イメージの話をしよう。
小説なんて俺には書けないから。ほんの少しイメージの話をしよう。
例えばここに公園がある。一番思い浮かべやすい公園でいい。子どものころブランコに乗ったような、そんな公園だ。公園で遊んだことがないなら――まさかそんな人はいないと思いたいけど――保育園や幼稚園の遊技場でもいい。半分まで埋まったタイヤがあったり、鉄棒があったり。なんとなく懐かしいだろう?
そして暖かい。そう、今思い浮かべて欲しいのは、そこがなんだか暖かかったってことだ。当然季節は春。まどろみながら、そんな公園(あるいは遊技場)で時を過ごしている。
ただし、砂場は無しだ。
ここで頼むから嫌な顔はしないでくれ。
砂場が無いと落ち着かないと言うのなら、そうだな……一本の木を砂場の代わりに置いてくれればいい。高い木だ。ドングリの木。木下にはベンチがあり、遊ぶ子どもを親が見るときに座る。もしくは年老いた人々が。あるいはカップルが。
まずは、そんなカップルの話をしようと思う。ただしイメージの話と言ったのを忘れないでほしい。
それはこんな風に始まる。
『愛してる?』
これは女が言った言葉だ。
『愛してるよ』
男が言う。臆面も無く答える男はしかし、女を見ずに公園を眺めている。男の目に映る公園は緑に溢れている。日の光が木々を通し男の目を指す。心地よさに男は目を閉じる。
突然、女が男の腕をつねる。春先に似合わないファーつきジャンパーじゃそれほど痛くはないはずなのに、男はやけに大袈裟に反応する。
『痛いよ』
『嘘吐き』
『何が?』
『嘘吐き』
女は男の顔を見ようとしない。時折男が「もみあげ」と呼んでからかう横髪が、綺麗に女の顔を隠している。男は小さく溜め息をつく。女が誕生日に上げた時計を揺らしながら、男の手が女の肩を掴む。もう一方の手は女の頬を。手に筋が立つ。女はまるでこらえきれなかったのだとでも言いたげに、マスカラが綺麗に乗った目を伏せて男を向く。
『愛しているよ』
男の目が真っ直ぐ女を見る。
『知ってるよ』
女は少し困ったように、それでも嬉しそうに笑いながら、また男の腕をつねる。
そして俺は笑い声をあげる。
何故かって? これはイメージの話だと言っただろう?多分君は甘い恋をしている男女をイメージしただろう。顔まで想像出来たかは分からない。二人の会話だけを浮かべたかもしれない。だがそれは全て妄想に過ぎない。頭の中に作られた脆弱な空想は、ほんの一言加えられただけで崩壊する。例えばそれは、男が冷たく呟く『嘘だよ』という台詞だけで。
当てはめられたイメージが崩れていく音が聞けたのなら、もう少しこの壊れやすい世界を歩いてみようか。
さあ、公園を見渡そう。砂場があるぱずの場所には大きな木がある。少年が今その太い幹に足場を探している。
『大丈夫?』
これは少女の問いだ。少年と同じくらい――七歳くらいだろうか――おさげにした髪を揺らしながら、少女はすでに登り始めた少年を見上げる。
『大丈夫!』
少年が答える。少年は幹に足をかける。
砂を蹴る足の音。
途端に、幹にかけていた足は外れ、靴先は強く木を削る。踏み込んでいた膝は幹へとぶつかり、少年は予想外の痛みに顔をしかめる。
『大丈夫?』
『大丈夫だょ』
少女の言葉に、少年は少し苛立ってこたえる。
『無理、しなくていいよ』
少女の声は弱く今にも泣きそうだ。少年を見上げた目が自然に幹の先を見る。そこには枝に挟まるように帽子が乗っている。少女の視線に気づいた少年は、目的を思い出して今度は優しい笑みを浮かべる。
『大丈夫だって』
『危ないよ』
『まかしておいてよ』
そして、少年は再び幹に足をかけ、踏み込む。少年の足は今度は幹をしっかりと噛み、少年の小さな体は幹を登る。やがて少年は少女の顔に笑みを浮かばせることに成功するだろう。そんな確信を思わせるほど、少年の目は力強く、ただ一点を見つめて上り続ける。
やがて、少年の手が帽子へと届き――
そして私はしのび笑いを漏らし始める。
何も変わらないイメージ。いい加減崩れるばかりの虚構に飽きてきたと文句を言いたくなるかもしれない。ただほんの一時でも暇な時間があるのなら、もう少しだけこの世界に付き合って欲しい。
そう。イメージの話に。
公園の片隅に目をやってみよう。そこには黒いジャケットを着てうつむく男がいる。男は伏し目がちな目を時折公園へとはせる。公園には今は人影はない。夕日を遮る木々の陰で、男には日があたらない。いや、例えあたったとしても、男の薄暗い表情に光がさすことはない。男はただ待っている。ありもしない未来を。有り得たかもしれない日々を。
男の目に写る公園はどこか古ぼけていた。ベンチはペンキが禿げ、ブランコは錆だらけだ。
そして目の前には砂場が広がっている。
そう。何処にでもある砂場が。
かつて男も少年と呼ばれる時を生き、片隅には少女がいた。
二人でつくった砂の山に、二人で同時に穴を開けた。
『まだ届かない?』
『もう少し』
少女の明るい声は、茜色のワンピースより眩しくてして少年は知らず焦る。
『あ、くすぐったい』
『本当?』
指先に感じた微かな感触を頼りに少年は掘る。
『あ!』
それは少女が先だったのか。
少年が呟くより早く、砂の山は脆くも崩れる。
『もう少しだったね』
不格好に崩れた二人の山。
鼻に砂をつけたまま少女が笑う。少年は諦めきれずに手を伸ばす。
もう少し。あと少しでその手は少女へ……
そして、俺は不格好に手を伸ばしている自分に気付き苦笑する。
今はもう少女はいない。あるのは古ぼけた何処にでもある公園だけ。
砂場はない。少なくても俺には見えない。ただ、こうして座っていれば、いつか少女は現れるかもしれない。
『なにやってるの?』
そううつ向く男の顔を覗きこんでくれるかもしれない。
全てはイメージの話だ。遠い過去のイメージ。ある分けない未来のイメージ。
独りきりの男の夢物語の変わりのイメージ。
さあ、イメージの話をしようか。
完
時折公園で見かけるスーツのおじさんが気になっていました。 どこを見るわけでもなく、じっと、公園の中央を見ているおじさん。 その瞳に何が写っているのかと思ったとき、 心の中でやっぱりうつむいていたおじさんが教えてくれた物語です。 いつか私も過去を振り返りながら幻想を続けることがあるのだろうか? それは怖くもありながら、なんだか自然なような気もする未来で、 楽静は案外それも一つの未来かもと、のほほんと考えるのでした。 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 |