死にたがりの王女
むかしむかしのお話です。
まだ、心の力が世界を変えられた。そんなむかしのお話です。
ある街に、年よりの王様がいました。昔話よくでてくる王様よりもほんの少し優しくて、涙もろい王様でした。
王様には一人だけ子供がいました。女の子です。王様にとって、目の中にいれてもいたくないほどかわいい女の子でした。名前をリーナといいました。
リーナは小さい頃にお母さんをなくしたために、とてもお父さんのことを大切にしていました。
けれど、そんなリーナもお嫁に行ってもおかしくない年になりました。
どこにでもいる女の子のように、リーナも恋をしました。ただ、どこにでもいる女の子たちとリーナの違うところは、リーナは王女で、リーナが恋した男の人は旅人だったというところです。
旅人の男は、街から街へ、村から村へ、国から国へと旅をしていました。旅の途中でリーナの街へと寄った男は、そこでリーナと恋に落ちました。リーナは男の広い肩が好きでした。王様にはない、自信にあふれた顔が好きでした。旅を続けるたびに傷ついてかんじょうになっていった体は、リーナの街に住むどんな人間よりも立派に見えました。
そりゃあ、旅人の男にももろい部分はありましたし、未だ顔に残ったニキビの後はぱっと見たら醜く見えたかもしれません。けれどもリーナにとっては、旅人の男は世界のどんな男よりも素敵な人だったのです。君も、誰かを好きになったことがあるのならリーナの気持ちが分かると思います。
けれど、リーナは王女でした。
王女というのは、簡単に好きな相手と結婚することは出来ないものです。どんなにリーナのことを愛している王様も、娘を愛しているからこそ、リーナの恋をあきらめさせようと必死になりました。時にはなだめてみたり。また、時には苦手な怖い顔を作って怒ってみたり。王様のことも大好きなリーナにとって、王様が必死になって反対すれば反対するほど、哀しい気持ちになるのでした。
そんなリーナの姿を見て、旅人の男はまた旅立つことに決めました。
正直な話し、旅人の男はそんなにリーナのことを好きではなかったのです。リーナはそれはかわいい娘ですが、甘やかされたせいで、ほんの少し我がままでした。旅人の男にとっては、その我がままが時々気にくわなくなることがあったのです。でも、愛されているという事実はとっても男というものを安心させるものですから、旅人の男は、それが自分にとって不幸にならないうちは、愛されているままになっていたのでした。
ところが、リーナの愛は増すばかり、王様の反対は大きくなるばかりで、旅人の男はうんざりしてしまったのです。毎日のようにリーナは結婚を反対される悲しみに泣いてばかり。王様は、旅人の男を見るたびに、娘をあきらめてくれと頼むばかりです。
「わかりました」
ある日、旅人の男はこらえきれなくなって王様に言いました。
「僕はまた旅に出ることにします。リーナのことは……王女様のことはあきらめます」
王様がどんなにホットしたか。リーナがどんなに悲しんだか。それは言葉ではとても表せないほどでした。けれど、旅人の男はうんざりした気持ちを顔一杯に表したまま、リーナに別れの言葉をかけることもほとんどなく、夜明けと供にまた旅へと出ていってしまいました。
リーナは泣きました。
泣くことで悲しみを表現できるとしたら、リーナの悲しみは世界のどんな人よりも勝っているようでした。
涙で頬がびしょぬれになりました。
着ている服は水びだしで、絞っても絞っても水が後から後からあふれてくるほどでした。
リーナの部屋には水たまりが何個もできました。
リーナの部屋の下まで、水は垂れてくるほどでした。
そのうち、城中至る所が水びだしになりました。
王様がどんなに優しい声をかけても、城中の人がどんなに慰めても、リーナの涙はかれることがありませんでした。
今になって王様は、旅人の男を去らせてしまったことを悔やみました。けれども、旅人の男を探させようと家来に命じても、旅人の男がどこに行ったのかは、さっぱり分かりませんでした。
朝も、昼も、夜も、起きている間中ずっと、リーナは泣きました。
ご飯を食べているときも、景色を眺めているときも、何かをしているときはずっと、リーナの頬から涙は流れ落ち続けました。
泣いて、泣いて、リーナの国の人々まるまる全員の一生分、リーナは泣きました。
そして、ある日、突然リーナは泣くのを止めました。
泣きすぎてやせこけた顔の中で、目だけが、輝いていました。
リーナの部屋へといつものように優しい言葉をかけにやってきた王様が、思わず立ち止まってしまったほど、泣くのを止めたリーナの顔は、まるで別人のように冷たくなっていました。
落ちくぼんだ目の下には、墨を塗ったようなくまが出来ていました。
頬には、涙のすじがしわになって残っていました。
唇はかさかさで、三日月みたいに不安定な笑みを浮かべていました。
まるで若さの感じられないかさかさの肌で王様を見たリーナは、その日16歳になりました。
リーナは、笑っていたのです。
「お父様、お願いがあります」
微笑んだまま、リーナは旅人の男が去ってから初めて、王様のことを呼びました。
王様は一瞬、その声がリーナのものではないような気がしました。
背中が冷たくなって、汗がわくのを感じました。
王様の腕には鳥肌が立っていました。
それでも、リーナを愛していた王様は、震えそうになる声をどうにか押さえ込んで優しい笑みを無理矢理作りました。
「一体、そのお願いとは何かね?」
リーナの顔に笑顔が広がりました。
王様は自分が悲鳴を上げるかと思ってしまいました。
リーナの口が、耳まで広がったような気がしたからです。
体が震えてくるのをどうしても止められなくて、王様は両の拳をぎゅっと握りしめました。
リーナがゆっくりと口を開きました。
「どうか、私を死なせてください」
リーナがどうしてそんなことを言いだしたのかはわかりません。もしかしたら、泣き続けていたリーナに悪魔がささやいたのかもしれません。「死んだら楽になるよ」とでも。
微笑みながら言ったリーナの言葉に、王様は気を失いそうになるほど驚きました。でも、どんなに王様が優しい言葉をかけても、泣きながら頼んでも、リーナは同じ言葉を繰り返すだけでした。
「どうか、私を死なせてください」
いえ、同じ言葉を繰り返すだけならまだしも、リーナは考えを変えるよう説得する王様が、それこそ目を回すようなことを微笑みながら言ったのです。
「もし、お父様が私のお願いを利いてくださらないのなら……」
リーナの微笑みは、まるで何百年も生きてきた魔女のように陰湿で、でも、哀しそうな笑みでした。
「私は、一番自分が苦しむ方法で死にます」
それがどんな死に方かなんて聞く勇気は、王様にはありませんでした。
もう、どんなに言葉をかけても無駄でした。リーナはもう生きていることを止めてしまったこのようにじっと王様を見つめるだけでした。
王様はとても哀しい選択をしなければなりませんでした。
リーナを死なせてあげるか。
リーナが死ぬのを待つか。です。
選びようのない選択に、王様は悩みました。
食べるのも忘れ、寝る間も惜しんで悩みました。
国中のあらゆる知恵ものに話を聞いて、悩むに悩みました。
そして、ある日。
王様の国に、ある立て看板が立ちました。
「苦しくも、痛くもない。
そんな殺し方を知っているものはお城まで。
それが事実だった場合、望むものを望むだけ与える」
王様
リーナがどうしても死んでしまうのなら、せめて苦しくも、痛くもないように死なせてやりたい。そう、王様は考えたのでした。
看板を見た人々は、その不思議な内容にそろって首を傾げました。けれど、看板の内容に目を輝かせた人も、何人もいたのです。
「望むものを望むだけ」その言葉に、期待した人々が、何人も頭をひねって「苦しくも、痛くもない」殺し方を考えてはお城へと行きました。
お城に行くと、「看板を見て来た」と言うだけで、お城の一番上等な部屋へと案内されました。そこには、何人かの兵士が見守る中、王様と、リーナが、立派な椅子へと座って待っていました。
王様はいつも悲しそうな顔で。
リーナはどこか冷たい顔で。
「私こそが、だれも苦しくも、痛くもない、殺し方を知っているものです」
看板を見てきたものは、皆そう言って、王様の前で頭を下げました。
ある風の強い日にやってきたのは、狙った獲物は必ず一発でしとめるという年老いた狩人でした。
狩人は胸を張って、自分の銃を高々と持ち上げると言いました。
「私は、どんな獲物も一発でしとめます。私に撃たれた獲物は、そのあまりの正確な撃ち方によって、痛さも、苦しさも感じるまもなく、死んでいくのです」
王様は、哀しい目をしたまま狩人へと命じます。
「それでは、試してみよ」
狩人が王様の言葉の意味が分からずに首を傾げていると、王様はけだるげに手を叩きます。
すぐに何人かの兵士達が、みすぼらしい格好をした老女を連れてきました。いやがって兵士から逃れようとする老女の顔には、怯えが広がっていました。それでも、兵士は無表情に老女を部屋の横の壁へと立たせて、両手を鎖で繋ぎました。鎖は壁に繋がっていました。狩人がよくよく、老女の周りを見ると、所々血で汚れているかのように、赤いしみが点々と付いていました。
「お願いします。許してください」
老女は身動きが取れない体を無理矢理曲げて、狩人を見つめました。
「こ、これは……?」
思わず王様を見る狩人に、王様は哀しそうな顔に皮肉の笑みを浮かべて言いました。
「本当に、お前が苦しくも、痛くもなく、殺せるかの実験だ」
もう何度と無く繰り返した言葉のように、王様の声には何の気持ちも含まれていませんでした。
狩人はすぐさま自分が褒美につられて城に来たことを後悔しました。
けれど、王様はじっと狩人を見つめています。
王女はただ表情のない目を狩人に向け続けます。
城の中は季節を忘れてしまったように、シンッとして、ただ冷たさだけが広がっていました。
狩人は覚悟を決めて、老女へと銃を向けました。
「お願いします。許して、許してください」
涙を流しながら老女は何度も頭を下げました。そのたびに、鎖がゆれて、壁へとあたり、耳障りな音を立てました。
狩人の顔が苦悩で歪みました。
自分が一体何をやっているのかわからなくなりそうなまま、狩人は銃の引き金を引きました。
一発。
それだけで、老女の命はこの世から無くなりました。
たった一言、
「うっ」
と、短い言葉を漏らしただけで。
銃からもれる火薬の匂いも、どこか冷たく感じました。
銃声の響きが徐々に消えていく部屋の中で、誰も、一言も漏らしませんでした。
狩人は、だらりと腕を垂らしました。
「今の声は、苦しそうだったな」
王様の声も、どこか遠くで聞こえているような気がしました。自分が今何をしたのか思い出すのに、狩人は頭が痛くなるほど、必死で思い出さなければなりませんでした。
「帰ってよいぞ」
溜息と供に、王様が言いました。
「……はい」
狩人は、一言頷くと、銃を引きずるように城から帰っていきました。
それから、街の人々で狩人の姿を見たものはいません。
こんな風にして、城には時々人が向かっては、哀しい顔をしてその人は城から帰ってきたのでした。
何人もの人が城へと向かったそうです。その正確な数は、今となっては分かりません。
剣を片手に城に向かった人がいました。
鋭くといだ矢と弓とを持って、城へ入った人もいました。
どんなものでも一瞬で殺せる毒薬を作った人もいました。
分かっていることは、城に入った人は誰もが「実験」をやらされたと言うことでした。何人という人がその実験のために命を落としました。そして、実験はすべてうまくいかなかったのです。
街には、いつの間にか年老いた人がいなくなっていました。街に入った旅人がいなくなることは良くある話しになっていました。時には、若い娘が、結婚式を迎えるすぐ前の日にいなくなることもありました。もちろんそのすべてがすべて、実験のためにいなくなったわけでは決してありません。
けれど、いつの間にかお城の裏には何十ものお墓が姿を見せるようになっていました。その数はもしかしたら百を越していたのかもしれません。
それから、何年かすぎたときのことです。
街の中には数年前の活気は当になくなっていました。
風にさらされ朽ちるたびに交換されるおふれの立て看板だけが、やけに新しく見える。そんな街になっていました。
笑顔を忘れたのはリーナや、王様だけではなくなっていました。
街から立ち去る人々も、よく見る景色になっていました。
そして、未だにお城に時々看板を見て入っていくものがいました。やがて哀しい顔になって城から出てくるのも相変わらずのことでした。お城の裏のお墓は、すでに数百を越していました。
そんな街に旅人の男は帰ってきました。
遠くの村で街から去った人の話を耳にしたときから、旅人の男は急いで街へと戻ってきたのです。旅人の男にとってその街は、自分がかつていたとは信じられないほどに変わり果てて見えました。
真新しい看板を見ると、旅人の男は一瞬その意味が分からなくて首を傾げました。
けれど次の瞬間、旅人の男の顔は怒りに染まりました。真新しい立て看板を地面から思い切って引き抜くと、そのまま旅人の男は城へと向かって行きました。
城の兵士達は、旅人の男を覚えていました。誰もが疲れ切った顔の中に、驚きの表情を浮かべて、旅人の男を見ました。中には、旅人の男への怒りをあらわにする兵士もいました。旅人の男がいなければ、すべては始まらなかったのですから。
それでも、旅人の男が浮かべる怒りの表情に、兵士達は黙って道をあけました。かつて自分が王様に頼み込まれて去った城へと、旅人の男は、何年かぶりに戻ってきたのです。
お城で一番豪勢な部屋に、王様とリーナは二人して椅子に座っていました。すぐ横の壁は、落としても落としても、落としきれなかったかのように、赤い跡が大量に残っていました。どこか部屋の中は墓場のような臭いがしました。
始めに反応したのは王様でした。疲れ切った哀しい顔をしていた王様は、旅人の男の姿を見て、目を見開きました。
「お前は……」
王様にはそれだけを言うのがやっとでした。
王様の横で、リーナはただ、微笑んでいました。
哀しい笑みでした。
旅人の男に確かに気づいたのに、何と言っていいのか分からないかのように、リーナの口からは一言も出てきませんでした。
旅人の男は、その場に立て看板を投げ出すと、王様とリーナをにらみつけながら、怒りの表情で口を開きました。
「これは一体どう言うことです? こんなふざけたことを、一体どういうつもりでしなければならなかったのですか!」
旅人の怒鳴り声は、雷のように部屋を揺らしました。
「それは……」
王様は旅人の男に言い返そうとしました。けれど、その手をそっと押さえる手がありました。
リーナの手です。王様が思わず横を見ると、リーナは寂しそうに微笑んで首を振りました。
リーナの微笑みに、旅人の男は怒りの顔を向けました。
「あなたが、この看板を許したのですか? いったい何のために? どんな理由があってしたのです」
リーナはただ旅人の男に微笑むことしかしません。
その心にあるのは男に会えた喜びなのでしょうか?
それとも、寂しさなのでしょうか?
リーナの微笑みは、あらゆる感情をそげ落としてしまったかのようにまるで、感情を見せてはいませんでした。
旅人の男は、その微笑みにいらだって言葉を荒くしました。
「あなたがこんな愚かなことをするなんて、僕は知らなかった。こんなにも、ばかげたことをするなんて。そんなあなたを一時でも好きになってしまったことが恥ずかしい」
「貴様、言わせておけば」
王様は、男の言葉に思わず椅子から立ち上がりそうになりました。王様の手の上にあるリーナの手に、そっと力がこもりました。王様が驚いてリーナを見ると、リーナは、また首を静かに横に振りました。
静かな城の中に、怒りの表情を浮かべたまま、旅人の男の声だけが響き渡ります。
「あなたは馬鹿だ。いったいどれほどの人をあなたの目の前で死なせたんだ? 痛みも苦しみもない死に方? そんなものを探すのはばかげている」
リーナは微笑んだままでした。旅人の男は、代わり映えのないリーナの表情に、口から泡を飛ばしながらわめきました。
「わざわざ戻ってきて損したよ。そんなあなたに会いたいわけじゃなかった。あなたにはっきり言っておけばよかった。僕は」
そこまで言って、旅人の男は一度息を深く吸いました。まるで呪文を唱えるかのように、旅人の男が睨んだ瞳の先でリーナは少しも表情を変えることなく、微笑んだまま。旅人の男は、ゆっくりと言葉を吐きました。
「僕は、あなたが嫌いだ。いつも自分のことばかりしか考えないあなたが。周りを引っかき回して、それでも幼い少女のフリをしていられるあなたが。これほど多くの人を死なせて、それでも微笑んでいられるあなたが。……罪のない人々を殺すくらいなら、あなたが死ねばいい。あなたが死んだって、これまでに死んできた人々のことを思えば、僕は哀しくも何ともない」
旅人の男は、肩を怒らせたまま、王様とリーナに背を向けました。
王様はもう、席を立ったりはしませんでした。部屋にいる兵士は誰も動きませんでした。
旅人の男はゆっくりと、けれど確かな足取りで部屋から去っていきました。何人もの人々が哀しい顔で去った城から、旅人の男は怒りを浮かべたままの表情で出ていって、そして二度と街には戻ってきませんでした。
旅人の男が部屋を去ってから、どれくらいの時がたったのでしょう。静かになった城で一番豪勢な部屋で、王様は疲れ切った表情を哀しく歪ませて、呟きました。
「これが、お前の願いだったのかい?」
そっと、王様は、自分の手に乗る娘の手を空いている手で撫でました。
リーナは何も言いません。
「こうなることが、お前には分かっていたのかい?」
王様の目から、小さな滴が一滴、頬を伝って、リーナの手ヘと落ちました。リーナの手は、少しも動きはしませんでした。
静かになった部屋の中で、哀しい表情の王様の横で、微笑みを浮かべたままのリーナは、もう息をしていませんでした。
旅人の男の冷たい言葉が、リーナの心臓を止めてしまったのです。
それは確かに痛くも、苦しくもない死に方だったのかもしれません。リーナの体はどこも傷ついてもいないし、綺麗なままだったのですから。
でも、心は?
リーナの心は、どれほど痛んだのでしょうか?
微笑みを浮かべたままのリーナは、答えはしません。
涙を流す王様に微笑んだまま、死にたがった少女は、今は涙も忘れて、かつて恋した男に微笑んでいたように、静かに笑みを浮かべ徐々に冷たくなっていきました。
昔々のお話です。
まだ、喜びや悲しみが世界を変えることが出来た。そんな昔のお話です。
完
こうやって「デスマス」調で語られると、 なんだか、童話のような気がしてしまう……という罠。 そして、いかに荒唐無稽であっても、 童話だったら……なんて思ってしまったり。 そんな心理を味わってもらえれば幸いです。 てか、 こんな国があったら、あっという間に 滅ぼされている気もしますが(苦笑) 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 |