし。
ヨウヘイ 呼んださ。お兄ちゃんって。
ミカコ だから、来たの?
ヨウヘイ だから、来た。
ミカコ ずっと見てたの?
ヨウヘイ ずっと見てたさ。いつだって。
ミカコ あれから?
ヨウヘイ あれからも。その前だって。
ミカコ じゃあ何で。
ヨウヘイ なんで?
ミカコ なんで一人で逝ったの?
ヨウヘイ 連れて行くわけにもいかないだろう、一緒に。
ミカコ 私はそれでも良かったのに。
ヨウヘイ そんなことはないよ。
ミカコ だって、結局同じことじゃん。私だって(どうせ死のうとしているんだから)
ヨウヘイ お前は兄ちゃんとは違う。
ミカコ 違わないよ。
ヨウヘイ 違うよ。
ミカコ 同じだよ。私だって、もう。
ヨウヘイ いいから。違うってことにしとけ。な。こんなんやぶっちゃってさ。なかったことにしとけ(と、紙を手に取る)
ミカコ ちょっとやめてよ。せっかく書いたのに。
ヨウヘイ こんなん、せっかくも何もないだろうに。
ミカコ 書くのに一日がかりだったんだから。
ヨウヘイ それはご苦労だったなぁ。
ミカコ 色々悩んで。書こうか書くまいかとか、なんか書いているうちにバカバカしくなったりしながら、
それでもって思ってやっと。やっと……
ヨウヘイ ……(ヨウヘイは紙を二枚に破る)
ミカコ ……(ヨウヘイの手を見る)
ヨウヘイ 死ぬのは、俺だけで充分だよ。
ミカコ ……ばか兄貴。
ヨウヘイ お、兄貴って初めて言ったな。なんかいいな、それ。男らしくて。
ミカコが怒った顔を作ろうとするが出来ない。
顔を伏せたミカコは泣いてしまう。
間
10
しばらくして、ヨウヘイが窓を開ける。
セミの鳴き声。
ヨウヘイ (セミの声に)おーおー。まだ鳴いてら。……お前も、まだ泣いてんのか?
ミカコ クーラー、無駄になるよ。
ヨウヘイ やっぱり、自然の風が一番だよな。
ミカコ セミ、うるさいよ。
ヨウヘイ あいつら、何であんた一生懸命なんだろうな。たった、一週間しか生きられないくせに。
ミカコ だからだよ。
ヨウヘイ だから?
ミカコ わかってるから。自分の生きる時間がどれくらいか。だから、終わるまで生きられるんだよ。
ヨウヘイは窓を閉め、
ヨウヘイ 分からないのは怖いよな。
ミカコ 怖い。
ヨウヘイ でも、それでも、なんだよ。それでも逃げちゃ駄目なんだよ。
ミカコ 自分だけ先に逃げたくせに。
ヨウヘイ ああ。
ミカコ 何も言わず、何も残さず逝ったくせに。
ヨウヘイ ああ。
ミカコ いまさらすぎだよ。
ヨウヘイ わかってる。
ミカコ 自分勝手。
ヨウヘイ そうだな。
ミカコ わがままやろう。
ヨウヘイ 知ってる。
ミカコ 嫌いだよ、お兄ちゃんなんて。
ヨウヘイ それでも、俺はお前を見てるから。
ミカコ ……これからも?
ヨウヘイ これからも。兄ちゃんは、兄ちゃんだからな。
ミカコ 生きていかなきゃいけないの? 私。
ヨウヘイ じゃないと兄ちゃん泣いちゃぞ。
ミカコ お兄ちゃん、弱虫だからね。
ヨウヘイ そうだ。泣かしたくないだろう?
ミカコ 泣いたらうるさいもんね。
ヨウヘイ うるさいなんてもんじゃないぞ。兄ちゃんの泣き声ったら半端無いからな。
ミカコ 静かなのも嫌だけど、うるさすぎるのも嫌だよ。
ヨウヘイ 嫌だろ。知ってて泣いてやる。
ミカコ ……しょうがないなぁ。
ヨウヘイ しょうがないだろう?
ミカコ ちょっとだけだよ。
ヨウヘイ ああ。わかってるって。
ヨウヘイが立ち上がる。ちょっと背伸びをして。
ミカコ 行くの?
ヨウヘイ おう。
ミカコ またくる?
ヨウヘイ 呼んだらな。
ミカコ ……おにいちゃん。
ヨウヘイ なんだ? ……なんだよ? もう解決めでたしめでたしって段階だろ?
ミカコ ……恨んでない?
ヨウヘイ クーラー?
ミカコ じゃなくて。……私。
ヨウヘイ なんで?
ミカコ 私は、兄ちゃんを助けてあげられなかったから。
ヨウヘイ ばーか。
と、ヨウヘイはミカコにデコピン。
ミカコ 痛いよ。
ヨウヘイ いくら自分が弱くたって誰を責めるって言うんだよ。いいか? 兄ちゃんは?
ミカコ ……兄ちゃんなんだよね。
ヨウヘイ そういうことだ。
ミカコ そっか。
ヨウヘイ だから、お前もな。お前を責めんな。
ミカコ ……うん。
ヨウヘイ じゃあな!
ヨウヘイは勢いよく帰っていく。
消えるように。そして、静かさが残る。
11
ミカコ ……
ミカコは一人ちゃぶ台に向かい、破られた遺書を手に取る。
ミカコ 「お父さんも、お母さんも、どうか心配しないでください。私は」……独りじゃないから。
ミカコは紙を折っていく。
やがてそれは鶴の形になっていく。
完成した鶴をての上に乗せたミカコは、ふと窓を開ける。
聞こえてくるセミの声。
ミカコは空を仰ぐ。
ミカコ ……ありがとう。
少し離れた場所に、ヨウヘイの姿が浮かび上がる。
二人の姿が闇の中に浮かんでいるように見える。
ヨウヘイがミカコを見る。
ミカコもヨウヘイを見る。
二人が笑う
溶暗
例え命が消えたとしても、大切な人はきっとあなたのそばにいる。
完
参考文献 「父と暮らせば」井上ひさし
楽静の二人劇は死を巡るものがあります。 「ユメ カタリ」 「ここでは死ねない」 そして、今回のお話。 読んだ方には分かるかもしれませんが、 井上ひさしさんの「父と暮らせば」が着想点でした。 強く生きようとしなくても生きていられる今の時代、 周りから見ればほんの小さなきっかけで死を選択してしまう子供達を、 私はかわいそうだとは思いたくありません。 逆にそれはほんの小さなきっかけで生きようとも出来るはずだから。 そのきっかけに少しでも多くの人がなれればと、願って止まない今日この頃です。 死者に頼らず、生きているものが生きているものを 救える話を書けるようになりたいと思いながら、書き進めてみました。 最後まで読んでいただきありがとうございました。 |