例えばそれはある一日に


むか〜し
まか〜し
あるところに、
ミズマなんていう、
それはそれは、おっちょこちーな
魔円術師がおったそうです……………

1
「うおりゃああああ」

 青空に向かって勇ましい男の声が響き渡る。頭からすっぽりとかぶった黒いローブ、青いフレームのサングラスのいでたちで、商店街を突っ走る男こそ声の正体だ。
 男の両手が前に向かって伸び、一気に脚は地を蹴る。

「フミャアアア」

 男の標的となったのは一匹のシャムネコ。だんだんと黒い影が迫ってくることに恐怖を感じた猫の目が見開かれる。しかし、もう遅い。
 男の両手がしっかりと猫の胴体をつかむ。一瞬男の顔に安堵感が広がった。しかし次の瞬間、その表情は目前に迫る地面によって掻き消えた。

 商店街から、悲鳴が沸き起こった。

「飛」

 男の叫び。と、同時に男の体が自然界に逆らう動きを見せた。前のめりだった体が、まき戻しをされたように戻り、ついでに一回転してから地面に着地する。

「よしよし、いいこだぁ」

 何が起こったのか理解しきれないシャムネコの頭を、少し乱暴になでる。ほんの少しの憎しみがこもっていたとしても、それはこの際仕方のないことだった。

「いよ、兄ちゃん、いい技だねぇ」
「おめでとう兄さん」

 言葉と共に、商店街から拍手が巻き上がる。

「いやぁ」

 男は、テレまくって自分の頭を掻いた。

「っふみゃおう」

 その一瞬の隙をついて、猫が腕の中から飛び出す。

「しまった」

 男のあせった声と共に、その体がすさまじいスピードで走り始める。

「兄ちゃんがんばれっ」
「兄さん、今度うちによって」

「はいっ、ミズマがんばりますっ!」

 無責任に明るい商店街の皆さんの声援に、男、ミズマはこれまた無責任な笑顔を見せた。サングラスからちらりと覗く瞳に、商店街の面々が、皆嬉しそうな表情になる。つられてニコニコ笑って、いつまでも手を振りながら走っていたミズマの顔色が、突如変わる。

「あっと、ネコぉぉ」

 猫は、すでにはるか遠くを走っていた。

「たくっ疲れてるってのにぃ」

 もうすでに、朝から五時間ぶっとうしで走りつづけていた。常人なら倒れている時間である。遠くに見える猫の姿に、ミズマは一人ため息をつくと、誰に言うともなしにつぶやいた。

「しかたない。ずるしちゃおうっと」

 そういったその目が、いたずらっ子のように輝く。そして一言。

「走」

 瞬間、輝きが生まれる。
 雑貨屋で2銀貨で買った靴底が、奇跡が起こったように輝きだす。
 しかし、それは奇跡ではなく、必然。

 ミズマは、魔法使いなのだから。

「まてぇぇ、ネコォォ」

 百メートルを三秒で走りきれるスピードで、ミズマは猫を追っていく。
 数秒後、メキッと嫌な音がした。
 見事顔面からミズマが壁にぶち当たったのだ。

「ネ、ネコォォ」

 つぶやくその顔を、とうのシャムネコは、哀れみの目で見ていた。

「とほほ、やっぱりズルなんてしなきゃよかった」

 ミズマ・シグレ十八歳。通称『町のお使い魔術師』の彼が、伝説の魔法使いライオット・エリックと並ぶのは、これから、十年後の話だ。




 店の中は、軽い熱に包まれていた。今が夏だからというせいかもしれない。とにかく、
店の中にいる面々は、その熱にどれも疲れたような顔をしている。

「ありがとうミズマちゃん。これからもよろしく頼むわね」 

 ミズマの目の前に立つ依頼人は、自分の手に戻ってきた猫の頭を撫でつつ笑みを浮かべた。

「本当ミズマちゃんがいてくれて助かったわ。この『何でも屋』の中で、うちのブッちゃんを捕まえられたのは、ミズマちゃんだけなのよ」

「はあ」

 目の前でまくし立てる話も上の空に、ミズマはちらちらと天井を見ていた。別にミズマだって、誉められるのは悪い気はしない。しかし、毎回一字一句同じだと、さすがに参ってしまう。今では、いじめなのではないかと思う時すらある。

「本当、ここ『なんでも請け負います』なんて看板立ててるくせに役立たずばっかりなんだから」

 ギロリと見渡した視線に、周りの面々があわてて視線をそらすのが痛いほど分かった。それほどこの依頼人の力は強いのだ。どう考えても、自分で猫を追いかけた方が効率がいいようにも思える。

「本当、役立たず。でも、ミズマちゃんはちがうわぁ」
「ありがとうございます」

魔法によってつけられたプロペラが、クルクルと天井に集まった熱い空気をかき回す。あんまりあれ意味ないんじゃないかと、ミズマは何度も店長に言ったのだが、残念ながら聞き入れてくれたことはない。

「ミズマちゃん、聞いてるの?」
「はい、聞いてます聞いてます」

 さっぱり聞いてなかったことをごまかそうと、ミズマは激しくうなずいてみせる。

「それならいいけどん」

 どうやら、彼は納得してくれたようだった。
 もみ上げとあごひげがくっついているマッチョに猫なで声を出されて、おもわず自分の両肩を抱いて震えてしまいそうになる。
 だが、それをどうにか抑えて、ミズマはただ困ったように頭をかくことで、全てを終わらせようとした。

「はあ。でも、その猫、もう少し可愛がらなかったら逃げ出さないと思うんですけど」

 ギロリ。

 昔は戦士今は主婦。そう公言している男の瞳が冷たい光を帯びる。

「俺が、こいつを可愛がりすぎだって言うのか」

 ドスを利かせた太い声。さっきまでの声はどうやって出しているんだろうと不思議になってしまう。考え込みそうになって、ミズマは始めて自分が危険な状況にいることに気づいた。あわてて首を左右に思いっきり振る。

「ちがいますよ。ただ、猫にも孤独って言葉を覚えさせた方が良いって言っただけです」

 いぶかしげな表情の男に向かって、さらに両手でばってんを作り、違うことをアピールする。

「そうね、そうしてみるわ」

 ころっと、男の顔に笑みが浮かぶ。その言葉を最後に、ミズマに背を向けると男は外へと出て行った。

「フミャアアオ」

 猫の声が悲しく響き渡るのを、あえて無視する、ミズマだって命は惜しいのだから。
 やっと終わったという安堵感から、おもわずため息が出る。

 何でこんな事をやっているのだろうと思ったことは何度もある。それでも、いつもミズマはいつのまにかここにいた。

(ここにいれば、いつかはきっと……)

「ご苦労さん」

 ポンッと気さくに肩を叩かれて、ミズマの思考はそこで中断させられた。声の主は誰だかわかっていたので、ほとほと困った表情で振り向く。

「マスター、あの人の依頼は僕、パスって何度も言っているじゃないですか」

 ぽりぽりと困った顔で、マスターと呼ばれた男は鼻の頭を掻く。そして、しょうがないと言いたげな顔で、ミズマの両肩に手を置いた。

「お前もしつこいねぇ、こんなとき俺がなんていうか分かっているんだろう?」
「うっ」

 確かにミズマは知っていた。もう良いですといいかけたその耳に、いつもの言葉が届く。

「いいか、この世には運命って言葉があるんだ。お前はそういう運命なんだから、あきらめろ」

 ハァ。
 本日二度目のため息が口から漏れる。頭では、素直にうなずくのが一番この話を手っ取り早く終わらせられると分かっているのに、口は勝手に動いて言葉を吐き出す。

「でも、僕は、運命なんて言葉は嫌いです」

 にやりとマスターの口元が緩む。そのまま肩に置いたままの手でポンポンとミズマを叩くと、ふと、遠くを見るような視線になる。

「そんな風に思うのは、若い証拠さ。そのうち、お前にも分かってくる。どうしようもないことってのはこの世の中にあるってことな」
「でも」
「分かってる。お前がいいたいことは分かってるよ。今日は飲みな、ほら、依頼料」

 ぐいっと手が引っ張られて、その上に金が詰まった袋が置かれる。ミズマが何も言わないのを見て、マスターは納得したと思ったのか、ひどく上機嫌でカウンターに戻っていった。

 『運命』

 マスターの言葉が、頭の中で反復する。
 無言のままで、ミズマは近くの席に座った。無造作に金を服の中に押し込むと、ブスっとした顔で、頬杖をつく。

「ほら、飲みな」

 何もかも心得ているような顔でマスターが、ミズマの前に酒を置く。少し高めの奴だったので、一瞬思考をとぎらせて、マスターを仰ぎ見る。しかし、

「青春だなぁ」

と、意味不明な事を言いながら、マスターは、またカウンターに戻っていってしまった。周りから、「マスター俺にも」なんていう声に、

「馬鹿野郎、青春ってのは、美少年にしかあわないんだよ」

 と、つばを飛ばしながら叫んで黙らせる。

「なんなんだろ?」

 よく分からないまま、目の前のグラスをじっと見つめる。そっとその手が懐の金に伸びた。一枚つまんで、グラスの中に落とす。コインは、音も立てず、静に沈んでいく。

「運命か」

 また一枚コインを落とす。
 もし、運命があるのだとしたら、自分は最初から、ここにいると決まっていたのだろうか? あの人は、初めからいなくなってしまうと決められていたのだろうか?

 あの人。
 ミズマはあえて名前でその人物の事を考えない。
 そうしてしまわないと、本当に、あの人がいなくなってしまったような気がするから。名前を呼ばないことで、いないという事実を曲げようとしているのかもしれない。

「何で、何でいなくなっちゃったんだろう」

 また、コインがグラスに沈む。酒は、もうすでにあふれそうになっていた。今はただ、その表面張力だけで、こぼれずに済んでいる状態。また、コインに手が伸びる。

「よ、若手ホープがこんなところでコイン遊びか?」

 明らかに自分に向けられた軽い言葉に、ミズマははっと我に返った。逆に、自分が何でこんな事をやっていたのか分からなくなる。

「おい、何驚いた顔してるんだよ。まさか俺の名前を忘れたわけじゃないんだろう」

 そういいながら、彼は勝手にミズマの隣に席を持ってきて腰をおろした。青色の髪をさっと自前のクシで分けてから、自分のコインをグラスの中に落とす。わずかな震えとともに、コインはミズマが落としていた時と同じように、グラスのそこへ沈んでいく。じっと、見つめるミズマをあきれたように見て、彼は口を開いた。

「こんなことして、楽しいのか?」
「いや、別に、楽しくなんかないよ。……ザール、何の用?」

 赤髪の若者、ザールは大げさに肩をすくめる。

「おいおい、用がなくちゃ話しちゃいけないほど、ミズマはお堅い人間だったっけか?」
「……そういうわけじゃないけど」

 自分でも、何を言っているんだろうと思わず苦笑してしまう。ザールの目が、からかうような感じから、心配げなものへと変わる。

「おい、平気なのか、お前。なんか、調子悪そうじゃんか」
「ううん、別にたいしたことはないんだ。なんか、いまさらなのかもしれないえけど、昔の事、考えちゃってさ」

 何でだろうと自分でも思う。もしかしたら、今日みたいな日だからかもしれない。少し蒸し暑くて、周りは皆疲れた顔ばかりで、……酒の匂いがした。
 あの時と同じ。ただ、ここではないということを除けば。

「本当変だぜ、お前」
「平気だよ。心配してくれて、ありがとう」

「なんだよ、いきなり言うなって」

 笑みを浮かべるミズマに、ザールは鼻の頭を掻く。

「そ、それにしてもよお」

 と、無理やり話を変えようとするザールが、やけにおかしかしい。照れているのだろう。暗かった心が、和やかになるのを感じる。

「何笑ってんだよ」
「別に」

「ったく。……まあいいや。なあ、お前って、まだこれ続けるわけ?」

 いきなり質問を浴びせられて、正直戸惑った。

「え?」

 どういう意味かわからない。そのことにザールも気づいたのだろう。「ああ」というと、少し思案する表情を見せ、そして、ぽんと手を打つ。

「つまりさ、この何でも屋の中で、お前ってばいつも捜索専門じゃんか。ほら、猫とか、豚とか、人間とか、熊とか」

「熊は探したことないなぁ」
「じゃあ豚はあるのかよ、ってそうじゃないだろ」

 びしっとザールの手がミズマの胸元にあたる。

「ザール、寒いよ」

 正直に白状するミズマに、ただザールはコホンと咳払いをし、なんでもないように先を続ける。

「つまりさ、お前ってば魔法なんてどえらい力持ってるわりに、なんで捜索しかやらないんだ?モンスター退治のほうが絶対むいているし、そのほうが収入は良いだろ? 俺とお前だったら、いいコンビになると思うんだけどよ、なあ」

「え、ああ、うん。そうだね」

 ザールの言っていることはよく分かっていた。ただ、彼が自分が仕事をする理由を知らないだけなのだということも。言うべきか、言わざるべきか。いつも自分にむけてする質問に、ミズマは常に後者をとっている。

 ガタンと椅子を鳴らして、ミズマは席を立った。

「ちょっと、夜風に触れてくるよ」
「あん? ミズマ、俺の質問にまだ」

「ザール、僕は、金のためにこの仕事をしているわけじゃないんだ。ただ、皆の笑顔を見たいだけなんだよ」

 言い残して立ち去る。

「モンスター退治だって、皆喜ぶぞ」

 追いかけるように言ったザールの言葉は聞かないふりをした。
 カラン、とドアが無機質な音を立てて開く。

 夏が近いといっても、夜風はまだ涼しい。ちょうど建物の裏に回るように歩いて、ミズマは地面に腰を下ろす。

『皆の笑顔が見たい』

 それは嘘ではない。でも、真実でもない。
「ただ、僕は、欲しいだけなんだ。あの人の手がかりが。それには、捜索の仕事を受け持つのが、生活費も得れるし、遠くにいけるし、ちょうど良いんだよ」

 言えなかった言葉を一人吐き出す。
 自分は、あの人を見つけなくてはならない。

「こんな日は、本当に思い出しちゃうよ」

 たまに、この場に一人でいる事を痛烈に感じる。『一人』そのことより、ミズマが恐れるものなどなかった。

「ヤッパリ、中に戻ろう」

 そう自分に言い聞かせて立ち上がったそのときだった。
 ピクリ、とミズマの耳がかすかに動く。

「悲鳴?」

 かすかな、本当にかすかな女性の悲鳴。しかし、それをミズマの耳は捕らえ、そして次の瞬間ミズマは走り出していた。ザールを呼びにいこうなどという考えは頭に浮かばない。悲鳴に対して、彼は反射的にそこに飛んでいってしまう。

「飛」

 言葉と共に、拳に円が浮かび上がる。ふわりと、まるで鳥の羽根が風に吹かれて浮かび上がるように、ごく自然にミズマの脚が地面から離れる。

 円を呼び出し、その円より魔法を使う術形式。
 魔円術という。本来なら、あらゆる呪文系統の中で、最も体に負担がかかる魔法に分類される。ただし、その威力も半端ではない。

 そしてミズマは文字通り、本当に飛んで駆けつけるのだった。



 突然だが、男である。
 滅茶苦茶濃い顔の男である。
 彼は、その顔を真っ赤にさせ怒っていた。ただ、ひたすらに。

「おらぁぁ」

 分厚そうな筋肉に包まれた腕を、無造作に振り回す。

「きゃああ」

 悲鳴と共に、女性がそれを間一髪でよける。空気を切った男の拳がそのまま塀にあたり、拳が離れるとともに壁がパラパラと崩れる。大して傷ついた様子も無く、男は自分の拳を軽くなでた。

「へへへ、いい加減大人しくしろよ。別に、殺そうってんじゃ無いんだからよ」

 下卑た笑いを浮かべ近づく男と、逃れようと身をよじる女では、その体格に二倍ほども差がある。女一人では到底男に勝てるはずが無かった。

「まあ、こんな所に女一人で来るぐらいだ、本当は、誰かに襲ってもらいたかったんじゃねえのか? あぁん」

 近づく男を叩こうとした女の手を、男はあっさりと片手で掴みそのまま身体を引き寄せた。男の口から発せられる酒臭い息に、女はあからさまに顔をしかめる。

 人通りの少ない裏路地では、大声を上げても人に気づかれる事はほとんどない。ましてやここは町はずれ。ごろつきや、初めから世の中とは少し距離をおく人々が集まる場所。誰一人、他人に干渉したいなど思いはしない。

「い、いやぁ」

 近づいてくる男の顔に、女はなすすべも無くただ目をつぶった。しかし、

「こらぁ、まてそこ!」

 薄暗い夜の道をいきなり明るく照らしてしまいそうなほど、明るくハキハキした声。一瞬にして、女の絶望感や、男の威圧感を吹き飛ばす。

「だ、だれだ」

 女に近づきかけていた顔を離し、男は慌てて振り向いた。瞬間、男の頬に拳が突き当たる。

「暗がりで女の子を襲うなんて、どうしてそう男全体の印象を下げるような事をするのさ! 女の子と付き合いたいのなら、正式に頼む事から始めなさい!」

 殴った手でそのままビシリと男の鼻先に指を突きつけ、ミズマは一気にまくし立てた。

「……あぁん?」

 殴られて少し横を向いていた男の顔が、ミズマに向き直る。まったくと言っていいほど、ミズマの拳は男にはきいていない。

「何かしたか小僧?」

 地のそこから響くようなドスのある声、女を掴んでいた手を離し、男はパキパキと軽く指の関節を鳴らす。男の後ろで女が息を飲んだ。しかし、ミズマはなおも怒りの冷めやまぬ顔で、男に詰め寄る。

「僕はもう今年で十八! 小僧じゃなく、ミズマと言う名がある。人のことは名前で呼ぶことが友好な信頼関係を気づく第一歩でしょ。おじさん」

 ピクリと、男の鼻が動く。ミズマを見下ろすようにしながら、男は静かに両手を結んで振り上げた。

「俺はまだ28だ〜!」

 溜めていたものを一気に放出するように、両手を振り下ろす。

「鋼!」

 とっさに、ミズマは叫んで両手を頭にかざす。瞬間、両手を合わせるように、円が浮かび上がった。

 骨の砕ける音が、あたりに響き渡る。
 にやり、と笑みを浮かべたのは――ミズマ。

「ぐ、ぐあああああ」

 目を見開いて男は自分の拳を見つめ、そのままうずくまる。小指が、あらぬ方向に曲がっていた。痛みのために、男の顔には脂汗が噴出す。少し得意な顔で、ミズマは先ほど男がそうしたように、男を見下ろし、腕を組む。

「どう? まだやる?」
「く、き、貴様」

「ミズマ、だよ」

 歯軋りしながら言う男のセリフを、すかさずミズマは訂正する。血走った目を向けた男の表情が、数秒、何かを考え込むように、ミズマを見た。

「……お前、なんて名前だって?」
「ミズマ」

 ミズマの顔を見、何かを反復するように呟いて、男の表情がさっと青くなる。少しよろめきながら立ち上がった足も、ミズマには向かわずむしろ後ろへと離れていく。

「じゃ、じゃあ、てめえ、いや、あなたが、あの、『屍の騎士』の親友……」
「『屍の騎士』?」

 どっかで聞いたことがある名前のような気がして、ミズマは首をひねった。しかし思い出せない。が、男のほうは、もう十分に恐怖に浸りきっているようだった。誤解しているにしても、このままのほうが穏便に話をすませられると、脳が答えをはじき出す。

「そうだよ」

 にこりと、笑顔つきで答える。瞬間、男の足の向きは百八十度回転した。

「す、すいませんでしたぁぁ」

 ドス、ドスっと、町に足音を響かせて、一目散に逃げていく。

(なんだったんだろう)

 男が去っていくのを見送ったあとで、とりあえずミズマは浮かんだ疑問を置いておいて、女のほうへと視線を移した。

「大丈夫だった?」

 ビクリと、女の肩が震える。男がミズマに対して見せたように、恐怖が色濃く残る顔でふり向くと、じっとミズマの次のセリフを待っている。できる限りの笑顔を浮かべて、ミズマは手を差し出した。

「こんな夜道を一人で歩いてちゃ、あぶないよ。家までお送ろうか?」

 女の震えが止まる。じっと、ミズマの真意を確かめるように見る女に、ミズマはもう一度微笑んで見せた。瞬間、ふっと気の抜けた顔になって、女はその場に腰を落とした。

「だ、大丈夫!?」

 慌てて駆け寄るミズマに、女はテレ笑いを浮かべる。立とうとしても立てないらしいその様子に慌てて手を腰に入れると、ミズマは少しの反動で、女の身体を立たせた。そのまま、塀に寄りかかるようにして、女はミズマのほうを向く。

「助かりました」

 ようやく、女は笑みを浮かべた。街頭から照らされる光に、陰になっていた白い肌が現れる。瞬間、ミズマはドキリとさせられた。女の長い黒髪が、その口元にまでかかっていた。薄いオレンジ色を放つ口紅とは対照的な暗さを出している。

 マスカラの一つも塗っていない目元であるのに、少し大きめな瞳が、幼さを、そして、少し笑みを浮かべ細くなった瞬間に、大人の女性を思わせるような、儚さを見せる。

(一体、どういう人なのだろう?)

「どうかしましたか?」
「あ、ご、ごめんなさい」

 しげしげとぶしつけに女の顔を見ていたことに気づいて、ミズマは慌ててごまかすように頭を掻く。その様子に少し訝しく思ったのか、眉をよせながらも、女は深々と頭を下げた。

「本当に、助けてくれてありがとうございます」
「大した事ないって。男として当然のことだから」

 はっとしたように顔を上げて、ミズマを見た女の表情に浮かんでいたのは、紛れもなく、疑いの目。

「あ、私、早く帰らないと」

 自分の目線を隠すように右手を前に持ってくると、そう言って、口元だけをミズマに見せ、微笑んだ。

「送っていくよ」
「でも」

「気にしないでいいって。それより、もしまた襲われたらって事の方を心配しなきゃ、ね」

 女の声には、少し迷惑がるように響きも合った。面倒に巻き込まれるのが嫌いなミズマとしては、本当ならその言葉を前にさっさと背中を向けるはずだった。しかし、一瞬見えた女の瞳に、興味が湧いててしまったのも事実。何気なさを装って、もう一度、女に対して手を伸ばす。

「すいません」

 女は、申し訳なさそうにして、ミズマの手に、自身の手を重ねた。少し、冷たい手だとミズマは思う。まるで、今の今まで水仕事をしていたかのようだった。肌はあれ、ガサガサし、一瞬想像した若い女性の柔らかな肌の感触は、まったくと言っていいほどほどない。
 ミズマと大して変わらぬ歳であるはずなのに、女の手から感じたのは、母親の手だった。

(苦労、してるんだな)

 あえて手のことには触れず、ミズマは陽気に女にふり向いた。

「それで? 家はどっちのほうなのさ?」
「あちらです」

 そう言って、女は、ミズマから見て、左斜めの方角へ指を向ける。しかし、そちらの方角には、まったく街灯の姿がなく、道があるのか無いのかわからぬほどに、暗闇に覆われている。正直、ミズマはしり込みした。

(まさか、これじゃあここの方がよっぽど明るいじゃないか)

「や、やっぱり、冗談なんかじゃないよね?」

 とりあえず頬を引くつかせながらも、ミズマは笑顔を絶やさなかった。そんな少しの希望を裏切るように、女は冷静に言い返す。

「何で、冗談なんていわなきゃいけないんですか?」
「そ、そりゃそうだよね」

 きょとんとした顔の女に、ミズマはもはや何も聞けず、闇の中に向かって目を凝らした。女の手を引きながら一歩一歩歩いて行くその後ろで、女はいきなり呟いた。

「ミズマさん、でしたよね?」
「そうだよ」

「ミズマさんは、冒険者ですか?」
「まあ、そのような物かな」

 パチリと、ミズマの足が小枝を踏みつけた。一瞬二人して肩を震わしたあと、ミズマはまた思い切って闇の中にもぐりこむ。

「お金、あるんですか?」
「え?」

 ボソリと後ろから聞こえた言葉。あまりにも、今自分が手を握っている女からは信じられ無いものだった。その質問の理由が分からず、ただミズマは曖昧に言葉を濁しておく。

「あ、ああ、まあねぇ」
「そう、ですか」

 沈黙。言葉のあとに待っていたのは、まったくといって良いほどの無音だった。息遣いすら聞こえなくなるような錯覚にすら陥る。静かすぎて、逆に、闇の中に対する恐怖心だけがふくれていく。だからこそ、ミズマは女の手を握る手に力を込めた。するりと感触がなくなる。

「え?」
「ごめんなさい!」

 瞬間、あたりに響き渡る声。何か言うよりもなく、その首筋に思い切り何かがあたる。

「な」

 ミズマがいえたのは、それだけだった。


「何だって、こんな金を持ってないやつを狙ったんだい! てんで、無駄じゃないか」

 甲高く響く大きな声。

「すいません」

 弱々しく女の声が、言葉を返す。
 頭が、まだぼおっとする。薄く開いた目に映った情景に、一瞬ミズマはついていけなかった。

 薄暗い部屋のなかで、大きな体格をした女が、先ほど自分が助けた女に対して大声でわめいている。しかも、そのわめき途中にも、自分の手を一時も止めようとしない。その手の中にあるのは、ミズマが肌身はなさず持っている鞄だ。次々と、その中身を出している。

「な、一体どういう」
「おや? 気づいたようだね」

 大女の方が、口元を醜くゆがめて振り返る。にやりと笑ったその口は、歯並びが悪く、少し歯が黄色く変色している。近づいたらいかにも嫌な匂いがしそうで、ミズマは思わず身をよじった。

 と、両手が、縛られている事にやっと気づく。見ると、足も両足をあわせた格好で縛られていた。軽く体を持ち上げようとすると、すぐに、何かに引っかかる。

「もしかして、縛られてる?」

 少し頬を引くつかせて聞くミズマに、さっと、助けた女は顔をそむける。一方大女の方は、その巨体を揺らして、「がははは」と、嫌な笑い声を上げた。空になったバックをミズマに投げつけながら、小さな椅子に、腰を下ろす。瞬間椅子が上げた悲鳴を気にするそぶりもなく、ミズマの鞄にあったものを、一つ一つもてあそびながら、横目でミズマを見る。

「まったく、損なものだねぇ正義の騎士様というのは。助けた相手に頭を殴られた上、持ち物を全部持ってかれちゃうんだから、ああ、かわいそうだこと」

 そう言いながらも、その口調には少しも哀れみは含まれていない。一種の快感ですらあるらしい事は、その笑みから見て取れる。

「母さん!」

 助けた女のほうが、非難の声を上げる。しかし、大女に睨まれると、すぐに、シュンとなって、肩を落とす。ちらりとミズマを見た目がすまなそうに少し潤んで地面を向く。

「ま、これで少しは酒に困らなくなるわな。まあ、騎士様は、顔がよろしいから、奴隷商人にも高く売れそうだし。よくやったよ、メノウ。これからも、頼むわ」

「そんな、母さん。金目の物を奪ったら、それで返してあげるって約束じゃない!」

 メノウと呼ばれた女は、両手を握り締めて、非難の目を大女に向けた。しかし、ギロリと睨んだ大女の視線に、ビクリと一つ震えて、目をそらした。

「まったく、母親に向かって意見するなんて、なんて娘だ。あんたは、私の言うとおりにやっていれば良いんだよ」

 ぴしゃりと言い放ち、大女はミズマを見た。ミズマは、自分の心の中に生まれつつある感情を必死に隠して、勤めて冷静な顔で大女を見る。その顔を脅えと取ったのか、大女は余裕の笑みを浮かべた。

「ふふふ、大丈夫さ。奴隷商人だって、そんな手荒に扱いはしないだろうからねぇ」
「母さん……」

 もはや、メノウのほうは、大女に何も言う気がないらしい。ミズマはどういう表情をしていいのかわからず、ただいまの状況を整理しようと目を閉じた。

(どうやら、殴られて、そのうちにどこかへ連れ込まれたみたいだな……どうしようかなぁ。なんか、女の子の方はいい子みたいだし、夜中になったら、こっそり抜け出ちゃおうかな)

「とにかく、明日の朝一番で売りに出すからね! わかったら、もう寝な」

 有無を言わせぬ口調で大女はそう言うと、そのまま身体を揺らして、部屋を出て行った。後に残るのは、ミズマと、肩を落とし、下を向くメノウだけ。

「お嬢さん」

 ミズマはできるだけ優しい声を出したつもりだった。しかし、メノウは瞬間脅えた顔でミズマを見、そのまま、何か言おうと口を歪ませたまま、動きを止める。

「いや、別に、僕は怒ってるわけじゃないし、そんな気にしないでよ」

 言いながら、ミズマはにっこりと笑いかけた。

(燃)

 そのまま、メノウに聞こえぬほどの小さな声でつぶやく。両手両足を縛っていた縄が切れたのがわかった。

「ごめんなさい、あたし、何も考えてなくて。ただ、お金が必要だったから」
「殴る事はないと思うけどね。言ってくれれば良いのに」

 ミズマの言葉に、メノウは、少し伏目がちのままで、呟くように答えた。

「言ったせいで、襲われかけたんです」
「なるほど」

 そりゃ仕方ないねぇと軽く呟き、ミズマは腕を組む。一瞬、メノウの視線が、ミズマの手にクギつけになった。信じられないように、ただ呟きだけが口から漏れる。

「え?」
「あ」

 メノウの視線に気づき、慌ててミズマは両手を後ろに戻す。しかし、もう遅い。

「手、縛ってませんでしたか」
「うーん縛ってあったけどね」

 言いながら、ミズマは観念して立ち上がった。すでに、両手両足の縄は解かれている。いや、その一部が薄黒くこげて、焼き切れていた。

「そんな、どうやって」

 うつろに響かせて、一歩、メノウの足が後ろに向く。ミズマはそれにかまわず、軽くなってしまった鞄を肩に担いだ。

「ごめんね、僕には、拘束というのが効かないんだ。もう遅いし、帰らせてもらうよ」
「そんな、困ります」

 ようやく状況に追いついたメノウは、必死に言うと、ミズマの袖を両手でつかんだ。

「もし、あなたがいなくなったら、私、お母さんになんていわれるか」
「お母さんねぇ」

 先ほどの様子を思い出し、ミズマは首をひねった。どう考えても、遺伝子レベルで違うような気がする二人が、親子だとはとても思えない。

「君さ、本当に、あの人のこ?」
「あたりまえです」

「そっか……ああ、でも、そんな事関係なかったっけ。とにかく、僕は売られたくないから帰りたいんだけど」
「だから、母が」

「母がって言われても」

 ミズマが手を離してもらおうと身をよじる。しかし、メノウをのほうも、それにあわせて、手を引っ張る。

「……離してくれないわけ?」
「はい」

「困ったなぁ」

 ちらりとメノウを見れば、泣きそうな顔でミズマを見返してくる。

「こういうことが、悪い事だって分かっているでしょ?」
「わかってますけど、こんなことでくらいしかお金を稼ぐ事が出来ないんです。私、何の才能もないし」

 そう言って、メノウは寂しそうに笑う。その自嘲的な笑みに、ミズマはどうしても言葉をかけずにいられなかった。

「あのね。自分が大した人間だ何て思っている人はほとんどいないんだよ。僕だって、そうさ。何でもない、くだらない存在でしか無いんだ。だけどね。人間やってみようと思わなきゃ、何もできないし、始まらないよ」

 じっと、ミズマの言葉に、メノウは耳を傾ける。ふっと、軟らかく笑みを浮かべながらも、諦めているかのように、遠くを見る。

「わかってるんです。そんなこと。でも、お母さんがゆるしてくれないし」
「お母さんねぇ……」

 先ほどの大女を思い出す。説得が無理そうな事はちょっと考えれば想像できた。

(あれじゃ、道を踏み外すなって方がへんだよなぁ)

 そう思いながらチラリと見れば、いまだにメノウはミズマの袖を握り締めている。
 ミズマには、とても、彼女の手をけし飛ばして逃げるだとか、彼女ごと逃げるだとか言う事は出来なかった。相手が男だったら良いのにと一人舌打ちしつつ、とりあえず、瞬間的に、袖を切り離して逃れる。

「あ」
「ごめんねお嬢さん。それでは僕はこれで」

 悲しそうなメノウに少しでも顔を合わせないようにして、ミズマはそのまま消えようとした。しかし、

「メノウ! さっさと寝ちまいなって、ああ!」

 いきなりドアが勢いよく開いたかとおもうと、大女が顔を出した。メノウに言葉を浴びせ掛けた後、当然のようにミズマに気づく大女に、ミズマは天を仰いだ。


「メノウ! 大事な商品を逃がすとは、どういうことだい!」
「いや、僕が勝手に逃げたんだけどね」

 ボソリと呟くミズマをギロリと一睨みし、大女はいきなり後ろを向いた。

「ああ、母さんを怒らしちゃった」

 青ざめた顔で、メノウがその場にしゃがみ込む。

「なんだっての?」

 わけがわからず、ミズマは首をかしげた。と、再びミズマを向いた大女が持っている物に、仰天する。

「な、何それ!」

 それは、一本のハンマーだった。ただのハンマーでは当然ない。大女と、同じくらいの大きさがある。どう考えても一緒では、野宿して欲しいと頼みたくなるほど、その威力は強く、軽く振ったハンマーが触れた壁は跡形もなく崩れ去った。

「ま、まじですか」

 ニヤリとミズマを見て笑う大女に、ミズマは何を言っていいのかわからず、ただそれだけを呟いて大女を見た。

「さ、坊や。大人しく捕まるか、それとも粉々に壊れるか、どちらかを選びな」

 女が言いながら不敵に笑う。と、ミズマも、不敵な笑みを浮かべた。

「三つ目の選択肢があるよ」

 言いながら、片手を大女に差し出す。

「そりゃ一体何だってんだ」

 怒鳴る大女に笑って見せ、ミズマはメノウに向く。

「ごめん、君のお母さん、倒しちゃうよ」

 一瞬呆けた顔になって、メノウはミズマが何をいっているのか分からないといいった顔をした。しかし、次の瞬間その顔は、弱いながらも希望の見えたものへと変わる。

「お願いします」
「メノウ、あんた!」

「お母さん、悪い事は、やっぱり悪いわよ」

 静かに諭すメノウの言葉に、大女は顔を歪ます。

「くぅ」

 憎しみを込めた目で、大女はミズマを睨みつける。両手に握り締めたハンマーで、今すぐにもミズマの息の根を止めたい、そう思っているようだった。

「おお、こわ」

 たいするミズマは決して動じず、逆に余裕の笑みを見せた。瞬間、大女の足が、一歩前へと踏み出される。

(来る!)

 すかさず、ミズマは両手を大女に向かって広げた。

「我呼嵐炎」

 手が輝きに包まれる。両の手の平を合わせるように円が生まれ、身体の奥底から膨れ上がるような気の流れとともに、大量の力が流れていく。

「あ、熱いぃぃぃ」

 叫びと共に、大女が炎に巻かれる。刹那、ミズマは両手を掲げたままで続ける。

「我呼水嵐」

 両手が再び輝きに包まれる。中央の円から溢れる力は水となり、大女を取り巻く炎を消し飛ばしながら、その身を包む。

「ぐぼごばば」

 もがきながらも、大女はハンマーを振る。しかし、その手先すらも水で包まれてハンマーは思うように動かない。

「どう? ギブアップ?」

 にこやかにミズマは笑う。
 顔を真っ赤にしたままで、大女は首を横に振った。

「それじゃあ、もう少しそうやってって貰うよ」

 もう一度ミズマは笑う。
 はっとした顔で、大女はまじまじとミズマを見つめた。天使のような微笑み。しかし、それは顔に張り付いたままで、少しの暖かさも見せない。なぜなら、目がマジだった。

 無言で、大女は右手を開く。ゴトリと音を一つさせ、ハンマーが地に落ちる。
 ゆっくりと、女は両手を上げた。

「よろしい」

 そして、ミズマは笑う。もちろん、満面の笑みで。



「それじゃあ、もう悪い事はしちゃダメだよ」
「はい」

 レイギルが高く上るころ、ミズマはすっかり荷物を整え終え、親子に向き合っていた。大女が、やけに小さくなって、ミズマの言葉にいちいちうなずきを返す。

「君も、あんまり無茶しちゃダメだからね」
「はい」

 何かすっきりした顔で、メノウはミズマの言葉に答えた。満足そうに一つ笑って、ミズマは二人に背を向ける。

「んじゃ、またね」

 ひらひらと手を振りながら、数歩歩いてぴたりと思い出したように足を止める。

「そだ」

 ふり向いた顔は、どこまでも笑顔だった。

「次、街中で悪さしている所見つけたら、容赦しないからね」

 ビクリと、大女の肩が震える。メノウも、表情を固まらせ、ただ、コクコクと頷きを返す。

「よろしい」

 うなずきながら、ミズマは今度こそ本当に、二人の親子が住む家を後にした。
 青々とした空。雲ひとつ無く、町を包んでいる。少し目を細めて空を見て、ミズマは弱々しい笑みで呟いた。

「……ライオット様ぁ。こんなんでよかったんですかね」

 同じように続くこの空の下にいるはずの探し人は、ミズマの問いに答えない。

「僕、はやくあなたが戻ってきてくれないと、ドンドン意地悪な人間になりそうですよ」

 それもライオット様の教育のせいですから。と言葉の最後に付け加えて、ミズマは空を仰ぐのをやめた。俯いた瞬間こぼれそうになるものを慌てて袖で拭い、前を見つめる。

 道は、またいつもの場所へと続いている。

(この場所で、僕はいつまであの人を探すんだろう)

 一瞬自分の生き方を疑問に思う。
 それでも、ミズマはまたいつものように仕事を探し、探し人を探しつづける。
 なぜなら彼は、彼こそが、彼の帰る場所なのだから。

「よし、今日も行ってみますか」

 少し無理した明るい声が、今日も空へと吸い込まれていく。
 ミズマの一日が、また始まる。