N氏の夢 作 楽静

 始めに断っておくけど、これはホラーだ。少なくても僕にとっては。だから君がもしそういう類のものが苦手なら、悪いことはいわないから聞かないほうがいいと思う。


いいかい?



 港区に長いこと住んでいたN氏は、長いこと夢見ていたことを実現させるだけのお金を、七十二歳を過ぎた去年になってようやく貯めることに成功した。
 かつて魚市場の王と呼ばれた風格はその体の中に無駄な意固地さを残しただけで衰退していた。汗を飲む苦しみを忘れた時点でN氏の厚かった胸板は、夏を通り越した向日葵のようにやせ細ってしまっていた。下半身だけは常に元気だと周りに自慢していたが、一昨年の冬海外から取り寄せた怪しげな薬によって危うく心臓麻痺を起こしそうになったこともあったらしい。足先は毎年のようにやってくる水虫との戦いで常に白い薬で覆われて臨戦態勢をとっていた。膝の頭に水が溜まってしまって手術をしたのは一昨年の夏。しかし、術後の様態は芳しくなく、階段を上るたびにそのままずれ落ちそうな気がして冷や冷やすることが度々あった。イボ痔は遺伝でしかならないのだとかかりつけの医者に笑われたその翌日、「やはりイボ痔だった」と深刻な顔で言われたのは、もうN氏の中では思い出したくない記憶だ。肝臓は肝硬変だと診断されてから診断書を見ることをやめた。胃が破けたことなど痛みのうちに入らないと割り切ったのは五十代の半ばだった。タバコを娯楽としか思わないN氏の肺はどろりとそのまま溶けそうなほど黒かった。若い頃魚市の縄張り争いで幾度か折った腕は、雨が降る日を正確に当てた。

 要するにN氏の身体はぼろぼろだった。健在なのは普段は決して人前で開いたりしない口に生えている前歯と、右頬側の三本の歯。それに、白内障の手術が比較的うまくいった目だけ。鼻は蓄膿症を放っておいたせいで臭いなんてまるで感じられなくなってしまっていた。耳に至っては喧嘩の途中で切り取られたために右側だけしかない。

 それでもN氏は生きていた。周りの人間がいくら「金の亡者」だとか「人間のクズ」だとののしっても、魚市場の王として君臨し、漁業組合から甘い汁をすすり、少しでも力の衰えを見せた同業者を片っ端から突き落として、N氏は生きていた。

 N氏には夢があった。どんな場合でも――例えば最も快楽に身をゆだねている瞬間でも――N氏は彼自身の夢について忘れることはなかったし、その夢を実現するための努力をあきらめたりはしなかった。

 当然のようにN氏の周りにいる人は彼が一体どんな夢を持っているのか知りたがった。けれど彼は誰にも自分の夢を話さなかった。夢の話を散々自分からした挙句、人から「その夢とはなんなんですか?」と尋ねられると上唇をゆっくりと上げて欠けた歯ばかりの口を覗かせた。その洞窟のような暗闇からN氏の夢の中身を知ることなど決して出来なかった。

 だから誰もがN氏が夢をかなえるための金を貯めきったと聞いたとき驚き、ついにその夢の内容が分かるのだとどうでもいい好奇心に目を輝かせた。

 N氏がかなえた夢。それは、家を建てることだった。

 誰もがN氏のこの提案に思わずまじまじとN氏を見た。N氏が貯めた金は決して国家予算に匹敵するというような大金ではなかった。しかし、七〜八の銀行に渡って長いこと貯められていた金の使われる先が、まさか家を建てることだとは誰もが信じられないことだった。それが豪邸だというのなら信じたかもしれない。けれど、家の広さを聞く人々にN氏はうるさそうに一言言うだけだった。「1LDKだ。それが精一杯だったんだよ」と。隙間だらけの口から聞こえる声は洞穴から響く獣の威嚇のようで、質問した人々はみな途端に探究心を押し込んだ。

 そして、一年が過ぎた。


 それが現れたとき、目の当たりにした人々はあまりのことに数秒唖然とし、そして自分がいささか常軌を逸しているのではないかと疑った。なぜならそれが現れていることを、日本を含め世界中のメディアは無視を決め込んでいたから。例え写真に写っていたとしても、マスコミはコメントを完全に放棄した。そこはもちろんN氏による金回しがあった。が、もし金がなかったとしても、多くのマスコミは、常識ある者達である限り、自分は絶対にそれについてコメントをしようとは考えなかった。

 ある改進的な雑誌社の社長が記事を載せようと何人かの記者を引っ付いたけど、返ってくる答えは同じようなものだった。「私に、あれについてどんなことを言わせるつもりか分かりませんが、笑われるための記事なんてごめんです」と。だからと言って社長自ら書く気にはとてもなれなかった。

 結果、もしそれを見たとしても、誰もが無視をした。


 だから今日も東京タワーの頂上にはN氏の家が吊るされているし、その1LDKのベランダには真っ白い布団が楽しそうに風に泳いでいる。

 観光にきた人々は、一瞬唖然とし、自分の頭がおかしくなっているかと互いに眺め回しては、結局情報を処理しきれなくなり、ただ見なかったことにしている。



 最近N氏がまだ元気でやっていると聞いたばかりの僕としては、彼が植木鉢を集めてプランター作りなんてしないことを祈りながら、今日も白く泳ぐ布団を眺めている。

あとがき
馬鹿話です。
いや、くらい話ばかり書いていないことの証明。
こんなんだから、
いつまでたっても駄目なのかもしれませんが。