叫べよ獣
「この男はあたいのモノだよ。あたいが先に唾つけたんだからね」
「見つけたのは私が先よ」
「何言ってンだよ、あたいだろ」
「私よ」
(これが、酒場での会話だったらなぁ)
右手にワイングラスでもあって、痴話喧嘩を続ける二人に苦笑して見せる……だったらどんなに良いかと、何度思ったことか。その度に、四肢につけられた鉄の輪に、ため息が出る。
(な、情けない)
間抜けさに涙も出ない。
俺、『狂戦士』ことリードは、今猛烈なピンチに置かれている。普段、大手を振って道を歩いては、不良共の喧嘩を買い、派手に大暴れして警官に追いかけ回される。その俺が、今や体の自由を冷たい鎖に止められ、為すすべもなく壁にくくりつけられている。
その俺の目の前では、綺麗な姉ちゃん二人が、さっきから俺の処置について話し合っていた。一方は、長身のロングヘア。もう一方は、短髪でお子さまに見える。両方とも、それなりの美人……なのだが、二人の言っている事は俺の怒りをあおる言葉だらけだ。
「だからあたいが先に見つけたんだから、唐揚げにしようって」
「何言っているのよ、丸焼きよ。唐揚げなんて、素材の味を無くしてしまうだけじゃない」
どうやら、俺はこいつら二人の今夜の食事になるらしい。
「ちょ、ちょと待て、お前ら。何で俺が、唐揚げとか、丸焼きにならなきゃなんねえんだ」
叫びをあげる俺に、片方の姉ちゃんが言い合いを中断して振り返った。整えられた顔、その右目の下にあるほくろが、美しさを際だたせる。俺は、一瞬言葉を忘れたが、その姉ちゃんの耳を見て自分の立場を思い出す。
「何かしら?」
スラッと、天を指した耳。先へ行くほど尖っていて、なおかつ細かい毛で覆われている。俺の言葉に反応したのか、ピクンと、左右の耳が俺の方を向く。その隣で微笑む女の方は、尖った犬歯が覗いている。獣人。
森の中にひっそりと暮らす生き物で、普段人と会うことは滅多にない。そう、俺が尋ねた酒場の親父が言っていた。が、
(滅多に合わないだと、親父の大嘘つきめ。すぐ近くじゃねえか、獣人の集落があんのは)
そう、俺は間抜けにも獣人の集落に足を踏み込んで、そこで、落ち葉を寄せ集めただけの、たぶん子供にでも作れるだろう落とし穴に落ちちまった。そして、何とも間が悪いことに、ちょうどこの二人が通りがかって、逃げる間もなく捕まってしまったと言うわけだ。
「俺は、唐揚げになるとか、丸焼きになるのはゴメンだぞぉぉ」
いつもは俺の声一つで、酒場中の人間を震え上がらせることが出来る・・・のだが、こう、捕らえられた身で叫んでも、てんで迫力に欠ける。その証拠に、女二人はちっともビビって無く、余裕の笑みさえ浮かべている。
「あら?何かリクエストがあるのかしら?酢漬け?刺身?ちょっと、あなたの筋肉じゃあ生では食べられないと思うんだけど」
長髪女の言葉に、俺は乱暴に体を動かした。本当なら今すぐにでもその顔を殴りつけたいのだが、今はただ鎖が嫌な音をたてるだけだ。
「だぁぁ、酢漬けも刺身もダメだ、串焼きも、天ぷらも、バター焼きにもすんじゃねぇ!」
「バター焼き……おいしそう」
じゅるるっ短髪女がつばを飲み込む。余計なことを言ったような気がしないでもないが、とにかく俺は、キッと二人を睨み付けた。
「俺を食おうなんて考えんじゃねぇ。もっと他に使い道があるだろう。生かしといた方がいいと思わねえのかぁ」
「……何言ってんだろうこの男」
「珍しいわね。命乞いもしないで、自分の使い道を説くなんて」
「……馬鹿?」
「かもしれないわね。イヤねぇ、食べてうつったらどうしましょう」
二人小声で言い合うが、あいにくと俺の耳は悪くない。しっかり全部聞き取れていた。
「命乞い?したら助けてくれるってのか!」
「ううん。笑いながら殺してやる」
短髪女が白い歯を見せる。明かりに照らされたその瞳が、猫のように細まり、その言葉が嘘ではないことを本能的に感じた。
「誰が命乞いなんかするってんだ。お前ら勝負しろ、汚いぞ、罠にかけやがってぇぇぇ」
ガシャン、ガシャン
虚しく鎖がなる。
ああ、なるほどなぁ。捕まった猪とか、熊はこんな思いを持っているのかぁ何て、つい感慨深くなっちまう。
「……とにかく、あれはあたいの獲物なの。姉ちゃんは、あきらめな」
俺を無視して短髪女が長髪女の方を睨む。
(こいつら姉妹か。道理で顔立ちが似ていると。でも俺は長髪姉ちゃんの方が、てっおい)
こんな状況に落とされても女の品定めをしている自分に、自分でつっこみを入れる。再びなる鎖に、何か言おうとしていた長髪ねーちゃんが俺に向く。
「そうだわ」
口元に浮かんだ笑みが、妙に寒気を誘う。
(う……女はやっぱり顔じゃねえな)
細い指、その先にある獣人の特徴、長き爪。それが、ゆっくりと動けぬ俺の頬にあてられる。艶めかしく動く冷たさに、嫌な予感が膨れ上がった。
「あなたが、選ぶのはどうかしら?」
「な、なに?」
聞き返す俺に、笑みが返る。ぞっとするほど冷たい氷の笑み。
(くそ、人間じゃねえ……って、当たり前か)
「私達のどちらかに食べられるのを、あなたが選ぶって言うのはどうかしら」
「何だとてめぇ」
つまり、唐揚げと、丸焼き、どっちの方法で食べられるか俺がきめろって言うわけだ。長髪姉ちゃんの申し出に、短髪女の方も顔を乗り出す。目が、子供みたいに輝いてやがる。「それって良い考えじゃん。あんた、あたいと姉ちゃん、どっちの方がいいんだい」
「選べるわけねえだろうがぁ」
どっかの優柔不断男みたいな台詞。ああ、本当に、ここが酒場だったら。だが、心に場面を思い浮かべることも、俺には許されない。
「いいから、早く決めなよ。殺す前に、面玉くりぬいたっていいんだよ」
キラリと、爪が目のすぐ近くまで近づく。俺も男だ、目を逸らしたりはしない。じっと相手を睨みつけてやる。
(くそ、喰いたいのは姉ちゃんの方が上だが、食われるとなるとなぁ)
迫る二人の女。
鎖と、女の爪のさえなければ、とってもステキな状況なのだが、世の中そううまく行かない。と、いきなり短髪女の方が爪を離した。睨み付けていたその目が、長髪ねーちゃんの方を見る。
「やっぱりこいつ面白い。こんなにまでやって睨み付けてくる何てさ。あたい食うのは止めて遊ぶことにするよ」
短髪女の言葉に、長髪姉ちゃんの方は、相変わらずえげつない笑みを浮かべて言う。
「残念だけど、私にはその気はないわよ」
(この氷女がぁぁぁ!)
こういう女こそ怒らしたら怖い。そんな事はとうに経験済みなので、心の中で罵倒する。
「だからこれはあたいの獲物だって言ってんだろ。どうしようとあたいの勝手じゃないか」
「何言ってるのよ。私のものよ」
目の前で、再び二人が睨み合う。人の事をほって置いて、いい気なものだ。
(くそぉ、この鎖さえ、この鎖さえとればぁ)
俺の手に着けられた黒塗りの鉄。それは、しっかりと鎖に取り付けられ、その鎖は、ご丁寧に壁にめり込んでいる。所々についている、黒っぽい赤から言って、ここで、何人かが犠牲になったのは考えるまでもない。
ガシャン、ガシャン。
「うるさい、静かにしてな」
「出来るかっ」
長髪姉ちゃんを睨み付けながら、いらいらした声で短髪女が言う。当然、俺はその言葉に従う気なんか無かった。
「そうねぇ」
睨み付ける短髪女に比べて、長髪姉ちゃんのなんと余裕な事か。大人のフォルモンプンプンさせながら、わざとらしく頬に手を当てて考える姿勢を見せる。
「いいことを思いついたわ」
ニッコリと、顔中に笑みが拡がる。今までの冷血な言葉を、全て粉砕してしまうほどの微笑。そのくせ、思いついたという割には、少しも考えていたように見えない。
(計算ずくって奴か……)
睨み付けていた短髪女の顔色が変わるのを見て、俺は一人納得した。いらいらしていたその顔が、期待によって和らぐ。さすが姉だ、妹の性格をよく知っていらっしゃる。
「裁判で決めましょう」
「「さ、裁判」」
「だってぇ!」
「だとぉ!」
こんな自分本位の考え方しかできそうもない女の言葉に、俺は目をむいた。思わず、短髪女と声が重なって、きっと睨み付けられる。睨み返す俺の前で、長髪姉ちゃんが微笑む。
「そ。村の長老の所に言って、どっちに所有権があるか聞きましょう。公平でしょ?」
(絶てぇぇぇ裏がある)
誰がなんと言おうと、こればっかりは、譲れない。公平という言葉に虫ずが走るほど、その笑顔には胡散臭さが匂いまくっていた。
「そ、それって良い考え!」
短髪女の方は、根が純情なのか、それとも頭が足りねえだけか、長髪姉ちゃんの案に目を輝かせて喜んでいる。ここで、俺が叫ばないわけには行かなかった。
「だぁぁ、待てぇぇ、だから俺と勝負しろぉ!罠ではめて、お次は裁判で所有権だぁ!ふっざけんじゃねえ」
「お黙りなさい」
優しく微笑んだまま、長髪姉ちゃんの爪が首に当たる。小さい痛みが、横に走った。
「姉ちゃん!」
「大丈夫、殺しはしないわよ。だからね、静かになさい」
(目が笑ってねぇ……)
控えめのその笑みと裏腹に、瞳は完全勝利を予感させた。こうなっては、俺に出来ることは、なるべく生きながらえるよう努力することだ。と、悟る。
「いい子ね。暴れなければ、何もしないから」
長髪姉ちゃんの顔が、ゆっくりと俺に近づく。その瞳に、俺の顔が見えるほどまで。そして、俺は、耳下辺りに鋭い痛みを感じた。
「つっ」
「大丈夫。ほんのちょっと眠るだけだから。運が良ければ、そのままあの世に行けるわよ」
言葉は、口からでなかった。
身体中が、急速に機能を失い始め、ついには視界までも、俺の範囲から離れていく。ゆっくりと、闇が訪れた。
「何で、何であたいじゃなくて、姉ちゃんの物なんだ。あたいが先に見つけたんだぞ!」
叫ぶ声。
鼓膜がびりびりと震える。
広いホールにでもいるのか、声が良く通る。ついでにエコーまでかかって、こんな所で楽団演奏何てやったら、結構いい音出るだろうなぁなんて思う。
ってぇぇ、ここは何処ダァ。
「あら、起きたみたいね」
声にならぬ声を吐きながら、重たい瞼を俺は無理矢理開け、頭を左右に振った。
ガチャン
目を擦ろうとした手が、イヤな金属音を立てて止まる。瞬間、一気に覚醒は完了した。
「ここはっ」
百人ぐらい、楽に入れられそうな広い場所だった。俺がいる所には、マッチョが、三人ほどついて、俺の体を止めている鎖を、ぎゅっと握りしめている。
(裁判所……なのか?)
見渡す場所には、すぐに段になっていて、その上に、椅子が何個か置いてある。その中の一つには、めっちゃ偉そうな格好をしたおっさんが座って、俺の方を見ていた。具体的に言うと金ぴかな服を着つつ、鼻眼鏡をして、おまけに、ふんぞり返っている。
(テメエは何処の悪人だ)
他にも椅子がバラバラとそこら辺に順序関係なく置いて合って、興味津々な顔をした老若男女が腰をおろしていた。どいつもこいつも、耳をピンッとおっ立てて、俺の動向を探るようにきょろきょろと見ている。畜生、俺は猿、犬じゃねえっ!。
「理由言えよ理由!」
右側で、短髪女が何事か叫んでいる。
「あらあら、長老が決めたことに文句を言ってはいけないわ」
左側では、長髪姉ちゃんが嬉しそうな笑みを見せて、短髪女を諭していた。
「起きたのかね人間の男よ」
偉そうなおっさんが、口を開いた。ここでわざわざ人間とまで言っているんだから、たぶん俺のことだろう。んで、仕方なく言葉を返してやる。
「何だよおっさん」
「ふむ」
おっさんが目を細めた。
「言葉使いの悪い男だな。今、一体自分がどういう状況にいるか分かっておるのか?」
偉そうに、ひげをなでながら聞きやがる。思わず一歩前に出るのを、あわててマッチョ達が鎖を引っ張って引き戻す。
「何処のどなた様かしらねぇが、俺の言葉使いの事言う前に、テメエの偉そうな態度を止めろっ!」
静寂。
ざわめいていたその場が、一瞬で静かになった。おっさんは、言葉がないように黙っているし、後ろのマッチョは心なしか震えているように見える。短髪、長髪両女も、何も言わず、ただ俺をじっと見る。
(な、何だ、何だ何だ?)
ただ一人、俺だけがその場の雰囲気について行けないでいた。
「お、おい、何黙ってんだよ」
みんな生きてるよなぁ?
一瞬不安になった気持ちは、途端その場に響きわたった笑い声にかき消える。
「わっはっはっはっはっはっは」
おっさんが、笑っていた。
(笑うと益々悪人だな)
目に涙をためて、苦しそうに息をしながらも、なおも笑う。一体何を食ったんだ。そう思う俺の前で、何度かせき込んで、おっさんはようやく笑いを止めた。
(盗賊のお頭なんかだと、この後、『お前面白い奴だなぁ』何て笑って、解決するのだけどなぁ)
どうやら、俺の願いは届きそうもなかった。歪んだ笑みを浮かべながら、おっさんは言ってのける。
「これは、殺すのが楽しみな男じゃのう」
途端、静かだったその場が騒ぎ声に包まれる。どいつもこいつも楽しそうに俺の不幸を笑いやがって。
「静粛に」
おっさんが、形だけの言葉を発する。少しだけ、ざわめきが収まるのを待って、おっさんは再び俺の方を向く。
「さて、人間の男よ。お前の所有者は、長髪のシュレイのモノになった」
「長髪の………シュレイ?」
?マーク一個つけた俺に、長髪姉ちゃんが近づく。ニッコリと微笑んで、その手が俺の頬を包んだ。
「私よ」
「はぁ、そうかい」
じゃ結局俺は今夜の飯になるわけだ。
何か脱力感に俺は襲われた。と、いきなり横から手が伸びる。
「何言ってンだ、こいつはあたいのだよ」
「メリア!」
ぐいっと顔が短髪女に抱き寄せられる。後ちょっとで目に入りそうな爪に、さすがに何も言えない。長髪姉ちゃんが、妙に怒った声を出すのが、おかしかった。
「メリアよ、それはお主のモノではない、姉のシュレイのモノだ」
厳かな調子で、おっさんが短髪女に言う。しかし、短髪女は俺を離そうとしない。頬に爪が食い込むほど、ぎゅっと抱き寄せる。後頭部に当たる胸の感触と、頬に刺さる爪。どちらを選ぶかはなかなか難しい問題だった。
「なんでだよ。これはあたいが見つけたんだ」
そういやさっきから何度も繰り返してたなこの言葉。急に、落とし穴の上から見下ろす短髪女の顔を思い出した。
『あたいの罠に獲物がかかった』
確か、そんなことを言っていたような。
「誰も、その場面を見たわけではあるまい。家族で見つけた場合、その一番の獲物は年上にある。そのことを忘れたか?」
静かに、それでいて厳しい声。ぐっと、短髪女が俯く。そうすると、丁度俺と目が合うことになる。何か目を合わせずらくて、俺はぎゅっと目を閉じた。と、頬に、水が落ちる。
(げっ)
思わず開いた目の前で、短髪女は悔しそうに口をへの字に曲げていた。潤んだ瞳から、一つ、また一つと落ちる水、涙。
(うわぁぁぁ止めてくれぇえ)
どっちみち死ぬんだろう。俺に何の利益もない。利益のないことはしない主義だ。
涙。
そ、その目で俺を見るな。俺は狂戦士だぞ。ああ、だけど、俺は、俺はぁぁ……
「よって、本日の裁判は終りょ」
「ちょ、ちょっと待ってくれよおっさん」
「・・・なんだ」
はっと、短髪女が俺の顔をまともに見る。俺は、なるべくその顔を見ないように、おっさんの方を睨み付けた。方眉を上げた状態で応えるおっさんに、にやりと笑ってみせる。
(やっぱりねぇ、女泣かせちゃまずいよな)
「俺さぁ見てたよ。こいつが俺を一番先に見つけたの」
「なっ」
見開かれる目。それはおっさんだけではなかった。短髪女も、長髪女も、周りで見ている奴らもそろいもそろって愕いた顔をする。
何か、こう胸にこみ上げてくるくすぐったさに、俺は鼻を啜ろうとして、ガシャンと虚しく鎖がなる。
「……と、とにかく、俺が罠にはまって、じっと空見てたらよ、一番に来たのがこいつだったぜ。嬉しそうな顔してさぁ」
「…………ふむ」
俺が置かれていた場面を想像したのか、おっさんはしばらくボウッとした後にやっと言葉を発した。その言葉の後も、しばらく俺を信じられないモノのように見る。
「な、なんだよ」
沈黙に耐えきれなくなって、俺は喧嘩腰に言った。途端、おっさんはあわてて咳払いをする。
「今言ったこと、間違いないか」
どうやら俺に聞いているらしかった。
「当たり前だろ。こんな事で嘘ついてどうするんだよ」
「ふむ」
ぶすっとしていた顔のおっさんが、急ににやける。そのまま、今度は俺じゃなく、長髪の姉ちゃんの方を向いた。
「シュレイどうやらお前の負けじゃな」
「くっ」
悔しそうな顔をして、長髪姉ちゃんが俺をきっと睨む。
(怖っ)
あわてて目を逸らすと、短髪女と視線がぶつかる。
「お前……」
「いや、その、あのな」
何か、怒ったような、それでいて泣きそうな顔で短髪女が俺を見る。何がなんだかわからなくて、つい何がなんだかわからぬ声が出る。突然、きっと、短髪女が俺を睨みつけた。
「勝負しろ」
「は?」
俺だけじゃなく、会場全体がざわめく。しかし、そんなことはお構いなしに、短髪女は続ける。
「捕らえた獲物に証言されるなんて、あたいはそんなの納得しない。あたいと勝負しろ。勝負にあたいが勝ったらお前はあたいのモノ。お前が勝ったら、お前は自由だ」
「お、おいメリア」
あわてて止めようとするおっさんを、短髪女は俺同様に睨み付けた。
「いいだろ長老。こいつはもうあたいのモノなんだから」
「ふ、ふむ。それはそうじゃが」
「くだらない。せっかく自分のモノになったのに。何でそんな無駄なことをするのよ?」
「姉ちゃんは黙ってて」
不思議そうな顔をする長髪女をも睨み付けて黙らせる短髪女。
(む、無敵すぎる)
怖いモノなんて何もない。そう言いたげなその表情。ナゼかぐっときかけて、俺はあわてて首を横に振った。
(何惚れそうになってる、こんなのに惚れたら、それぞまさしく下手物趣味だ)
「イヤなのか?」
ぐっと、顔が持ち上げられる。睨み付ける両の瞳。やはり血がたぎる。
「やったろうじゃねえか」
とにかく、俺はこの女を倒さなくてはいけない。にやりと笑った俺に、短髪女は嬉しそうに笑みを見せた。
裁判が行われていた場所は、すぐさま対戦場へと変化した。と言っても、ただおっさんがどいて、その場に簡単なリングが作られただけなのだが。とにかく、俺は数時間ぶりに自由になった四肢に、感激した。思わずすりすりと触って感触を楽しむ。頭を掻いてみる。
(おっけぇぇぇ)
「早くしろ」
見ると、短髪女はもうリングに上がっていた。半袖に半ズボンという軽装。いかにも健康そうな肌が、男心をくすぐる・・・何て考えている暇はなく、俺はリングに飛び上がった。ふと、訝しげに短髪女が俺を見る。
「武器は使わないのか?」
リングの端に、俺用の武器が用意されていた。対する短髪女はするどい爪で構えている。
「女に刃物は使えない主義なんでね」
(こんな時ぐらい、カッコつけなきゃな)
「なめるなっ!」
短髪女が吠える。外見はいかに可愛くても、さすが獣人。その咆吼は、びりびりと脳に響く。しかし俺は微笑みを止めたりはしない。
「それでは、試合を始めるぞ」
おっさんは、今度は審判を勤めるらしい。偉そうにリング中央に上がると、一枚の木の葉を取り出した。
「これは、神聖なる木オークの葉だ。これがリングに落ちたときが試合の初めとする」
「決着は」
俺の問に、にやりと不敵な笑みを浮かべた。まるで、俺の勝ちなど無いと言うように。
「まいったと言ったらだ。言わずに死んでも負けだがな」
不吉なことを言いやがる。俺は狂戦士だぞ、狂戦士。なんて言ってもきっと分からないだろうから言わない。
「では」
おっさんの声と共に、オークの葉が頭上にあげられる。決して木の葉は早くリングに付きはしない。ゆっくり、ゆっくり。まるで、今から戦いなど起こらぬように、のどかに落ちていき、音もなく地に着く。
「ぐあぁぁ」
咆吼と共に、短髪女の鋭い爪が喉に向かって一直線に放たれた。素早く、それをしゃがんで避けると、すぐさま振り下ろす。耳の近くを痛みが掠めていった。
ドクン
久しぶりの好敵手に、鼓動が踊る。狂戦士の戦い方、見せてやろうじゃないか。
ズガァァァン。
「なっ」
短髪女が目をむいた。そりゃそうだ、両の拳で床をぶち破られたんだ。驚きもするだろう。破片が辺りに散らばり、素早い動きを少し抑える。
「悪いが、これが俺の戦いかたなんでね」
「おもしろい」
振り上げた拳を、短髪女がすれすれで避ける。その後に来る爪の応酬を当然考えて、素早く背後に回る。
「な、こいつっ」
声は出さない。少しでも、敵に己の気配を探らせはしない。息すら止めて、ただ素早さだけをぐんぐんあげていく。
「ちょ、ちょこまかと」
左右に、前後。目が追いついた途端に、急にスピードを落とす。
「足下がお留守だぜ」
息を一気に吐きながら、素早く足を払う。
「くは」
なんとか踏ん張ろうとした足を、再び払う。
「や、やめ」
とうとう短髪女が尻餅をついた。しかもそこは、さっき俺が壊して置いた床だ。スッポリと腰がはまって動きがとれなくなる。
「お終いだな」
見下ろす俺の下で、不格好なまま、短髪女は悔しそうに舌打ちした。そのくせ、顔は、思ったよりも生き生きしてる。
「ああ、降参だ」
さしのべる俺の手を、ぎゅっと掴む。あんなに尖っていた爪は、手に食い込みはしなかった。どうやら出し入れできるらしい。
複雑な感情が入り交じった歓声が、会場中に響きわたる……………
「約束は、約束だからな」
鎖はもう付けられはしない。
会場を出ると、サッと明かりが目に飛び込んできた。思わず目をしかめる俺の横で、短髪女が笑っている。
「おまえ強いな。……正直分からない、何であたいの罠に何かかかったのか」
不思議そうに、じっと俺の目をのぞき込む両の瞳。捕らえられていたときに散々発していた迫力が、その瞳からは消えていた。黙っていたかったのに、つい話してしまう。
「虹が、見えたんだよ」
「虹?」
「久しぶりだったんだよ。そう滅多に見えるもんじゃねえしよ。それで、上ばっか見て歩いてたら、な」
「……ぷ、ははははっ」
「わ、笑うんじゃねえ」
恥ずかしいのを堪えていったって言うのに、短髪女は大口開けて笑いやがった。それでも、少しは悪いと思ったのか、ペロリと舌を出して笑うのを止める。
「おまえ、本当に面白いな」
「ほっとけ」
少し笑った後、ちょっとカッコつけて俺はここを去ることにした。
「じゃあな、また虹が張る時にでも会おうぜ」
「ん、じゃあな」
一瞬、俺達の間に、不思議な空気が流れた気がした。それを振り切って俺は背を向ける。
振り返らずに、真っ直ぐと進んでいく。
真っ直ぐと。
「あ、虹」
「え!?」
後ろで、いきなり素っ頓狂な声が聞こえた。まさかと思って見上げた空には、大きな虹が架かっている。
神様も、妙なことをしてくれる。カッコつけていった言葉なのに……まさか、歩いて三歩目で壊れるとは。
トホホな気分に襲われる俺の方に、いきなり重圧がかかった。
「な、なんだ」
まさか新手のモンスターか?そう振り返った俺の目に、短髪女の顔が飛び込む。
「な、なんだよ。まさか虹が張ったから、また会ったなんて言うつもりじゃあ……」
「まさか、そんなこと言う分けないだろ」
きらりと輝く瞳で俺を見ながら、突然舌なめずりをする。
「やっぱりおまえ面白い。他の誰にも食わしたくない……誰かに食われる前に、あたいが食ってやる」
「ちょ、ちょっと、まてぇぇぇ」
叫ぶ俺に、にこにこ笑いながら続ける。
「大丈夫。今すぐってわけじゃないから。楽しんでから、な」
「な、じゃなーーーーーい」
走り出す俺を、短髪女が嬉しそうに追っかけてくる。虹は、そんな俺達の道を指し示すように、丸い輪を描いていた。
完
お読みいただきありがとうございました。 この作品は楽静が初めて書いた 短編投稿の作品です。 ぢつはキーワードがあったりします。 キーは「獣」 ではありません(泣) じつは 葉っぱなのです。 ……だれもわからねぇよ(涙 |