町中の悩める
   つっこみ少年

楽静


  「どっちの手が上だったっけなあ?」
   
                 ――考える人 A・ロダン作品





 新横浜のビル群の中ぽつりとそれはあった。
 地上遙か見上げるようなビルが建ち並ぶ一角に、まるで当たり前のように存在している地下への入り口。

 せわしなく歩く人々はその入り口にまるで目を向けようとしない。何の違和感もなく存在している穴。
 それはまるでだまし絵のよう。気づかない人間は、誰かにそれと気づかされるまで分からないような、そんな場所だった。だからこそ、目が一度向いてしまったら、もうその場所にあるそれが気になって仕方が無くなってしまうのだろう。

「……人生相談『ココロのスキマお埋めします』……って、目黒福○かよ!

 地下へとぽっかりと空いたその入り口の前で、は無意味に一人ボケ突っ込みをしていた
くすくすという笑い声が、すぐ後ろを通り過ぎる。慌てて振り向けば、僕と同じK高校の制服を着た女子生徒が数人、驚くべきスピードで僕から視線を外して歩いていく。

 思わず、がっくりと膝をつきそうになって……やめた。足下には、誰の生産物か分からないけど、生もんじゃの跡が残っていたからだ。

またやっちゃった)

 中途に長い髪を中心に構成されたオタクっぽいルックスと、合理的解釈を得意とするあまりに人と砕けることを苦手とする性格のため、僕は友達がいない歴すでに十七年になる。
気がつくと自分の言動に対して一人で突っ込みを入れる青年になっていた。どんなに改善しようとしてもうまくいかない。それどころか、最近は頼まれもしないのに、ボケっぽいところに対して突っ込みを入れるようになっている。もちろんその直後に襲ってくるのは冷たい視線だ。

 看板に赤黒い色で書かれた『人生相談……』の文字は、だから僕にとっては絶好の突っ込み材料といえた。

(なんか、字がいかにも手書きだし)

「てか、にじんでるよ! 水性ペンなのかよ!」

(この「談」っていう字、「言」の棒数が多くないか?

勘で書くなよ! 辞書見ろよ! 看板だろう!

 止めようと思っても、止まらない言葉と裏拳突っ込み。空気を切るシュッという音が、やけに心地よく耳の中に染みていく

「あぶねえよ! 自分」

 このままじゃいけない。それは自分でも分かっていた。だからこそ、『人生相談』という看板が見えたとき、思わず立ち止まってしまったのだろう。
 ポケットから財布をとりだしてみた。昨日入ったバイト代を少し下ろしてきたおかげで、福沢さんと紫式部が笑っている

「って、二千円札で渡すなよ銀行! いじめかよ!」

 空に向かって振られる右手。
 耳の鼓膜まで痛くなるような静寂を一瞬感じた。
 誰にも聞こえないのは分かっているくせに、一度せき込む。そして僕は地下への階段を下りることにした。





 都会の喧噪なんて言う陳腐な表現から、地下は切り離されていた。無表情な灰色コンクリートに挟まれて、建築法を無視した細い階段が下へと続いている。壁の所々にある赤黒い跡を何となくさわらないようにしながら、

(一、二、三……)

 一つ一つ階段を数えながら降りていく。
 階段を上り下りするとき、つい数えてしまうクセも、僕は昔からなくすことが出来ないでいる。昔よくあった学校の怪談に『いつもは十二段なのに、ある時十三段になる。その十三段目を踏んだ人間は、闇の世界に連れていかれる』なんて言う怪談があって、その話がやけに怖かったからだ。
階段を上り下りするときに数を数えてなかったのなら、どうやっていつもは何段だとか、十三段だとか分かるというのだろう。僕は、もし、階段が十三段になりそうだったのならすぐ逃げるつもりで数えている。

 階段の数は十五段

多すぎだよ! しかも急だし殺す気かよ!

声が地下中に響き渡る。突っ込みを入れながらも、何か拍子抜けした。これならば、十三段には絶対にならない。
 階段を下りると、細い廊下が先まで続いていた。けれど、すぐ横にドアがある。蛍光灯がドアの上にしかついていないため、廊下の先は薄暗い。まるでこの先、廊下はずっと続いていて、闇の中へと落ちていくような気がした。ちょっとドキリとさせられる。

 ドアには木の看板がかかっていた。やけに綺麗な板に、

『人生相談所』

と、シンプルに墨で書かれている。その字と板の真新しさとは別に、ドアの上部、板のかかっている部分の穴は、長年そこに掛けられていたかのように黒ずんで汚れている。

(まるで、今まで掛けていた看板をひっくり返したみたいだな)

 頭の中に浮かんだ考えに、好奇心が胸の内から一度に沸いた。知らずに看板に伸びそうになる片手をとっさに掴んで、ノブを握らせる。これ以上何かつっこむ材料が出来ることは正直ごめんだった。自分の嫌な癖を直すつもりなのに、何かさっきから、その癖に踊らされているような気がする。

 ドアノブを回そうとして、ふと気づいた。

 鍵穴のあたりが、ぐちゃぐちゃに傷ついている
(鍵開けようと四苦八苦されてる……)

人生相談所に空き巣かよ! 金あるのかよ!

 体中を嫌な予感が、駆けていった。よく見ると、ドアノブの近くには血が変色したような跡が飛び散っている。さらに、その血をたどっていくと、足下、ドアの隅には歯のような白い小さいものがいくつか転がっているような……


「さあ、入るか」






 見なかったことにした

 僕は何も見ていない。心にそう言い聞かせた。
 右手がドアノブを回す。
 もう、逃げられない。

「追われてないだろうって」

 自分で自身に入れた突っ込みは、今まで僕が入れた突っ込みの中で一番声が小さいものだった。
 油のあまりささっていない鉄のすれる音を一つさせてドアが開く。


 瞬間――



 パァン!



 破裂音。鼓膜を直接通り抜けて頭蓋に響く。

 異臭。火薬の臭いが鼻をつく。

 一歩よろめく。自分。

 何が起こった? 分からずに周りを。けれど、目は閉じて。見えない。足がふらつく。

(撃たれた!?)

 なぜかとっさにそんな考えが頭に浮かぶ。痛みはない。けれど、手は胸元を押さえつける。

(胸!? 死ぬっ)

 思わずよろめいた。瞬間、腕が急にがっしりと捕まれる

「おっと、危ない」

 ざらついた低い声。そのまま乱暴に引っ張られる。ほとんど飛び込むように引っ張られた方向へと僕は倒れ込んだ。頭が、板のようなものにぶつかる。痛くはない。
 そして、板が膨らんだ。

おっめでとうござーーい

 莫迦陽気な声がすぐ頭の上で響いた。このあまりのお気楽ぶりに、何か驚いてしまった自分が酷く滑稽に思えて、僕は閉じていた目を開いた。

 目の前には胸板があった

 筋肉質の割に細身の胸だ。そろそろと視線を上へとのばしてみれば、すぐ上に男の顔がついている。切れ長の眉毛を片方だけあげて、男は僕を見下ろしていた。慌てて男から一歩離れる。

 男の髪型が見えた。モヒカンだ

「いえい。ちょいとばっかしおどろかしちゃったかな?」

 言いながら、男は僕の目の前で円錐形のパーティグッズをゆらゆらと左右に動かして見せた。名前を言われなくても、それが何かはすぐに分かる。思わず脱力してその場に座り込みそうになるのを、必死で抑えつける。

「てか、いつまで胸守っているんだよ!」

 自分に突っ込みを入れつつ、両手を組んで改めて男を見る。男は、今の僕の言動に驚いたのか、きょとんとしている。何か少しすっきりした。

 男は、年齢は僕より何個か上。二十代前半という感じだった。遊び人っぽい軟派な顔に、モヒカンがトサカのようにくっついている。暖房が部屋の中では利いているためか、男の服装は、ジーパンに白Tシャツ一枚という非常にラフなものだった。『人生相談』といういかめしい言葉にはそぐわない気がして、首を傾げながら、男の肩越しに部屋の中を見た。

 妙にすっきりとした部屋だった。すぐさま目に映ったのはもう一つ奥の部屋へと通じているのだろうドア。その上には『天下無双』の文字が入った額縁。部屋中央には黒塗りのソファーに、テーブル。ドアの側にある棚には、客が来たときに音をならすためだろう。先ほどのパーティグッズが所狭しと並んでいる

「来る客全部に使うのか……あれ」

 思わずぼそりと呟けば、男が嬉しそうな顔で胸を張る。

「もっちろん。なかなか良い考えっしょ? 心臓の弱いじいさんなんて一発よ

「いや、殺っちゃってどうする!

 思わず手が動いていた。男の胸元すれすれに、手の甲がピタリと収まる。

(しまった)

 一瞬、僕は男が怒り出すのを想像した。体がやけに固くなって動かない。男の顔色をうかがうため、目が上へとゆっくり上がっていく。やけにその数秒が長く感じた。

 男は……笑っていた。

「おかしな奴やなぁ。お前。気に入った。よっしゃ、話しきいたるから中入りな」

 そのまま男の胸元にあった僕の手を気軽に引っ張る。男の陽気な言動につられるままに、部屋の中へと数歩足を進めた。と、後ろでドアが閉まる音と……鍵の掛けられる音がした

「……なぜに鍵?」
「ああ、余計な人間が入ってこないようにって、そういうこと」

 笑みを未だ顔に残したままで男はそう言うと、椅子の一つを指し示す。

「そこに、座って。今なんか持ってくるから」

 男はもう一つのドアを開けて奥へと消える。
 シンッと静まり返っている部屋の中で、僕はやけに自分が今一人なんだということを感じた。黒塗りのソファーが、透明なガラスのテーブルを囲むように三つ、部屋の中央に置いてある。近寄ってみると、たいして高いものではなさそうだった。試しに、その一つ、男が消えたドアの方へと向いているソファーへと腰掛ける。……の前に、さりげなく入り口のドアの鍵は開けておいた

 思ったよりもソファーに体は沈まない。というより、何かごつごつした感触があるような気がした

「ソファーの中に、裏ビデオでも隠しているのかな?

 部屋の中の沈黙に刃向かうよう、わざと考えを声に出してみた。健全な高校男子が考えそうなことで、何の違和感もない考えのはずだ。
けれどなぜだろう自分がすごく汚れた人間のような気がしてたまらなくなる

 自己嫌悪に陥りそうになるのを慌てて首を横に振ることで振り払う。そのままさりげなく手をソファーに這わした。もし、この中に何かを隠しているのならどこかに切れ間があるはずだ。

 考えを裏付けるように、やけにあっけなく切れ込みは見つかった。というよりも、ちょうどそのごつごつした部分の真上あたりに、鋭いメスで盛れたような切れ込みがある。探そうと思わなければ、決して見つかりはしないほど、黒塗りのソファに傷は紛れていた。
 これもすべて常識的探求心なのだと自分に言い聞かせながら、恐る恐る切れ込みから中へと手を突っ込んでみる。すぐに、何か金属めいたものに手が触れた。どうやらビデオではないらしい

「って、ビデオに期待大かよ! めでてーな!」

 自分の思考をあざけりながらも、指先に神経は集中していた。
 つのようなものを持った円筒。指が入らない細さの穴が開いている。少し筒を手で探っていくと、急に筒は出っ張りに触れる。その出っ張りも、何か隙間があり、その一部は不安定にぐらぐらした。さらに手を這わせれば、円筒の筒と九十度になるように、違う種類の筒がついている。これは、周りをゴムでコーディングされている。全体を想像すれば、変に不格好なブーメランのよう

「って、これチャカだろ!」

 叫ぶと同時に血が一気に下がっていくような感じがした。慌てて後ろを振り返る。自分が入ってきたドア。今は閉まっているそのドアがやけに遠く感じられる。

 と、ドアの開く音がした。
 入り口のドアではない。今はちょうど背を向けている、さっき男が入っていったドアからだ。ゆっくりと、ぎこちなく僕の体は元へと戻っていく。そして見る。

 ドアが小さく開いていた。
 始め、それがなんだか分からなかった。
 青白い光に照らされた生白い半円。いや、顔。
 やけに目を大きく開いた顔が、半分だけドアからこちらを覗いている

「……見ちゃったね?」

 一言。呟いた言葉とともに、その目が細くなる。口元は見えない。けれど。

(笑っている)



「い、いきなりホラーかよ! 展開ちげーよ!




 思わずつっこんでいた

 何につっこんで良いのか分からないまま、とにかく手は空中に裏拳の状態で静止していた。
空気を切る軽い音に、一瞬ドアから覗いていた目は瞬く。そして――

「客をビビらせるなっていっとるじゃろうが、この馬鹿!」

 叫び声

 あたりの空気すべてにヒビが入った
 その声の大きさに、思わず目をつぶった途端、壁を二三枚一度にたたき壊したような鈍い音が響いた。体中が瞬時に縮こまる。心臓まですくみ上がって、咽からせり上がってくるような気がした。

 一秒、二秒……

 ……時間がいくらたっても、何の物音も返ってこない。
 このまま目をつぶっていたらすべてが終わるかもしれない。一瞬そんな甘い考えが頭に浮かぶ。けれど、その「すべて終わる」には自分の命まで含まれているような気がした。

「死にたくない!」

 叫びと供に目を開けた。
 黒い
 そして毛むくじゃら
 な
 つまり、
 目の前にゴリラが立っていた。




「――――――――」




声にならない叫び声を挙げて口をぱくぱくと動かしながら、ゴリラに向かって両手の手のひらを向けて逃げ出そうとした。けれど、体の半分以上はソファーに入っている。動けない。逃げれない。殺される――

「どうしたんだい? お客さん」

 ゴリラが片手で頭をかきながらぼそぼそと何かを言ってくる。
 ……人語だ。
 のんびりした声。右目がゴリラの片手を


 サーチ


 ――サーチ中――



 サーチ完了



 武器は持っていない
 そのあまりののんびりしている声に、パニックになっていた脳が急速に冷めていくのが分かった。

「……は?」

「うちの若い者が迷惑かけて、それで怒ってるんですかい?」

 よく見れば、このゴリラは色が黒いだけの人間なのかもしれない。そう考えてみてみれば、服も着ている。スーツの上に白衣というよく分からない格好だが、服であることに間違いはない。

 ごま塩に剃った頭と、ごつごつとした顔を見れば確かに人間外に見えなくもないが、首から下はまともな格好をしていた。と、視線を下へとおろしていくと、ゴリラ……もといごま塩ゴリラ男のもう一方の片手には、先ほどドアの奥へと消えていったモヒカン男が握られていた。ごつい毛むくじゃらの手が、俯いたモヒカン男の首筋を無造作に掴んでいる。

「ああ、こいつは、お客さんのことを驚かそうとしていたみたい何でね。
 ちょっと
軽くこづいてやったんですわ。あはは」

 僕の視線に気づいたのか、そうごま塩のゴリラは豪快に笑う。

(つまり、ドアから覗いていたのはこのモヒカン男だったのか)

 納得しながらよく見れば、モヒカン男の片手には青いフィルムを張り付けた懐中電灯が握られていた。あまりに幼稚な仕掛けに、つっこむ力もなくなって思わず脱力する。

「すんませんね。本当。いたずら好きのものでして」

 ごま塩ゴリラが恐縮した顔で頭を下げる。

(あんたの顔の方がびびったよ)

 思わず咽から出かかった言葉は必死にこらえることにした

「別に、気にして、ないですよ」

 妙にぎこちなく、僕はごま塩ゴリラに笑顔を向けた。その顔に安心したのだろうか。ただでさえでかい鼻の穴をさらに膨らまして、彼は快活に笑う。ごつい黒顔とは対照的に白い歯がきらきら光って見えた。もしかしたら、黒人とのハーフだったりするのかもしれない。

「それはよかった。だったら、まずはお話にうつりましょうか」

 言いながら、ごま塩ゴリラはモヒカン男を握っている手を軽く振った……ように見えた。と言うのは、その一振りで、モヒカン男は宙を飛び、入り口近くの壁にぶつかって嫌な音を響かせ、地に落ちたからだ。あれが、軽く振った力だとは信じたくない

「てか、話しって?」

 モヒカン男の方に意識が向きそうになるのを必死に押しとどめて、とりあえず当たり障りのない事を聞く。ごま塩ゴリラが、また快活に笑う。

「そりゃああんた、人生相談所ですから。ここは。人生相談に決まっているでしょう?」

 言いながら、ごま塩ゴリラは、左側の白衣の胸元をちらりとめくってみせる。蛍光灯の光にもきらりと光る金色のバッチが見えた。けれど、弁護士バッチや、国会議員バッチというようなものではない。というよりも、よくテレビのドキュメントなんかで時々見たことがあるような気がする

(もしかしてこれってヤク……)

「いや、こっちじゃなかった」

 少し慌てた顔でごま塩ゴリラは左胸を隠すと、改めて右の白衣の胸元をめくってみせる。視界からぱっと隠された怪しげなバッチの代わりに、『人生相談員 平助』と書かれた名札が安っぽい安全ピンで胸元に留められているのが目に映る。

(お前、名前あるのかよ。優秀なゴリラだな

 心の中で突っ込みながらふと顔を上げる。
 と、

「…………お客さん、何か今見ちゃいましたか?」

 左胸を押さえながら、笑顔でごま塩ゴリラが尋ねる。
 そう、笑顔だ。
 どこまでも笑顔ではある。しかし。
 頭の中に浮かんだのは、ドアの横に今も倒れているモヒカン男の姿だった。
 耳をこらしても、彼の呼吸は聞こえてこない
 僕はニコリと笑い返した。

「いえ。何も見てません」

 ごま塩ゴリラが口の片隅を軽く持ち上げる。

「お客さん。頭がいいねぇ。気に入ったよ」
(そんな言葉さっきも聞いたぞ)

 心の中に浮かんだ言葉を表に出さないよう必死に抑えつける。ごま塩ゴリラの方は、全く僕の努力に気づくことなく、「すいませんね。タバコ吸いますよ」と、言いながら胸元からタバコを取り出し一本口にくわえた。細身のタバコだ。特徴ある箱で、すぐに銘柄は分かった。僕は吸いはしないが銘柄には詳しい。これも、男子高校生としては当然だと思う。

(てか、セーラム・ピアニッシモかよ!

 咽からせり上がりそうになる言葉を必死で抑えつける。女性向けタバコとして発売された煙の少ない細身タバコは、どう考えてもゴリラには似合わない。しかし、命は惜しい
 吸っているタバコを見ていないことにすれば、思わずライターを差し出したくなるほどに男の姿は偉そうだ。けれど、僕は今ライターを持っていない。

 ごま塩ゴリラは胸ポケットからやけにゆっくりとジッポライターを取り出すと、軽く手でタバコを隠すようにして火をつけた。ジッポライター独特のオイル臭が、タバコの煙と一緒に部屋の中に漂う。ちらりと天井を見ても、換気扇はない。というより、空気交換機系の音自体していない。後何分清浄な空気が吸えるかも分からなかった。

「で、今日は何の相談なの?

(早く逃げたい)

 ごま塩ゴリラの言葉とは反対に、もう人生相談をする気は半分以上失せていた。そんな自分の性格上の心配よりも、自分の命が助かる方が大切だ。

で?

 けれど、ごま塩ゴリラはタバコをふかしながら僕を見ることを止めない。

(逃げろ。逃げるんだ。逃げろ)

 両手のコブシを握りしめる。頭の中には、帰るための台詞が、『すいません。今日はやはり止めておきます』いくらでも浮かんでは、『あの、ヤッパリ相談すること無いんです』消えた。

「お客さん?」

 ゴリラの目は笑っているようで、とても冷たい。
 ドアの横に転がっているモヒカンは、まだしばらく起きあがりそうはない。
 タバコの煙は一本だけゆっくりと上へと上っていく。例え煙になれても、この部屋からは逃げられない。

 僕は、目を閉じた。

 汗ばんだ指を交差させる。アメリカ映画で別れによくやる「グッド・ラック」のジェスチャーのように。両手で作ったら、かなり間抜けなポーズのような気がして、少し気分が楽になった。
 目を開けて、ごま塩ゴリラを見る。

「実は……」

 ゴリラが笑った。
 ここからが本番だ。







 そして僕は話した











 おそらく三〇分くらい経った後。

「なるほどねぇ」

 僕の話に、ゴリラは鼻から煙を吐き出しつつ、うんうんと頷いた。そのまま無造作にタバコが灰皿に押しつけられる。ちらりと見た僕の視界に写ったタバコはすでに七本。また新しく、ゴリラはタバコに火をつける。白い煙が口から、鼻から流れていく。

「……なんとか、治るんでしょうか?」

 対する僕は、もうゴリラが言う言葉に対して何でも頷く覚悟は出来ていた。『ああ、なるほど』『ですよねぇ』『いや、それには気づかなかった』……頭の中には何個もの誉め言葉が浮かばせてある。ゴリラの口が煙を破棄だしつつ言葉を作る。

「そりゃあ……」

「結構な問題やなぁ。てか、友達作れば解決じゃん?」

 ひょっこりと、モヒカン頭の顔が横にあった

「って、生きてた!?

 焦る僕に笑いながら、モヒカン頭は立ち上がってゴリラの隣のソファーにと座る。

「まっさか死んでるわけないって。兄貴がそんな馬鹿なことする分けないっしょ?」

 はじける笑い声を挙げながら、モヒカンは両手をばしばしとたたき合わせる。目の前の男がゴリラなら、モヒカンはシンバルを持った猿に似ている。

ヤス

 呟くようにゴリラが口を開いた。

「はい?」

 モヒカン……ではなくヤスは、男の言葉に手を叩くのを止める。
 瞬間――ミシリ。と、男の裏拳がヤスの顔面にめり込んだ

「黙ってろ」

 冷たい声と供に、ヤスの体が部屋の端まで吹っ飛んでいく。壁に背中をぶつけ、頭をぶつけ、ヤスの体は粘土のように崩れ落ちた。
 もう、生きているのかも怪しい。鼻からゆっくりと流れ出す鼻血が、やけにみずみずしい。見ていられなくって、僕は目をそらした。と、目の前のゴリラがすまなそうに僕を見ている。

「すいませんねお客さん。何せまだ若いもんで礼儀を知らないんですよ。後でしっかりと言い含めておきますから」

「は、はあ」

 曖昧な返事で頷いている方がいい気がして僕はただ頷いた。

「さて」

 と、ゴリラは今までのことがなかったかのようにすっきりした顔で突如両手を組む。タバコはすでに吸っていない。

「とりあえず、お話を聞いてある程度のことは分かりました」

 語るゴリラの顔はどこまでもさわやかだ。
 頬のあたりのくぼみはえくぼだろうか? 認めたくはない物を見てしまったせいで数秒混乱した。
 そんな僕に気づかないまま、男は笑顔にふさわしいさわやかな声で言葉を続ける。

「まぁうちも人生相談なんて看板掲げてますと色々な相談を受けますがね。お客さんみたいな、精神的な相談をされたのは、はじ……いや、久しぶりですよ

(今なんか妙なこと言ったろ)


 言葉には出さない。命は惜しい

「まぁ通常なら人生相談なんて言うとね、例えばうちみたいな所だとね。不倫問題だとか、ストーカー被害だとか、そういう人間関係でのトラブルの以来が多いわけですよ。そんな依頼でも、我々がちょっと顔を出せば、すぐに解決してしまうんですけどね」

 そりゃあゴリラがいきなり目の前に出たら、どんな人間関係も解決してしまうだろう。きっとこじれたときに見せるのは、左胸のバッチのほうにちがいない。

「あ、だったら僕は」

 腰を浮かしそうになる僕の膝を、ゴリラの手が素晴らしいスピードで押さえた。立ち上がれずにソファへと僕の体は落ちる。

「いやいやお客さん。私は別に、お客さんのような相談がないといっているわけじゃないんですよ。解決方法だってちゃんと心得ているんですから」

「まじっすか!?」

 思わず叫んでから、しまったと思った。案の定、ゴリラの顔は魚を釣り上げた漁師のようににんまりとしている。この顔では鯛でも釣り上げた気でいるのかもしれない。これ以上口車に乗せられないように、

「それで?」

と、あくまでも気の乗らない風に言って腰を落ち着けた。どうしても相手の方に身を乗り出すように座ってしまうあたりが、期待感見え見えで我ながら恥ずかしい。
 けれどこれは僕の希望なのだから仕方のないことだ。と思う。
 ゴリラは、そんな僕の葛藤にはまるで気づいた風でもなく、ただニコニコと笑いながら腕を組む。たったそれだけのことなのに、ゴリラが一瞬でも精神科医のように見えるから不思議だ。

(って、
白衣のためだろって

 僕の疑問は一瞬のうちに氷解した。

「まぁ、恐らく幼児期における心的障害が原因でしょう」

 訳知り顔でゴリラが言う。
 聞いたことがあるような僕は思わず首を傾げる。
 心的……なんだって?

心的……外傷のことですか?」

 思わず、聞き返していた。
 ゴリラの笑みが固まる。
 
僕を見たまま眼球がぐるりと回った。

 室内を一瞬沈黙が満たす。

 すぐに分かった。……言ってはいけないことを言ってしまったらしい。
 どっと汗が沸く。じっとりとした汗は背中を一瞬でプールにした。
 咳払い一つして、ゴリラはまた笑顔になる。

「あーつまりですな。PTADの」

「PTSD?」

 ゴリラの笑みが、また固まった。

(また言っちゃったよ!)

 時計の音がでかくなった。
 奥で倒れているヤスの息づかいが聞こえる。
 ゴリラが席をずらしたのか、クッションが鈍い音を発した。
 鼓動が耳の中で大きくなる。
 空気が重い
 ゴリラが笑みを浮かべる。今、胸ポケットに手を入れたような……

「……お客さん、詳しいね」


 体中から力が抜けていくのが分かった。
 ゴリラが胸元から取り出したのは、新しいタバコの箱だった。もうすでに一箱潰してしまったらしい。うまそうにセーラム・ピアニッシモを吸いながら、ゴリラは気安い笑みを向ける。

「まあ、とにかく何だ。小さい頃の嫌な記憶なんかが、そういうのを引き起こしている可能性があるわけよ」

「はあ」

 次にどんな言葉が発せられるのか分からないので、ゴリラの目から顔を離せられず、僕はただ頷きを返す。一息吸ったタバコの煙を、ゴリラは天井に向かって吹きかけた。つられて上を見れば、もはや蛍光灯のあたりが白く濁って見える。

「だから、そういう、心の傷になった原因って奴を見つければ治ると思うんだよ」
「小さい頃のですか?」
「そうそう。例えば、過去に、自分が受けたいじめとかね」

 にっこりした笑みにつられて、僕は思わず自分の過去をなぞっていた。

 高校時代……一人だった

 中学時代……一人だった

 小学時代………………あ、なんか涙でそう

「お、何か思い浮かぶことがありますか?」

 モミ手をするゴリラは気色が悪い。しかし、僕は目頭のあたりが熱くなっていた。ツンっとする鼻の奥をもむように鼻筋をさする。

「いや、なんか、いっっっっっっっっっつも一人だったなぁって思い出しちゃって」

 思い浮かぶどころの話しじゃない。いじめでもあればよかったと思えるほど、僕は他人と関係していた記憶がない。

 例えば小学校三年生の時だ。あまりの孤独感に、一日三語は学校で喋ろうと決めた時があった。小学生が考えるにしてはあまりにも哀しい決まり事だと思う。けれど、その決まり事にしても、僕はごくたまにしか守ることが出来なかった。小学三年生がだ。その喋った三語にしても、自分から話しかけた記憶はない。一度、隣の子が話しかけてきた時も、

『ねえ、今日日直だったよね?』

『うん(一語目)』


『私号令やるから、日誌書いてくれる?』

『いいよ(二語目)』

(ここでその隣の子は会話を発展させようとしたのか苦笑して見せた)

『日誌って、みんな見るから嫌なの。私、字が汚くてさ。』

だろうね(三語目)』

相手よりも語数が少ないという状態だった。さらに、そのとき話した子には、最後の一言のために、小学校を卒業するまでついに無視され続けた。(しかし、その子は本当に字が汚かった)

「……それは、きつい思い出だわな」
「いえ、これだけじゃないんですよ……」

 こんな過去の思い出を僕はいつの間にかポツポツと語りだしていた。語れば語るほど、暗い思い出は出てくるものだと初めて知った。

 中学の運動会では、何か種目に出ることが義務だったのにも関わらず、僕の名前はついに皆の話題に出てこなかった

 小学生の修学旅行。仲のいい子同士でグループ決めをしたところ、僕をどのグループに入れるかで、仲のよかった子達が喧嘩をし出した。(もちろん、僕を皆が入れたくなかったことに関しては言うまでもない)

 宇宙人というあだ名を付けられた

 『誰もがベスト三』という企画がクラスであったとき、クラスで喋らない人ベストという項目をわざわざ作られ、堂々の一位を冠した。

 さらに、クラスで一番不思議な人でも堂々の二位。一位はかわいそうだからという理由でいなかった

「わかった。あんたの傷はよぉく分かったから」

 はっとした途端、目の前に床が見えた。どうやら俯いたまま自分の世界にはいってしまっていたらしい。顔を上げると、驚いたことにゴリラが涙を流していた。

「あんた、辛い人生歩んできたんだなぁ。それは本当よぉぉく分かったよ。なぁ、ヤス」

 ゴリラの言葉に驚いてふと横を見ると、いつの間にかヤスも復活し、涙を流している。

「本当、辛いっすねぇ」

(なんか、
嘘くさっ

 正直、自分が語ってきたことを「辛い」の一言なんかで終わりにして欲しくはない。語るだけでも傷は心をえぐるし、痛い想いをしても、こちらは治療のためだと思って我慢して話している。それをただ一言「辛い」で流されてはたまったものじゃない。しかし、

「あんた、だったら、今日はずいぶんと話したんじゃないかね?」

 僕が言おうと思っていた言葉を、ゴリラが先に言ってしまった。
 確かにその通りだった。僕は今日、自分をかなりの時間をかかって表現した。今まで会ったこともない人間二人に。この事実はかなり僕を驚かせた。それよりも、訳知り顔でのぞき込んでくるゴリラの顔が気色悪かったけれど、それは口に出さないことにした。

「そう、ですね」

 頷きながらふと天井を見る。
 タバコの煙はもう天井を真っ白にしていると思っていた。けれど煙はなぜかさっき見たときとあまり変わっていない。よく分からず思わず眉をひそめる僕に気づいたのか、ゴリラがなんでもない顔で言う。

「ああ、隣の部屋に換気扇があるんですわ。しょぼい奴なんですけどね」

 片手にタバコを持ちながら笑う顔は、相手を引っかけたことを喜ぶような意地悪さがある。心配した自分が馬鹿みたいだったが、さっきの気色悪い顔よりも十倍はましなゴリラの表情に満足した。
 部屋の中は実にいい環境だった。
 座っているクッションのごつごつさは気になったが、そこは見てはいけない物が入っているのだから仕方がない。この友好的な空気を少しでも長く取っておきたかった。

 まだ語りたい

 そんな気持ちが心の中をむず痒く這っている。こんな経験をするのは生まれて初めてだった。
 勇気を出して治療をしに来てよかった。そう、心から思った。
 前を見ると、ゴリラがまた笑っていた。
 気色の悪い笑み。でも、少し慣れた。
 思わず笑顔を返す僕に、ゴリラは笑みを浮かべたまま言葉を紡ぐ。





「さて、ではあなたの治療をしようかね」




「は?」

 一瞬でいい気分が音を立てて、本当に音を立てて崩れ落ちていった。思わず音のした方向を見るとヤスがこけていた。どうやら、音はヤスがこけたときに生じたらしい。

「え、ちょっと兄貴?」

 必死にソファに上がってヤスはゴリラの顔をのぞき込む。

「黙ってろ」

 そして案の定殴られた。吹っ飛んだ。壁にぶつかった。落ちた。終わった。……で、僕は?「あの、後はいったい何の治療が残っているんでしょうか?」
 ゴリラを怒らせないよう精一杯下手に出る僕に、ゴリラは不思議そうな顔を返してくる。

「何をって、あんた、『突っ込みを入れる癖』を治して欲しいんでしょうが?」

「やっぱそれか!」

 正直すっかり忘れていた……わけではない。本当はそうではないかなと途中で思ったのだが、正直、そうであって欲しくない気持ちの方が強かった。

 なぜならこの癖だけは直らないからだ。治らないと言う自信がある。これまで何度止めようと思ったがすべて無駄な努力だった。しばらく突っ込みを入れていないと、やがて突っ込みの禁断症状が襲ってくる。こいつが苦しい。体中をかゆみが襲ってくる。特にかゆみの中心は腕を襲い、振り回したくなる。さらにそのとき、「なんでやねん」とか「どうしてや」とか一緒に叫んでしまいたくなる。禁断症状がさらに続くと幻覚まで現れる。これは、周りのすべての者がボケに見えてしまうという非常に危険な状態だ。前に一度だけなったことがある。突っ込みを禁止してから、八日目のことだった。
だから僕が以上に逃げ腰になるのもし方がないだろう。

 けれど、僕がこの話をしてもなお、ゴリラは得意げに笑った。

「大丈夫。私のはショック療法ですから嫌でも治ります

 何か今、嫌なこといったぞこのゴリラ

「痛いんですか?」

 逃げ腰のまま聞く俺に、ゴリラは目をむきだして口を開く。食われるのかとおびえたが、どうやら大声で笑おうとして声だけついてこなかったらしい。胸板がぷるぷると実に楽しそうに揺れる。
 そして、告げた。

「痛いですよ」


 さわやかな笑顔だった
 僕の人生ここまでだと思った。





「では、ヤス、しっかりとお客さんを抑えているんだぞ」
「はい」

 ゴリラの声に、ヤスが応える。ヤスが回復をするまでに治療方法を聞いてしまった僕は、もう抵抗する気もなく今ヤスに後ろから羽交い締めにされている。
 据わりの悪い首を無理矢理に動かして室内を眺め回す。これが最後の景色になるには何とも味気ない光景に見えた。ぽたりと胸のあたりに何かが落ちた。何かと思ってみたら血だった。ヤスの血だ。恐らく、僕も数分後にはこれより綺麗な血をだらだら流していることだろう。いや、その前に天国に一昨年旅だったおじいさんに会えるかもしれない。

「では、改めて治療法を説明しますよ」

 ゴリラがニカニカ笑いながら、拳をさする。リンゴを磨いているかのように左手が右手を慈しんでいる。リンゴなら死なずにすむのになとぼんやりと思った。

「行動療法的な治療法では、基本的に精神病を治すには罰を与えるらしいんですわ」

(『らしい』かよ。ありがてーお言葉だな)


「例えば、おねしょをする子供に対して、おむつをつけて、不快感をダイレクトに与えるとか………まぁ、色々と」

(例え話はそれで終わりかよ!)

「ですかぁら。お客さんの『つっこみ』を治すにはですね。つっこむたびに、罰を与えれば良いんですよ。罰をね」


 ニヤリ
 
 シュッシュッ

 そんな擬音が聞こえるほどに、ゴリラの笑いは陰湿で、繰り出した拳はその伸びた先さえ見えなかった。ただ音だけが部屋の中に響いたという感じだ。……まさか、口で言っているんじゃないだろうな? そう思ってゴリラを見たけど、そんなはずもなかった。
 つまり、それは。

「な、殴るってことですか?」

 ゴリラは笑う。
 親指がぐっと突き出される。

「ザッツ・ラァイトッゥ」

 下手くそな発音だが、意味は分かった
 イコール、殺される。と――

「おっと、だめっすよぉ。逃げたりしたら治らないって」

 体をねじった僕に対して、ヤスは気楽に言いながらも力強く僕を捕らえる。じたばたしても無駄だと分かりながらも、力一杯腕を振った。けれど、ヤスの力は強い。さすがゴリラに殴られても死なないだけはある。彼もまた、人間じゃないのだろうか。

「さぁ、お客さん。じゃあ始めましょうか」

 ゴリラの顔が近づいてくる。
 汗が背中にぷつぷつと生まれて来るのが分かった。心臓が、ばくばく激しくなる。うわずりながら、僕は何とか笑みを浮かべる。

「いや、なんか、話したら、治っちゃったなぁなんて――」

 言葉を待たずに、ゴリラは……いきなりウインクした




「私、実は女なんですよ



「いや、ありえないだろ! わけわかんないし」



 大声で、叫ぶ。


 空気が鳴った



 しまった。そう思った瞬間には遅い。



 音。


 衝撃。インパクト。


 地球が割れた。


 ロスト。


 暗闇。




 何も見えない。




 思考が漂う。


 揺れる。


 揺れる。



 体が揺れる。




 体中の骨が無くなったような感覚。




 水になる。


 僕は誰だったっけ?


 目がどこにあるのか分からない。


 ……目ってなんだ?


 周りが白い。


 白。い服?


 あれは。


 花畑が。


 川が流れて。後ろ姿が。


 白い服の。陽の光。反射して。


 光る。振り返る。顔。そう。あれは。 



「おじいちゃーーーん」






 叫んだ途端に視界があけた。
 気がつくと、僕はまだ事務所にいた。

「臨死体験いっかーい」


 後ろで嬉しそうに叫んでいるのはヤスだ。自分が殴られる代わりに他人が殴られているのが楽しいんだろう。
 大丈夫。冷静に思考することは出来た。驚いたことに痛みはない。ただ、頭の中を急速に揺らされたような感覚を覚える。

「お客さん。とりあえず、こんな感じでいきますんで」

 ゴリラが笑顔で頭をなでてくれた。途端に、激痛が体中を揺さぶる。頭をなでるゴリラに対して突っ込みを入れようと口を開こ――としたけど、痛みがブレーキ代わりになる。
 痛み療法、悔しいけど効果はある。

「さあ、どんどん行きますよ



 って、何言ったこの人外は?



 ゴリラの笑顔が信じられなくて何度か見直す。けれど、ゴリラはニコニコと、それこそ上機嫌で僕を見返してくる。痛みは疼きとなってじわじわと体中をむしばんでいる。痛みの発祥ポイントは頭部なのに、なぜか指先までしびれる
 素早く部屋の中を見渡した。部屋の中には電話すらない。僕は高校生でありながら実は携帯を持っていない。助けを呼ぶ手段はない。


「あの、もう、今のショックで十分。ってか、治りましたから――」



 また、僕に先を言わせず、ゴリラが微笑む。
 来る。
 すかさず身構える。今度は何も言わない。
 ゴリラがまじめな顔になる。




「……私、
実は女なんですよ



「って、また同じネタかよ! つっこめねえだろ普通! っあ!」




 ゴリラが拳を振り上げる。
 僕はまた暗闇へと落ちていった。






それから。




 ぼくは、なんかいもたたかれました。とてもいたかったです


 いたかったです


 いたかったです



 ごりらのお兄さんが何か言いました。ぼくはがんばって何もこたえません。それが決まり、だからです。ほんとうは、あたまがぐわんぐわん鳴っていて、何も言えないだけです。
 ごりらのお兄さんがつまらなそうにくちびるをとがらしました。
 ぼくのあたまのうしろで「ちっ」って声が聞こえました。気のせいだと思いたいです。

「……これで、ちりょうはおわりです」

 ごりらのお兄さんが言いました。ぼくは帰れるとわかって、とてもうれしかったです。

「えっと、お金は……いらないですから。こんかいのちりょうについてはだれにも……言えないとおもいますが。いわんでくださいよ」

 ごりらさんはそういってわらい、

「だいじょうぶっすか?」


 変なかみのお兄さんが言いながら見おくってくれました。だいじょうぶってなんだろう? 
 ドアをでるとそこはくらやみです。

「あ、でんきゅう切れているっすよ、あにき」

「またか。おきゃくさん。こけないように気をつけてくださいね」

 ごりらさんにうなずいてから、ぼくはかいだんをのぼります。

 かいだんをぼくはのぼります。かいだんを……
 それで、ぼくはひとつおもいだしました。

 かいだんをのぼる時には、かずをかぞえないとだめです。
 かずをかぞえないと、……なんでだめだったかはわすれたけど、だめ、なのです。
 かいだんをかぞえます。ぼくは、あしをかいだんにおきながら、こえをだします。


 一……二……三……


 光が、見えてきました。


 七……八……九……


 太陽の光じゃなくて、赤い光です。イルミネーションだ。ぼくはわかってます。
やっとぼくはでることができたんです。うれしいです。
 かいだんをのぼりきるとどうじに、ぼくは大きな声でかずをさけびました。





「じゅうさん!」





 あれ?
 なんだんかぞえわすれたんだろう?
 はじめは何こだったっけ?
 ああ、だめだ。十三段目踏んじゃった。
 やみが。





 そしてぼくは、


 やみにのみこまれました。

あとがき
馬鹿な話しを書いてみました。
まぁ、HTMLを活用した小説(?)って処でしょうか。
「日頃の日記みたいじゃん」とか言われたら
それまでですが。

分かる人には分かると思いますが、
ヤクザINカラオケが元ネタです。
最近、小説が変な方向に行きかけていたので、
戻そうとして……えーー
さらに変な方向へと(笑)

最後まで読んでくれて、ありがとうございました。