森の中で


まだことばがほんとうの力をもっていたむかしむかしのお話です。
空は青く。すずしげな風がふいていました。
楽しげに笑う風の子たちが体を休めるところは小さな森になっていて、
お日様の微笑が優しく木々の間を照らしていました。

赤ずきんはのんびりと森を歩いていました。
手には小さなバスケットを持って。
バスケットの中身はパンとぶどう酒でした。
「おばあさんに届けるのよ」そうお母さんから頼まれていました。
「森を通る時には気をつけなさい。オオカミが出るから」
お母さんは何度と無く赤ずきんに注意しました。
けれど、すずしげな風は赤ずきんの心を軽くして、
お日様の微笑みは、赤ずきんの頬を暖め、難しいことは全部頭から消えていました。
ちらりと、赤いものが見えたような気がしました。
赤ずきんが良く見ようと目を凝らす前に、赤はどこかに消えてしまいました。


そして、赤ずきんは出会ったのでした。
赤い長靴を履いた、賢そうな猫に。


少し汚れた赤い長靴は、さっき赤ずきんが見た赤よりもくすんで見えました。
「あなたは誰?」
赤ずきんが小さな顔をかしげるように聞くと、猫は面倒くさそうに答えました。
「僕は猫さ。普通のね」
「猫は長靴を履いていないと思うけど。」
「じゃあ、君が知っている猫は普通じゃないんだ」
長靴を履いた猫は、赤い長靴を揺らしながら答えました。
赤ずきんはそうだったかしらと、自分が知っている猫を思い出そうとしてみました。
すると、猫の姿を思い出す前に、目の前の猫が尋ねました。
「君は誰?」
「あたしは赤ずきん。」
「それは君が被っているものの名前だろう?」
「だけど、そう呼ばれているもの。だからあたしは赤ずきんなの」
「じゃあ、ずきんをとったらどうなるのさ」
赤ずきんは困ってしまいました。赤い頭巾を取ってしまうなんて考えたことも無かったのです。
「まあいいや」
長靴を履いた猫は、どうでもいいように言うと、ヒゲを整えながら聞きました。
「どこへ行くのさ」
「おばあさんのところへ。パンとぶどう酒を届けるの」
「だったら僕も一緒に行こうかな。ここは退屈だからね」
それで赤ずきんと長靴を履いた猫は一緒に行くことにしました。


赤を見たような気がして、赤ずきんは振り向きました。
でも、誰もいませんでした。


日の照らす小道を二人が歩いていると、赤いチョッキを来たオオカミがいました。
赤いチョッキは少し破れていて、さっき赤ずきんが見た赤よりも汚れて見えました。
「お嬢さんと、猫の坊ちゃん。お尋ねしますが、このへんで三匹の豚を見ませんでしたか?」
赤ずきんはお母さんの言葉を思い出して黙っていました。オオカミには気をつけないといけないとお母さんに言われていましたからね。
長靴を履いた猫が代わりに答えました。
「この辺では見ていないようだよ」
「そうですか。道に迷ったのかな?」
オオカミは鼻をくんくんと動かしながら、腕を組んで考え込みました。
今のうちに通り過ぎよう。赤ずきんは長靴を履いた猫の手を取って(なんせ猫は二本足で歩いていましたから)
すばやくオオカミの横を通り過ぎようとしました。
「お嬢さんとお坊ちゃんはどこに行くんです?」
オオカミが重ねて尋ねます。赤ずきんがどう答えようか迷っているうちに、長靴を履いた猫が答えました。
「この子のおばあさんのところさ。パンとぶどう酒を届けるんだ」
するとオオカミは頬に手を当て、ふふむと何かを考えるような顔をしました。そして赤ずきんを見て言いました。
「私もついて行ったら、パンとぶどう酒をごちそうになれるでしょうか?」
「なれるんじゃない?」
赤ずきんが黙っているうちに長靴を履いた猫は面倒くさそうに答えてしまいます。
「じゃあ、私も一緒に行くことにしよう」
こうして、オオカミも一緒についてくることになりました。

歩きながらオオカミは、自分は三匹の子豚を探していることを赤ずきんと長靴を履いた猫に説明しました。
三匹の子豚は兄弟で、自分はいつも三匹の子豚を食べようと追いかけるのに上手く逃げられてしまうと。
食べるという言葉を聞いて赤ずきんは少し嫌な気持ちになりましたが、オオカミは自分には興味なさそうだったので、俯いて黙ったままでいました。


赤を見たような気がして赤ずきんは顔を上げました。
やっぱりそこには誰もいませんでした。


一人と二匹が道を歩いていると切り株に綺麗な女の子が座っていました。
両手で顔を覆って、さめざめと泣いています。
「どうしたんですか?」
赤ずきんは女の子があまりに綺麗だったのと、泣いていることの両方が気になって声をかけました。
女の子が顔を上げました。その唇は熟れたリンゴのように赤でした。さっき赤ずきんが見た赤とは違ったけれど、綺麗な赤でした。そして可愛い顔をしていました。
「お城を追い出されてしまったの」
「お城?」
ここらへんにお城なんてあったかしらと、赤ずきんは首を傾げました。
「君は誰?」
長靴を履いた猫がつまらなそうに聞きました。
「白雪姫」
リンゴのように赤い唇をした少女は、そう答えました。言われて見ると白い素肌が雪のようで、なるほど名前の通りねと赤ずきんは思いました。
白雪姫の赤い唇を見ているうち、自分が被っている赤い頭巾がなんだか急にみすぼらしいものになったような気がして、赤ずきんはぎゅっと手を握りました。白雪姫の唇に比べてみると、自分のずきんの赤は少しあせているように見えたのでした。そんなあせた赤い頭巾を被っている自分が赤ずきんで、自分より綺麗な赤い唇を持った少女が白雪姫だなんて。なんだか自分がとても不釣合いなように思えたのでした。
でも、と赤ずきんは思いました。
(あたしがさっき見た赤の方がもっと綺麗だったな)
一人と二匹は自己紹介をしました。聞いてみると白雪姫は行くところが無いようでした。
「だったら、僕らと一緒に来ればいいんじゃない?」
長靴を履いた猫が言って、そして二人とに引きは一緒におばあさんの家を目指すことになりました。


そんな二人と二匹をずっと見ている少女がいました。
木の影から。仲良さげに歩く二人と二匹をじっと見ていました。
仲間に入りたくて。
でも、なんて言葉をかけていいか分からなくて。


それは可愛らしい人形でした。
女の子が一つ一つ一生懸命に縫い付けた服を着ていました。
その服はいろいろな色で出来ていました。青。緑。黄色。紫もほんの少し混ざっていました。
ありあわせの布で作られたからです。
人形の女の子は真っ赤なリボンをつけていました。ずっと赤ずきんたちを見ていた赤とは人形のものだったのです。人形は自分の赤いリボンが好きでした。でもその赤いリボンは白雪姫の唇にも、長靴を履いた猫の長靴にも、オオカミのチョッキにも、赤ずきんの頭巾にも勝てない色の気がしました。
こんな色のリボンをつけた自分が出て行っても、皆は仲間と思ってくれるかしら。
そう考えると人形の女の子は哀しい気持ちになってうつむいてしまうのでした。
うつむいた女の子の目からは今にも涙がこぼれてしまいそうでした。

そんな時です。
そんな人形の背中を、一筋の風が見つけました。
風は木の上で休むのに飽きてしまって森の中を駆けていたのです。
風は人形の女の子の背中に追いつくと、えいっと押しました。
理由があったわけじゃありません。風は考えるのが苦手ですからね。

「あ」

人形の女の子は可愛い声を一つあげると風に飛ばされました。
そして、二人と二匹の丁度間に落ちるようにふわりと倒れたのです。
二人と二匹は驚いて人形の女の子を見つめました。
8つの瞳に見下ろされて、人形は思わず目を伏せました。
「君は誰?」
長靴を履いた猫が尋ねました。
「私は――」


「私は人形」
ぽつりと人形の声はそのまま地面に落ちて吸い込まれてしまうように聞こえました。
「名前は無いの」
目を伏せた人形が何故だかすごく寂しく見えて、赤ずきんは慌てて言いました。
「私は赤ずきん。赤い頭巾を被っているから、赤ずきん」
その言葉に押されたように、皆自分を紹介していきます。
「白雪姫。雪のようだからで白雪なの」
「僕は猫さ。名前なんて無いよ」
「私はオオカミです。右に同じく」
人形の顔が二人と二匹の顔を恐る恐るのぞいていきました。
二人と二匹は人形と目が合うたびにっこり微笑んで見せました
(長靴を履いた猫の笑顔は口の端だけで、オオカミの笑顔は少し怖かったですけど)
人形はゆっくり笑顔を浮かべました。少なくとも赤ずきんは人形が笑顔を浮かべようとしていると思いました。
人形は表情があまり変らないので、どんな顔をしているかは想像するしかないのです。
人形が言いました。「ありがとう」
赤ずきんは手を伸ばしました。
人形の手がゆっくり赤ずきんの手に触れました。
人形を起こしてあげながら、赤ずきんはさっきから思っていたことをそっと人形に打ち明けました。
「あなたのリボンはとても綺麗ね。あたし、ずっとそう思っていたのよ」
人形は一瞬はっとして、
今度こそ本当に笑っているのが赤ずきんには分かりました。
さっき白雪姫をうらやんだ気持ちもすっかり無くなって、赤ずきんも人形に向かってにっこり笑ったのでした。

二人と二匹と一体の人形は歩き出しました。
風が優しく流れる道を。お日様の暖かさに押されるように。
もうすぐ、お昼。
おばあさんの家はもうすぐそこです。
みんなでテーブルを囲む姿を絵を思い浮かべて、
赤ずきんのお腹はクウと小さく鳴るのでした。

あとがき
台本「あなたがかける明日」の元となったお話。
だいぶ前に完成はしていたのですが、一応掲載。

なんとなく、赤から連想される童話のキャラクターで
お話を書いてみたかった。……すこしホラーっぽいかな。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。